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2018
03.07

生と死の川辺。『リバーズ・エッジ』感想。

rivers_edge
2018年 日本 / 監督:行定勲

あらすじ
牛乳大人気。



女子高生のハルナは、いじめられていたところを助けた同級生の一郎により、とある秘密の場所に連れていかれる。そこは川原の草むらであり、放置された人間の死体が転がっていた。やがて後輩のこずえや元恋人の観音崎、友人のルミや一郎を想うカンナなどと絡んだ物語が紡がれる。岡崎京子の同名コミックを行定勲監督で実写化したドラマ。

原作は92~94年、読んでないので何も言えませんが、そこから24年の歳月を経ての実写化なんですね。映画内の舞台も90年代をそのまま再現していてこだわりを感じます。ごく普通の女子高生、若草ハルナが、元カレの観音崎がいじめているのから救った同級生、山田一郎。彼がいじめられたときによく見に行く「宝物」というのが、川原に放置された白骨化した人間の死体です。そこに浮かび上がるのは、取り繕った日常の生と、目の前にあるリアルな死。そんな生と死の対比、あるいは類似によって、どこにも行けない若者たちの閉塞感を描き出していきます。本作は全編スタンダードサイズ(4:3)なんですが、その画面の狭さが時代性を強調し、かつ閉塞感を煽ります。生々しさと渇きの合間で、少しずつ繋がってはズレてまた繋がっていく、というのがスリリング。そしてなかなかエグいです。

ハルナ役は『何者』『SCOOP!』二階堂ふみ、エキセントリックさのないごく普通の少女だけに難しい役柄だと思うんですが、思いきった脱ぎっぷりも見せつつのさすがの演技。一郎役は『銀魂』『斉木楠雄のψ難』の吉沢亮。あまり感情を表に出さない淡々とした感じが上手くマッチしています。一郎と同じく川原の死体を愛する、モデルで摂食障害の後輩、吉川こずえ役のSUMIREは独特の存在感。と思ったら浅野忠信とCHARAの娘なのか!愛憎溢れる田島カンナ役の『劇場版 零~ゼロ~』森川葵、粗暴さと弱さの表現が素晴らしい観音崎役の上杉柊平、体当たりでビッチを演じるルミ役の土居志央梨もとても良かったです。

暴力や性欲に見る一過性の愚かさ、常軌を逸した行為に見る何かの欠落、人が持つ醜さや歪み。そんなものが若者たちの姿を通して見えてきます。ただちょっと演出的に引っ掛かる点はありますかね。あと二階堂ふみにはあっさり脱がずにギリギリのエロさ表現を続けてほしかったなーと正直思います。

↓以下、ネタバレ含む。








死体を見せる一郎とそれを見るハルナ、その裏でセックスしまくる観音崎とルミと、死と生のわかりやすい対比が現れます。死体に魅せられた一郎やこずえは生者に対する忌避感があり、こずえが「ざまあみろ、と思う」と言うところからも何の苦もなく生きている者への不信感のようなものが感じられます。生きるための食を自ら吐くこずえ、いじめられゲイであることが他人との差異であると諦め気味の一郎は、自分が生きているものとして異端であるかのような感覚を抱いているのでしょう。一方の観音崎やルミはセックスでしか生きてる実感を味わえないんですね。観音崎は「誰にも愛されてない」と図星なことをルミに言われて逆上し殺してしまう(と思い込む)わけですが、それでも「ごめんよう」と言いながら結局ルミの言った通りハルナとその場でヤってしまう。ルミは自分が便利な女だと自覚しながらも、求められることが優位性であるかのように関係を持ち続ける。この四人は死への関心、生への執着という違いはあれど、皆生きるということに苦しんでいるよう。ハルナはそれら皆に関わりながら、その尖った思いに晒されていくことになります。

電話での連絡や取り次ぎには人物の関係を見ることができます。一郎の「死体を見つけた」という呼び出しでハルナは人の闇を見せつけられることになり、カンナからの無言電話で悪意と不条理に巻き込まれます。ルミは電話一本で観音崎の元に来るし、その電話をルミに取り次ぐ姉の恨めしそうな視線が後の惨劇の伏線となります。またいろんな人が牛乳を飲むのも印象的。飲んでは吐き出すこずえ。飲もうとしたら空っぽの観音崎。一人でたっぷり飲むルミの姉。猫に分け与えるハルナ。牛乳はその人の満たされ具合とか愛情の扱いみたいなものを感じさせます。そして本作で最も特徴的なのは、登場人物の背景と本心をインタビューで補完するというものでしょう。実験的な手法に思えるこの演出は挿入する箇所もあってそれなりに効果的ではあるんでしょうが、正直没入度を妨げる気がしました。しかも「愛ってなに?」「生きてて良かったことは?」「生きてるってなに?」とそれぞれに対して究極の質問をわざわざぶつける意地の悪さ。若者に愚かだと突き付けているかのようで、ちょっと気持ち悪かったです。

生者は肉体の生々しさと心の渇きを抱え、死者は水辺の湿り気のなか渇いている。本作ではその差は最初は微妙なものに思えるかもしれません。若者が抱える普遍的な閉塞感というのが90年代の雰囲気にそこまであるのかと言えば個人的にはあまり実感ないんですが、小沢健二のポップさとかウィリアム・ギブソンの詩であるとか、一昔前にも確かにあった普遍性を今見るための時代としてはちょうどいいのかも。そんななか一郎の吉沢亮が見せる、死んだカンナを見たときの鬼気迫る笑顔が凄まじい。それまで無表情だっただけに、誰にも理解できない喜びを見つけた者の顔として強烈。また観音崎はあれだけ執着していたハルナにあっさり別れを告げ、ルミは魂が抜けたようになりと、それぞれが今までとは何かが違ってしまいます。それは本当の死というものを、殺しかけたり殺されかけたり目の当たりにしたことで実感したからでしょう。微妙かと思われた生死の差は実は大きな境界であることを知るのです。

それでも死に近付かれたハルナが、死にとりつかれた一郎により「生きてる若草さんが好きだ」と言うことが本作の救いであると言えるでしょう。まあ噂好きの友人たちが最も一般的で一番気楽なのかもしれないですけどね。

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