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2018
03.01

思いを背負え、天命に抗え。『悟空伝』感想。

goku_den
悟空傳 Wu Kong / 2017年 中国 / 監督:デレク・クォック

あらすじ
がんばれ二郎さん。



天上の神、上聖天尊により生まれ故郷の花果山を滅ぼされた孫悟空は、復讐のため万物の宿命をつかさどるという天機儀を破壊するべく天界へ向かう。しかし立ちはだかる護衛の神たちとの戦いで、悟空はその神たちと一緒に地上へ落とされてしまい……。「西遊記」を題材とした伝奇アクション。

女神の上聖天尊がすべてを統治していた時代、天宮にやってきた孫悟空が一大バトルを繰り広げるという中華伝奇ものです。原作は中国のネット小説とのことで若干ナメてたんですが、いやこれが近年の西遊記もののなかでも群を抜いた熱さ!原典を大胆にアレンジした物語はよく知る西遊記とは全くの別物(ちょっと前日譚っぽさがある?)。最初こそヌルめのコメディかと思うものの、相容れないと思われた男たちが村人を救うために手を組んで事を成し遂げる『マグニフィセント・セブン』的なドラマに高揚するし、お馴染みの孫悟空へ次々と繋がっていく仕掛けの数々にはシビれまくり。そして自らダークヒーローの道を選ぶ悟空の悲哀と気迫。アクションの派手さも極上ですよ。

孫悟空役のエディ・ポンは『コール・オブ・ヒーローズ 武勇伝』で「悟空みたい」と言われていたのが本当に悟空になったのが面白いんですが、腕白さを見せつつシリアスな場面もこなしてて実に良いです。悟空と関わることになるのは『インファナル・アフェア』ショーン・ユーの演じる封神演義でおなじみ二郎さんこと楊戩、オウ・ハオ演じる天界の守護神の天蓬、チャオ・シャン演じる天界の学生(?)の捲簾などが登場。また女性陣は、勝ち気な跳ねっ返りがスー・チーを彷彿とさせるニー・ニーの阿紫、美しくも儚げなジェン・シュアンによる阿月、妖艶で冷酷な権力者であるフェイ・ユーの上聖天尊などが魅せてくれます。

監督のデレク・クォックは『西遊記 はじまりのはじまり』の共同監督ですがコメディ色は結構薄めで、その続編である『西遊記2 妖怪の逆襲』や別シリーズ『西遊記 孫悟空vs白骨夫人』ほどアドベンチャーやロードムービーという感じでもなく、独自のシリアスさで展開します。原典はあるものの『西遊記 ヒーロー・イズ・バック』に劣らぬオリジナリティ。強大な力にそれでも立ち向かうのか、決められた運命にどう向き合うのか、といったドラマに燃えます。

↓以下、ネタバレ含む。








最初は名乗りを邪魔される悟空とか阿紫と捲簾のやり取りなど、花果山を滅ぼされた復讐に来たわりにはなんだかのほほんとしてるんですが、そのなかで天機儀により運命は決まっている、花果山の消滅も運命だったのだと語られます。この「決められた運命に抗う」というのがテーマになってくるんですね。阿紫は上聖天尊の娘であり、母のやり方に反感を持っているものの相手にされません。楊戩は天人と人間の子として必死で居場所を守ろうとし、天蓬は下界に落ちた愛する女性、阿月のことを忘れられず日々を過ごしています。そんなところに孫悟空がやってきて、まずは派手に日常をブチ壊そうとするんですね。悟空は変化の象徴として登場すると言えます。悟空自身も天機儀を破壊するという目的があり、これは運命への反抗そのものです。

そんな彼らが下界に落ちて、妖雲に苦しむ人々を団結して救おうとするのがその反抗の第一歩になります。大型武器の破壊力でブチかまそうとする悟空、機動性で確実に仕留めようとする楊戩、その間で苦労する捲簾、皆を取りまとめ村人たちと交流を図る阿紫。天蓬は阿月に再会し、記憶をなくした彼女をそれでも守ろうとします。いがみ合っていたやつらが同じ目的に向かいそれぞれができることをやろうとして、村人たちもそれに呼応するように活気を取り戻していく、この準備過程の描写が丁寧でかつ熱いですね。夕霞を模した布の波の美しさも素晴らしい。阿紫を悟空に取られて傷心の楊戩も、ボケた婆さんがいるので寂しくないぜ……と思ったら正気に戻った婆さんが息子じゃないと知りながら芋を渡したり、楊戩が母への思いを語ったりして泣かせます。あと捲簾がただのデブじゃないのが美味しい。そうしたドラマを経たのち、妖雲を誘い込み攻めて捕らえるという前半のクライマックスへと繋げることで、運命に逆らうことだってできるんだ、というのを示そうとするんですね。

しかし上聖天尊は想定外のことを許さず、わざわざ村までやってきてこれを全滅させます。ここでの天部衆は悪の組織感がスゴい。上聖天尊はアーチャーなみに大量の暗器を飛ばすとんだラスボスであり、悟空たちは打ち勝ったと思われた運命に再び屈することになります。子供を守ろうとして氷弾の犠牲になる捲簾。子供が助かったという阿紫のウソが泣けます。天篷は再び阿月を失い、楊戩は成すすべもなく、阿紫は母の束縛から逃れられない。悟空は捕らえられ、天命には逆らえないと悟り遂には砕け散ります。一度希望を示したあとでドン底まで突き落とすんですね。それだけに天命に逆らう者として自ら妖魔を名乗り恐ろしい姿で舞い戻る悟空の覚醒には、バックに流れる京劇風の曲の待ってました感も相まって激アガり。本当の姿を晒し、顔にペイントしながら天へと向かう姿は、仲間や村人たち、果花山や夕霞など失ったものへの後悔と奪った神への怒りに満ちており、まさにダークヒーロー。シビれます。

そして様々なものが孫悟空という人物を形作っていくという見事さ。「力を合わせて雨を降らそう」と書いたのぼりの頭文字だけが残り「斉天」になる、これはもちろん悟空の別名、斉天大聖を示しています。そして妖魔であることを是とした悟空は妖雲に乗って飛んでいく、つまりこれが筋斗雲であり、悟空を縛っていた緊箍児(きんこじ)は棒の縁を彩って如意棒となるんですね。思えばよく知る西遊記の話ではないものの、どことなくおなじみの三蔵一行のような雰囲気も感じさせていたな、と気付きます。悟空を御しながらも信頼を寄せる阿紫は三蔵法師のようだし、猪八戒のような体型の者や沙悟浄のような武器を持つ者もいます。きっちり重なるわけではないですが、実際「天蓬」は『西遊記 ヒーロー・イズ・バック』にも出てきたように妖怪になる前の猪八戒の名だし、「捲簾」も調べたら妖怪になる前の沙悟浄の名前なんですね(キャスティングはどう見ても逆ですが……)。最後に上聖天尊が乗り込む巨大仏ロボなどは、悟空を苦しめる大日如来そのもの。そういったリンクのさせ方も楽しいです。

終盤の粋な演出の数々もイイ。悟空が炎を使うのは天部衆が氷を使うのと対になっているし、駆けつけた天蓬に悟空が一言「来たか」と言って背中合わせに戦うのも超カッコいい。悟空が砕ける前に阿紫が「土の塊みたい、醜い、大嫌い」と言ったのは、天命を受け入れてしまった悟空への檄だったのだというのが、本当の姿を「醜いだろ」と言う悟空に「私は好き。可愛い」と返すことからも伺えます。序盤で阿紫がいきなり悟空といい雰囲気なのは唐突ではありましたが、阿紫は「石心」である悟空の硬い心を解きほぐす存在であったのでしょう。天眼を開いた楊戩は悟空と対峙するものの、彼もまた阿紫に救われた者として本当に倒すべき者を見定めます。そうして巨大仏ロボに対し、超巨大如意棒を駆け上がって端で振り上げての悟空の渾身の一撃。最高です。

楊戩が天界に残り「今後は私は神に、お前は妖魔になる」と言う仲間との決別の苦さ。そしてそれを受け入れる悟空の決意。本作はなじみの西遊記ではないもののその世界観を巧みに取り入れながら、運命に逆らい修羅の道へと旅立つ孫悟空という男の物語として、見事に成り立っていると言えます。

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