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2018
02.04

死への諦観に隠された思い。『ルイの9番目の人生』感想。

The_9th_Life_of_Louis_Drax
The 9th Life of Louis Drax / 2016年 カナダ、イギリス / 監督:

あらすじ
大人になんてなれないよ。



毎年のように事故にあい生死の境をさまよってきた少年ルイ・ドラックスは、9歳の誕生日に崖から転落して意識不明の重体になってしまう。担当医のパスカルは必死にルイを救おうとするが、両親やパスカルなど周辺の人々の身に不可解な出来事が次々と起こり……。リズ・ジェンセンの小説をアレクサンドル・アジャ監督で映画化したミステリー。

難産による出生に始まり、全身骨折、感電、食中毒など、毎年死にかけるほどの事故に遭い、自身も大人になるまで生きられないとさえ思っている少年、ルイ・ドラックス。ついには崖から海へ転落して昏睡状態になってしまいます。意識のない少年ルイがそこから遡って語る家族の風景がどこかぎこちなく、変則的な時系列の巧みさにより徐々に高じていく不穏さ。やがて彼の周りで起こる不可解な謎や、失踪した父の行方、翻弄される医師など、捻れた愛情と本当に求める思いが交錯していきます。ホラーやファンタジーのテイストも盛り込みつつ、伏線も巧みでこれは良いミステリ。しかも最後は思いがけず爆泣き。

少年ルイを演じるエイダン・ロングワースのちょっと小生意気な感じが役柄によく合っていて、涼しげな表情で達観した雰囲気と、そこに押し隠された思いのバランスが良いです。父親役の『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』『エクソダス 神と王』アーロン・ポールが醸し出す若干のワイルドさ、母親役の『複製された男』『ドラキュラZERO』サラ・ガドンがもつ蠱惑的な美しさも上手い具合に作用。担当医パスカル役の『ハイドリヒを撃て!』『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』のジェレミー・ドーナンの善人なだけに惑わされるのや、『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』のオリバー・プラット演じる精神科医も良い感じです。

ルイのひねくれた物言い、斜に構えた態度、大人にはなれないという諦感、手紙の文面。これら全てに意味があるんですね。『ホーンズ 容疑者と告白の角』『ピラニア 3D』などでのホラー風味を上手く組み合わせつつ、新たな深みのある作品を作り上げたアレクサンドル・アジャ。面白いだけでなくとても響きましたよ。

↓以下、ネタバレ含む。








実写のクラゲの周囲を泳ぐイラストの海洋生物たち、という現実と虚構が入り交じったようなオープニングが、フワフワと頼りない実生活とルイが思い描く幻想的な世界との融合を思わせます。その不思議なイメージは物語中にも滲み出し、なぜ昏睡しているはずのルイから手紙がくるのか、何度も夢の中に出てくる謎の海草男(なんと呼べばいいのか困りますが)は何者なのか、その夢がパスカル医師に伝播するのはなぜか、といった謎めいた展開をもたらします。ただ何かが不自然だと思わせながらも結構軽い感じで進むので、この話の一番の謎は何かというのは実はよくわからないまま話を追っていくことになるんですね。そのなかでミスリードと伏線が絡み合っていき、そこにホラーライクなファンタジー描写が挟まれるので、ますます翻弄されます。

セラピーのドクター・ペレーズが最初に椅子をキーキー鳴らして嫌な印象を与えるのは彼が信用ならないのではというミスリードであり、実際は手紙を読んで「ルイの声だ」と言うように少年のことはよく把握しています。ルイが「本の催眠術の話が面白かった」と言うのにはドクターの胡散臭さを感じさせられるものの、こちらはラストへの伏線なんですね。また父ピーターが行方をくらませたのは彼がルイを突き落したのではと思わせ、彼が元ボクサーの腕っぷしの強さを見せるところに暴力性を滲ませるのと合わせてミスリードですが、実際は海草男のくだりがピーターの末路を語る伏線でもあります。またピーターが元妻に会ったときにルイは「顔が青くなった」と言いますが(子供って言うなと釘刺しても言っちゃうね)、元妻夫婦の中国人の養子の方が「幸せそう」とルイが言うのは、そこに両親のまともな愛情を感じたからという伏線なのでしょう。

ルイの言う「ママは美人だから中身もいい人だと思ってしまう」というのが彼女の周囲の男たちが騙される理由であり、物語においても最大のミスリードの要因となっています。見舞いにきたナタリーがルイの相手もそこそこにパスカル医師を散歩に誘う辺りから「アレ?」と思うし、そもそも病院にネズミを連れてくるのが常識を欠いているし、息子のことは何も話さずパーティでやたらと明るいというのも不自然。それでも彼女に翻弄されるパスカル医師同様、夫婦関係が上手くいってないのだろうとか寂しいのだろうとか、何となく理由を考えてしまうのは男視点だからかもしれませんが、それだけサラ・ガドンが魅力的ではあるんですよ。パスカルが病院中にバレるような状況で簡単に誘惑に負けてしまうのも、妻との不仲はあるにしろ美人に言い寄られて理性を失う男の愚かさがよく出ています。さすがに病院のなかで鍵もかけず窓もある部屋でファックというのは愚かすぎますが……。

海草男がするコウモリの話、オスが同情を買うことが好きだったメスの方にいってしまう、というのはピーター自身の話であるというのが、夢の洞窟の中で壁にある家族の名前がナタリーとルイであることから判明します。父ピーターが結婚したのもルイが死にかけたときの同情がきっかけ。もはや同情を持たないピーターはナタリーにとっては愛情の対象ではなかったのでしょう。元妻と会ったことでナタリーが動揺するのは、ひょっとしたら元妻と別れたことを後悔するようなことを以前に言われたのかも。ピーターが海辺の洞窟で1、2週間生きていた、というのが海草男の連想の元なんでしょうね。なぜその連想があったのかは何だかスピリチュアルであったり、解剖シーンで開胸されたアーロン・ポールを映すというエグさがあったりするのところにアジャ監督らしさを感じます。

そんな両親の不仲はルイに悲しみを与え、ナタリーが死にかけたルイを介抱することを望んでいることを察したルイは自ら死へと進んでしまいます。ルイが「大人にはなれない」というのは単なる諦感ではなく、母を思うが故の人生の選択であり、あまり良い子には見えないルイの態度こそがミスリードになっているのです。パスカルに夢遊病で書かせた手紙に「近付くな」と書いたのは母を守るためではなく、その母の本性を知っていたからこそパスカルに向けた警告だったんですね。しかし夫以外男を知らないというのも嘘、祖母の言い方だと他もことごとく嘘だというのをパスカルが知ったときには、既に手遅れなのです。パスカルとは逆に色々と察している女刑事、「ファックした?」ってのがスゴいですが、ここは女性だからこそ見抜いてる感じがイイですね。ピーターが見つかるまでやめといた方がいい、というのはまさにその通りだったわけです。

催眠術でパスカルを使い喋りだすルイ、というのはちょっとオカルティックではありますが、ここに至るまでミステリアスな雰囲気が十分効いているのでそこまで違和感はなかったです。自ら語るわけにいかなかった母の実情も、他人の口だから言えたというのはあるでしょう。結果、精神疾患であったナタリーは施設に入るものの、既にパスカルはナタリーから逃れられない運命。そしてなぜルイが何度も死にそうな目にあってきたのかというのが最大の謎であり、それは解決されたわけです。しかし本作の本当のテーマは死からの解放などではなく、実の親子ではないピーターとルイが互いを思い合うということです。「戻らないのか?」という父の言葉に「パパのいない世界に?」と返すルイ。そして明かされる、父が去って行くときの「いつも一緒だ」「お前は強い」という涙ながらの言葉。時系列を巧みに入れ替えるという仕掛けが最後のこのシーンで感情の揺さぶりをかけてきて、とんでもない瞬間最大落涙量。振り返ればこれは父を思う息子の物語であったのです。そしてルイに「9番目の人生だ」と告げる声が父ピーターだったのだとわかったときに、目を覚ますルイ。悲しくも前向きなラストに深い余韻が残ります。

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