2018
01.13

疾走する妄想、シンクロする現実。『勝手にふるえてろ』感想。

katteni_huruetero
2017年 日本 / 監督:大九明子

あらすじ
絶滅すべきでしょうか?



OLのヨシカは中学の同級生「イチ」への想いを引きずっており、脳内で彼のことを妄想する日々。そんなとき同僚の「ニ」から突然告白されるが、いまいち乗り気になれない恋愛素人のヨシカは、イチに再会するため大胆な計画を立てる……。綿矢りさの同名小説を松岡茉優の主演で実写映画化。

古代の水棲生物が好きで妄想癖の強いヨシカ。12年間片思いの「イチ」を脳内に引っ張り出しては思い出にふけりますが、引っ込み思案だったヨシカは視野の端っこでイチを追う必殺「視野見」で見ていただけ。そんなとき同僚の「二」が彼女と付き合いたいと言ってきます。脳内彼氏か現実彼氏かで揺れるヨシカ……という感じで、ラブコメディ的な設定とヨシカの妄想で進んでいく本作。ところがコメディだと思って観ていたら、不意に妄想の裏にある苦悩に心抉られ、笑顔の裏にある涙に打ちのめされることになります。この落差はもはや凄惨と言っていいほど。アガったと思ったら叩き落とされ、理想を追い続けることの楽しさと現実と折り合いを付けることの難しさに疲弊し、やがて自分自身と向き合わざるを得なくなるヨシカの姿は、必死で己を取り繕ったり妄想に逃げようとしたことがある者なら刺さりまくるでょう。

ヨシカ役は『ちはやふる -下の句-』で強烈な印象を残した松岡茉優。これが初主演とのことですが、実に巧みな演技に圧倒的な存在感でとにかく素晴らしいです。卑屈さと嘘と虚勢と逃避にがんじがらめのヨシカが可笑しくて悲しくて愛おしい。「は?」の言い方のバリエーション、「なんで?」の言い方の激可愛さ、もう大好き。ヨシカを惑わす二人の男は、「イチ」役が「DISH//」のボーカルで『君の膵臓をたべたい』の北村匠海、「二」役が黒猫チェルシーのボーカルで『渇き。』の渡辺大知と、どちらも歌い手なんですね。またヨシカの同僚で友人の来留美役に『ミロクローゼ』石橋杏奈のほか、『太陽』の古舘寛治や『シン・ゴジラ』の片桐はいりなどの個性派が脇を固めます。

原作は未読ですが、実に映画ならではの面白さに満ちています。思いの強さとままならない現実との差異、あるべきに思えた関係が反転する恐さ、絶滅した生物に自分を重ねてしまう悲しみ。もうホントにヨシカの幸せだけを願って観てましたよ。振り返って気付く多層的な構造も素晴らしい。そして何度でも言いますが、松岡茉優は最高です。

↓以下、ネタバレ含む。








■ヨシカという女性

イチを視野見した時の思い出を引っ張り出しては妄想にふけり、滅んだ生物の情報をWikipediaで読みふけり、上司はフレディ呼ばわり、イケメンエリートは出来杉呼ばわり、つまらない飲み会をなか抜けして「ファックファック!」と、前半はコメディとして魅せまくる松岡茉優。やたら歯磨きシーンが多いのがヨシカの日常に迫っている感じがして一体感を促すし、購入したアンモナイト(デカい)と共にその過去に思いを馳せるときに水音が聞こえますが、それだけ深く妄想に沈める人物というのもわかってきます。

だから鬱陶しいことを言う二に「は?」と半ギレするのにも「もっと言ったれ!」と思うほど。ただ、そうしてヨシカにシンクロしていくうちに徐々に違和感も感じてくるわけです。最初は町の人々に次々と話しかけ楽しそうに喋りまくるヨシカに、結構コミュ力高いな、仕事は仕事として割りきってるけどプライベートは結構楽しいんだな、なんて思ってしまうのが実はトラップであり、とんでもない喪失感を味わうことになります。そんなのも含めていちいち演出が面白いのも本作の魅力です。


■シンクロする演出

ボヤで死にかけたことで死ぬ前に行動することを選ぶヨシカの、日本不在の元級友を騙ってまでイチと会おうとする姿は実にいじらしく、実に痛々しく、本当によく頑張った!みたいな気持ちになるので、東京に戻ってからイチに会うときマンション内まで入ってくる二には「超ウザい!」と思うし、カレンダーの裏に中学の頃のオリキャラを描き殴るのにはせつなくてツラくなります。だから他の女の誘惑を振り切ってヨシカの前に戻ってくるイチにときめき、オリキャラはイチがモデルだと告げる進展にドキドキし、ベランダでアンモナイトの話題で盛り上がるのにはもうキュンキュンしまくり。なのにヨシカの表情が一瞬固まったとき、そう言えばイチが「キミ」としか呼んでないということに、ヨシカと同時に気付いちゃうんですよ。いやほんと、そこまでこちらとヨシカをシンクロさせますか大九監督。

しかし別にイチが悪いわけではなく、ヨシカの「皆の人気者」という認識もイチにしてみればいじめのようなものだったし、誰よりもイチを見ていたつもりのヨシカに「キミだけが僕を見ていなかった」と言うように、ヨシカはイチのうわべしか見ていなかったわけです。恋する気持ちは嘘ではない。でも現実のイチに向き合うことができなかったヨシカに、12年経って現実は襲い掛かるのです。その襲い掛かる現実が、歌うヨシカによって観てる者をも切り刻んでくるという、ここでもシンクロの妙を食らうことになります。

妄想のときと実際の話し方が微妙に違うのもあり、町の人々と話すシーンは妄想なのだなというのは途中で察するんですが、仲良さげに話していた姿と、言葉どころか視線さえ交わさない現実の姿とのギャップには打ちのめされます。「友達なんていない」というのも妄想だから明るく言えていた、しかも「そんなことない」と妄想に言わせるという悲しみ。「透明になったみたい」という台詞に凝縮された絶望。凄まじい。思えば冒頭でカフェのお人形のような店員の前で泣くところには「二人の男の間で揺れ動く話なのかな」と思うわけですが、実はこれが現実と妄想の彼氏について妄想の娘に現実のヨシカが嘆くという、本作を象徴するようなシーンだったわけですね。


■ウザさと正直さ

最初は超ウザい二が、ひたすら正直であることが描かれていくうちにだんだん好感度が上がっていくのも、ヨシカの二に対する気持ちとシンクロしていると言えるでしょう。しかしよくよく振り返ってみると、二はヨシカ視点だからウザかっただけで、実は最初からずっと変わっていません。二の視点に立ってみるとまた違う世界が見えてくるのです。仕事中のヨシカの邪魔をするのはどうしても話をしたかったから。飲み会を開いてもらうのはきっかけを作れない現状を必死で打開するため。クラブに行きながら「うるさい」と騒ぐのはちゃんと話したかったから。ホテル街に行くのは吐ける場所を求めていただけでしょう。釣りなどのレジャーはヨシカが経験したことのないことをさせてあげたかったからで、夜景や橋をキレイと言うのはロマンチストだから。タワーマンションまで入ってくるのはどうしても見過ごせなかったからだし、付き合うとなったらさりげなく下の名前で呼ぶのはそれだけ嬉しかったからでしょう。いちいちリップクリームを付けるのはさすがに期待があったんでしょうが、いざというときに唇が荒れてるよりはマシですね。つまり二の行動原理は全てが「ヨシカが好き」という思いからなのです。

二と付き合うことにしてようやく心の平穏を取り戻したかに思えたヨシカは、しかし二が来留美から自分の情報を聞いていたことを知り、再び絶望に打ちのめされます。ヨシカにしてみれば誰とも付き合ったことのないというのはコンプレックスであり、ニはそれを見透かして自分を取り込もうとしたと思え、来留美には信頼して打ち明けたのに秘密をバラしたと思ってしまう。現実を受け入れようとした途端に現実から裏切られたと思い込むわけです。何もかもがどうでもよくなった結果、あれだけ脳内召喚していたイチさえも脳内からいなくなる、つまり妄想力さえも効かなくなります。妄想は人を孤独から救うものでもある、というのがよくわかります。妊娠したという嘘も処女であるというコンプレックスが飛躍したもの。やりすぎだとは思うものの、それでもヨシカに寄り添ってしまっている観客としては一緒に堕ちていくしかないのです。仕事中に突然奇声を上げたくなる、わかるよ……みたいになっちゃうんですよ。


■ふるえる日々の終わり

卑屈になり、嘘をつき、被害妄想に囚われて全てから逃げ出したヨシカに、それでも連絡をしてくる来留美。彼女にしてみれば秘密をバラしたつもりはなく本当にヨシカのためを思ってのことだろうし、二はそれを真摯に受け止めて接し方を考えていたのでしょう。妊娠したと言って会社を去るヨシカを見る二の表情ももっともなわけです。でも目を背けていたりどうでもよいと思っていたりした現実こそが実は重要だということは、既にヨシカもわかっているんですよね。あれだけ酷いことを言ったのに連絡してきた来留美。妄想でしか話さなかったオカリナとの、壁越しのコラボで感じる現実の交流。そして今だからわかる、二の赤い付箋というプレゼントが狙いすぎたロマンではなく、それだけ出会ったことへの感謝を意味していたのだということ。だからこそヨシカの心の声が留守電のメッセージとして「イチは消去、二は保存」として聞こえてきます。

思えばイチも二もヨシカのことを「変わった人」と言いますが、その後に続くのがイチは「自分と話してるみたい」なのに対し、二は「だから好き」なのです。その違いは、相手をちゃんと見ているかどうかということ。ヨシカが見ていたのは結局自分の作ったイチであり、二のことはキープの相手くらいに思ってちゃんと見ていなかったんですね。そしてちゃんと向き合ったからこそ、「二」はついに「霧島くん」という名前を得るのです。ラストにヨシカが放つ「勝手にふるえてろ」という台詞、それは現実と向かい合うことを恐れて震え続けていた自分への言葉なのでしょう。一方的に愛するのではなく互いに愛しあうことを受け入れたヨシカは、絶滅への恐れから解き放たれたのです。

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