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2018
01.04

出会いは宇宙の神秘。『パーティで女の子に話しかけるには』感想。

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How to Talk to Girls at Parties / 2017年 イギリス、アメリカ / 監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル

あらすじ
パンクボーイ・ミーツ・スペースガール。



1977年のロンドン、パンクロック好きの冴えない少年エンは、たまたまもぐり込んだパーティで出会った不思議な少女ザンに惹かれる。しかし二人が過ごせる時間は48時間だけだった。大人たちが決めたルールに反抗して逃避行を行う二人だったが……。『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のジョン・キャメロン・ミッチェル監督がニール・ゲイマンの小説を元にした青春パンク・ラブストーリー。

個人的には音楽と恋、というだけで青春ど真ん中テイストを感じてしまうんですが、そこへさらにSF要素まで絡んだら強力すぎる、というのが本作。パンク大好き少年エンが、パンクバンドの打ち上げと間違えて二人の悪友と潜り込んだパーティ会場、そこで出会ったミステリアスな少女ザンと恋に落ちちゃったものの、実は彼女は遠い惑星からやってきた宇宙人だった!というお話。このあらすじからしてたまらんですが、70年代パンクファッションの若者たちとラテックス製全身タイツな宇宙人たち、という衣装の対比の愉快さに、カルチャーギャップによる喧喧諤諤な大騒動もありつつ、わずか48時間のあいだで綴られる愛の軌跡、そして成長譚を見せてくれます。

ザン役は『ネオン・デーモン』『夜に生きる』エル・ファニング。異星人ならではのエキセントリックな言動もキュートで可愛さがとどまることを知りません。いつも思うんだけどエル・ファニングは首が長い。でも可愛い。エン役は舞台でトニー賞を受賞したアレックス・シャープ、内気で冴えないパンク少年の風貌から言動まで瑞々しい。パンクロッカーたちを束ねるボス的存在のボディシーア役を『LION ライオン 25年目のただいま』『パディントン』などのニコール・キッドマンが演じ、かなりのベテランなパンキッシュっぷりを見せてくれます。また本編に出てくるパンクバンドのディスコーズは本作のために結成されたんだそうで、どこか懐かしくも勢いのあるパンクナンバーを聴かせてくれます。

パンクとは何か、価値観とは何か、守るべきものは何か。そんな思いを感じさせつつ、青春直球の疾走感とサイケで奇妙な宇宙人たちとのやり取りが、ときに愉快でときにせつない。出会いと別れという人生の苦さまで包括し、テクニカルでありながらエモーショナルです。

↓以下、ネタバレ含む。








パンクは反体制的な詩を持つ音楽として語られますが、広義では決められたルールに抗う自由な精神を指すと言っていいでしょう。エンのパンクに対する姿勢はまさにそれで、現状をブチ壊したい欲求をパンクロックで満たそうとしています。ただエンのそれは思春期特有の域を出ておらず、ボディシーアのように生き方がもはやパンク、というところまではいってません。パーティで女の子に話しかけることさえ上手くできず、顔見知りの娘に「一緒に歌ったよね」とか言ってパンクのライブハウスで合唱曲を高らかに歌いあげる始末。要するにまだ経験も思慮も足りないわけですが、そんなときに全くの異文化をもつザンと出会い、自分のパンク論に共鳴されて、しかも彼女も現状を壊したがっている、さらに超カワイイとくればホレるなという方が無理ですね。無理です。エル・ファニングだし。

ザンのエンに対する行為は異星人なだけに突拍子もなく、それがまた新鮮(と言うか斬新)なため、余計ドキドキしちゃいますよ。いきなりキスゲロだし、顔は舐められるわ脇を触らせられるわチン○をじっくり観察されるわで、これぞパンク!となってもしょうがない。しかしザンもまた決められたルールに異を唱えてそこから脱しようとする点でエンと同じです。ザンの場合は一族が絶滅の危機に瀕しており、それは親が子を食べるというどう見ても先細りな共食い行為によるもの。多くの仲間はそれが決まりだからということで受け入れていますが、ザンは違うわけです。一方でボディシーアは子供をもつことを諦め、子孫を残すという選択肢を放棄しています。親は多くを諦め子供に与えそして手放す、ということへの反抗なのでしょう。それもまた進化か絶滅かという選択の結果と言えますが、自ら選択したという点で異星人たちとは異なります。

サイケな異星人たちは地球見学に来ており、エンの友人をアナル攻めしたり分裂したりして研究熱心(?)であるものの、自分たちのルールを曲げようとはしません。エンにしてみればザンを取り返そうとする彼らの行動は理不尽でしかなく、似たようで違う存在として際立ちます。異星人をアメリカ人呼ばわりするシーンがありますが、似て非なる文化としてイギリスとアメリカの対比を持ち込んでいるのかもしれません。それでもそんな互いの文化を受け入れようとする者はいて、エンの太いほうの友人は異星人たちの音楽(これもスペーシーと言うかスピリチュアルと言うか、面白い)に躍り狂います。彼は乳首が三つあるという特殊な体の持ち主ですが、それがかえって垣根を越える者という立場を強めているよう。もう一人の遊び慣れてそうな友人は調子よくベッドインしようとするものの、彼らを受け入れられずに逃げ出します。そんなところからも他文化に対する多様性が出ていると言えます。

結果的にザンはエンとの子を守るため、彼の元から去ることを選びます。それは人生には選べる自由があるが全てを選べるわけではない、という苦さでもあります。多様性と他者を受け入れることを描きながらも、どうしても立ちはだかる現実の壁。しかし屋上から飛び降りる際にザンが告げる愛の言葉は、そんな現実の壁を越えようとする意思の表れでもあるでしょう。壁を汚したりステージに乱入したり、求めあったり嫉妬したり、そんな二人の短すぎる逢瀬はそれでも忘れがたい思い出を残し、ラストで成長しイラストレーターとして成功したエンの前に確かな愛の結晶として現れるのです。

本作はSFの形を取ることで特異な設定と映像で引き付け、パンクを通すことで選択することの重要性を示し、両者の融合として時空を越えた普遍性をも見せてくれます。パーティで女の子に話しかけるというのは、つまりは自分の知らない世界の扉を叩くということ。そしてそこから世界は拡がっていくのです。

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