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2017
12.07

僕や家族やあなたの物語。『KUBO クボ 二本の弦の秘密』感想。

Kubo_and_the_Two_Strings
Kubo and the Two Strings / 2016年 アメリカ / 監督:トラヴィス・ナイト

あらすじ
本日のメニュー:鯨汁(激マズ)



中世の日本、母と二人で暮らす少年クボは、魔法の三味線で折り紙を操る芸を見せて暮らしていたが、ある日彼を狙う一族に見つかってしまう。母によって逃がされたクボは、守護者である喋るサルとともに「3つの武具」を探す旅に出ることになるが……。第89回アカデミー賞で長編アニメーション部門にもノミネートされた、ライカによるストップモーションアニメ。

『コララインとボタンの魔女』『パラノーマン ブライス・ホローの謎』などのアニメーションスタジオ・ライカが、日本を舞台にした作品を作るということで期待していましたが、これが期待以上の出来。病んだ母と二人暮らしの少年クボは、魔法の力で三味線を弾くことで折り紙を自由自在に操り、これを見せて生計を立てていますが、日が沈むと活動する月の一族に追われる身。しかし亡き父と話したいと灯籠流しに参加した際に、うっかり日暮れになってしまったために一族の闇の姉妹に見つかってしまいます。クボはこれに対抗するため、母の言う3つの武具を探す旅へと出ることに。

ストップモーションアニメということで人形を一コマずつ動かして撮るという気の遠くなるような制作過程で作られているのですが、その結果人形には命が吹き込まれたと言っていいでしょう。過去のライカ作品を凌駕する滑らかな動きを見せて、もはやCGアニメと区別が付かないほど。微妙な表情の変化もいちいち顔のパーツを付け替えて撮ってるそうで、その手間を考えるとクラクラしますが、それによりキャラクターの心情なども見事に表しています。さらにアクションも時代劇の剣戟や香港映画の空間バトルなみにいちいちイカすし、クボが遭遇するめくるめく冒険の数々はスリリングで楽しく、そして心揺さぶる家族の物語に泣ける、と実に多層的。

キャラクターは敵も含めてみな魅力的。声を当てるのは、クボ役が『カリフォルニア・ダウン』の兄弟の弟くん、アート・パーキンソン。繊細で勇敢なクボの声に合ってます。クボと行動を共にするサル役は『アトミック・ブロンド』シャーリーズ・セロンで、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』で見せたフュリオサっぽい「守る者」な感じがイイ。同じくクボのお供となるクワガタ役は『インターステラー』のマシュー・マコノヒー、泰然としながらどこか謎めいた感じは『MUD』に通じるものがありますかね。ほか、クボたちを追う闇の姉妹役に『キャロル』のルーニー・マーラ、月の帝役に『グランド・ブダペスト・ホテル』のレイフ・ファインズと豪華。あとジョージ・タケイとケイリー=ヒロユキ・タガワというハリウッドで長年活躍してきた日系俳優が出演してるのも嬉しいところ。

日本描写も実に細部まで凝っていて文句なし、三味線を使った音楽も心地がよいです。そして『パラノーマン ブライス・ホローの謎』でも描かれた「物語を紡ぐ」という観点をさらに押し進めた展開も秀逸。エキサイティングでありながらドラマチック、せつなさもありながら暖かい。そしてクライマックスに判明するタイトルの意味には涙。素晴らしいです。三味線弾いてみたくなるしコマ撮りアニメを作りたくなるけどどっちも無理なので、せめて折り紙を折りますかね。

↓以下、ネタバレ含む。








■動きへのこだわり

「まばたきするなら今のうちだ(if you must blink, do it now)」という冒頭の台詞からしてシビれるんですが、その言葉はそのまま本作を観る際にも当てはまると言えるでしょう。すぐ後に続く波の激しさと、それを割る力強さにいきなり圧倒されるし、クボが魔力で操る折り紙芝居は最初に折り紙がワーッと舞い始めた瞬間からもう虜になりますよ。折り紙ハンゾウが丁々発止の活劇を見せながら時にはペラ紙に戻ってすり抜けたり、鳥が吐く火や尻が開いて飛び出す卵、サクサク切れていく巨大魚、武具を隠すように回る紙の壁など、折り紙らしさを随所に仕込んだ工夫と造形はそれを見て喜ぶ村の人たち同様に楽しい。造形と言えば、サルの毛なみが風に吹かれて一枚一枚動くのには唸るし、動きまくる巨大髑髏ら妖怪変化にはスペクタクルを味わうし、木の葉で作った船の細かい造形には感心します。

クボは三味線を弾く姿がギターを抱えたロックスターなみにサマになっててアガるものがあるし、小さい体で隙間を抜けていくのも動きとしてのバリエーションになってきます。サルはジャンプ力を駆使した立体的な動きが面白く、刀を鎖で防ぐというアクションが細かく、ギリギリで刀を掴めないというのはスリルで、それ以前に毛繕いしたりするサルっぽさの描写も実にサル。クワガタはガタイのデカさによる包容力がありつつ、4本の手を駆使した近接攻撃から弓矢を使う遠距離戦闘まで動きの幅が広いのが魅力ですね。人形を動かしていくことで作品を作り上げるためか、とにかく「動き」に対するこだわりが随所に感じられます。


■そこにある日本

序盤の、辛うじて助かった母子、隠れるような暮らし、折り紙の重要性、壊れた母、それを支えつつ寄り添う息子、というのを、クボが目覚めて町へ出掛けるまでの間に台詞なしで一通り見せるのが結構スゴかったりして、演出も巧み。活気ある町の風景や燈籠の流れる川の夕景、折り紙の鳥が飛ぶ雪原といった美しい背景、破れ寺や洞窟、海底といった不穏な舞台、髑髏や巨大な目、月の帝が変化した巨大魚らクリーチャーなど、美術もとても良いです。日が暮れると不意に別世界が訪れる切り替え方も印象的で、意識の戻った母がはしゃぐようにクボに接するのは和やかさと共に微かな不安もあり、叔母の黒い影が闇の向こうに佇みそれが二人に増えるシーンなどはホラーなみに恐怖です。

日本描写に全く違和感がないのはスゴいです。盆や灯籠といった慣習はもちろん、魚売り、和傘、囲碁などの細かい日常風景に至るまでよく研究してるなあと思います。日本と言いながら若干中国風が混じる、というのがないのも珍しい。字幕の訳が「折り紙小僧」「月の帝」「そなた」「互いを捧げて」などしっかり時代を反映した日本語なのも良かったです。あと魚を切ったら刺身になる、というのが何気にちょっと感激。美味そう。醤油があれば完璧。というか魚切るのに伝説の刀を使っていいのか?というのはありますが……おかん、って感じです。ただ、サルがクワガタにやる「見てるぞ」のジェスチャーが、あそこだけアメリカ映画っぽいのは気になりました。面白いんですけどね。

クワガタは劇中「beetle」と呼ばれます。beetleってカブトムシのことかと思ってたけど甲虫全般を指すようですね。そして主題歌はビートルズの曲です。またその曲名『While My Guitar Gently Weeps』は「僕のギターが静かに泣いているときも」の意味で、それはクボの三味線のことでもあると言えるでしょう。そんな具合に色々と重なっているのも面白いです。


■クボ御一行様

クボたちは月の帝の手から逃げてきたわけですが、月の帝と言うからにはやはり月に住む一族ということなんでしょう。「天上で暮らすのだ」とも言ってるし。それこそ「かぐや姫」を思わせる日本的な設定です。母が「日ごとに心が壊れていく」のは赤子のクボを連れて逃げる際の負傷のせいでしょうが、彼女が夜だけ生気を取り戻すのはやはり月の一族だからですかね。夜になると見つかるというのも月が出る時間帯だからなのでしょう。闇の姉妹は陽のある時間にも動けるようですが、サルに拘束されるのは本調子じゃなかったのかも。サルは母が自分の意識を宿らせたものですが、元が置物だから昼間でも動けるという感じでしょうか。クボが折り紙を操る魔法の力は月の一族である母の血を引いたからで、母が寝ているときに折り紙が宙を舞う描写からもそれは伺えます。

母の魔力はモーセなみに波を割ったり羽を作って飛ばせたりサルの置物に憑依したりと高く、クボのピンチに現れたときの姿などは貫禄もあって超カッコいい。サルになってからは魔力は使えないながら、サル能力を活かしてクボを守ろうとします。危険なことを諌めたり(あと好き嫌いすんなって言ったり)とひたすら守ろうとするのが母親という感じで、もっと息子を信じろと言う父親とは対称的です。やがて魔法は切れるから母であることを言わない、と言うのが悲しい。

一方のクワガタはサルに比べておおらかと言うか、クボが海に落ちたときも呑気に魚獲ってるとぼけた緩さがありますが、記憶喪失のため戦士であることも忘れているわけですね。自分がハンゾウとわかったところで記憶も戻ったのでしょうか、「そなたを探していた」というかつて母に告げた言葉を再び言うところは胸熱。クワガタの正体が判明したところで、最初に灯籠が何も答えなかったのはまだ生きていたからだとか、サルにマッサージされてご満悦なのは夫婦の日常だったのかなとか色々わかりますね。そしてクボを挟んで3人で取った食事は疑似家族的なシーンかと思っていたら、本当の家族の食事風景だったわけです。しかしこれが最初で最後の家族団らんだったんですね(だから2回目に観たときはここで泣けます)。


■月の一族

闇の姉妹はシルエットがスゴく良いんですよ。一人は鎖鎌、一人は二刀流の刀で戦うのも、まあ有り体に言えばカッコいい。クボの叔母に当たるわけですが、仮面を付けているのが心を見せない冷たさとして強調されます。仮面を下半分割られたときに初めて表情がわかりますが、そこに見える口元は怒りに歪んだもので余計わかり合えない感が増すことに。クボたちを追い詰めていくなかで「失ったものは姉だけだ」とか「あなたは一番強かった」とか、随所で微かに残った姉への思慕を伺わせるところに深みがあります。叔母たちにとってはハンゾウは姉を奪った憎き人物だったのでしょう。それもまた一つの物語です。

クボの祖父に当たる月の帝は、クボの片目を奪った無慈悲な男ですが、どうもクボを殺そうとしているわけではないようです。目に見えるものに縛られず、より高次元の存在として迎え入れようということなんですかね。あるいは娘たちを失ったためにクボを後継者にしようとしているのか。どちらにしろ娘たちの喪失には全く触れないので情愛には欠けているようです。見た目はちょっと『スター・ウォーズ』のターキン提督みたいですが、クボの夢の中に侵入したり、ラストはどでかい魚型に変化したりと、さすがのラスボス感。

そんな月の一族に対抗するために、クボは折れずの刀、破れずの鎧、割れずの兜という3つの武具を集めることになるわけで、それがロードムービーとしての楽しさにも繋がっています。ただ、その3つの武具がいまいちクボには役に立ってるように見えないのは残念(刀はサルが結構使いますが)。残念という点では、クワガタが父とわかってすぐさま退場してしまうのは、母に「クボを頼む」と言われた直後なだけにちょっと惜しい気も。それでもクボが三味線パワーで叔母を倒したあと、残された弓と割れたサル人形の悲しさは沁みます。


■語られる物語

本作は物語を語りながらもいつも結末まで語れないクボが、自身の物語を綴っていく、という話でもあります。思えば町の住人との絡みはありながらも、メインで関わるのはみなクボの家族であり、つまり彼が家族との時間、敵対、再会と別れを経て一人立ちをするまでが語られているんですね。クボが母の髪と父の弓のつるを三味線の弦にして祖父を倒すところで、タイトルの「二本の弦」の意味がわかるクライマックスには震えます。そして人にはみなそれぞれの物語があるという帰着。物語の登場人物は失われても思い出となり、その思い出が残った者の力となる。それは高みにいるあまり他者への思いが希薄な月の帝にはない力です。

記憶を失い、自身の物語を失った月の帝は、一人の老人となって佇みます。そんな祖父に「あんたは善人だ」という新たな物語を与える村人たち。そして人々が見せた優しさを受け入れるクボ。悲しみを乗り越えて許すことが、少年をひとつ大人へと成長させます。父と母に別れを告げ、その思い出を胸に刻むクボが、なんと言うかもう、愛しい。そうして暗転しての「おしまい(the end)」という言葉によって、クボの物語がついに最後まで語られたことが示されます。しかしその終わりは、クボの新たな物語の始まりでもあるのです。

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