2017
09.28

少年期グローリー・デイズ。『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1』感想。

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2017年 日本 / 総監督:京田知己、監督:清水久敏

あらすじ
始まりはいつも月曜日。



世界の在り方を変えてしまった大事件「サマー・オブ・ラブ」から10年。辺境の街ベルフォレストに住む14歳の少年レントンは、趣味のリフをやる場所も失って単調な日々を過ごしていた。そんなある日、人型マシンLFOの最古の機体「ニルヴァーシュ」が現れ、そのコクピットから降りた少女エウレカと出会う……。アニメ『交響詩篇エウレカセブン』のテレビシリーズを再構成した劇場版3部作の第1弾。

2005年のテレビ放送から12年、『交響詩篇エウレカセブン』が劇場版として登場。トラパーという目に見えない特殊な粒子や、珊瑚のように地表を覆うスカブ・コーラル、謎の生命体コーラリアンなどが存在する地球。それらの秘密を隠蔽しようとする政府や反政府組織ゲッコーステイトが争うなか、かつて地球を救った英雄と呼ばれるアドロックの息子ながらバッとしない毎日を送る少年レントンが、偶然出会った謎の少女エウレカと心を通わせるようになる物語です。

このレントンとエウレカのラブストーリーという側面、少年の成長譚という側面、星の秘密に迫るというミステリアスな側面と、多層的な魅力が面白くて当時テレビ版も観てました。ロボットアニメとしてのメカデザインも好きで、特に主人公機のニルヴァーシュは車や飛行機形態に変形もするというのが燃えます。そしてサブカル的な観点でも話題になるような様々な要素が盛り込まれており、クールなのに熱い音楽、大空のサーフィンとも言うべきリフ、それをロボットが行うという画期的絵面など、それまでになかったスマートさと言うか、憧れを抱くカッコよさ、みたいなものがあったんですよね。

そんな『エウレカセブン』が年月を経て劇場版となったわけですが、テレビアニメ版の映像を元にしてはいるものの、これが単なる総集編ではありません。まずは新作映像の追加と再撮影。劇中で言及されてきた過去の大事件「サマー・オブ・ラブ」を初めて映像化しており、これがド迫力でスゴい。また物語の設定を変えたり、場面を入れ替えたりして、総集編ではない「今」の物語として再構築しています。セリフもすべて録り直してるようですね。これにより今までとは違う視点がクローズアップされ、新たな物語として提示されます。そして時間を激しく行き来する、一見歪ともとれる特異な構成。そこにあくまで14歳の少年であるレントンの語りであるということが強調されます。読みきれないほどの説明文の付与も、情報とは何かということを思わせて面白い。

色々酷評も目にしたけど、いや面白かった!14歳の少年が駆け抜けた22日程を心の赴くままに語り、そこに大事なもの、大切な人を浮き上がらせます。『エウレカセブン』自体10年ぶりくらいに観たというのはあるにしろ、ここまで新鮮になるとは思わなかったですよ。その分オリジナルとの相違や特殊な構成、追加映像以外はテレビ版のままの画面比率などにノレない人がいるのもわかりますが、僕はレントンに関する「家族」「旅立ち」という観点に絞った作りが良かったし、ジュブナイル感が増している感じもしました。テレビ版未見でもいけるんじゃないでしょうか(結構内容忘れてたけどいけたので)。あと尾崎裕哉(尾崎豊の息子!)による主題歌『Glory Days』がエウレカセブンの曲っぽさがあってスゴく良いです。

↓以下、ネタバレ含む。








テレビ版では詳細は語られなかった、「サマー・オブ・ラブ」がウッドストック(!)で発生するまでを描いた序盤、もうここだけで飲まれてしまうスピードと迫力です。大量のコーラリアンとシルバーボックスが発するビームによるカラフルさ、その激戦のなかを縫ってトラパーに乗り空を駆けるLFOと若き日のホランド、軍人として艦を仕切るタルホ。エウレカと共に作戦を止めようとするアドロック、ホランドと共にコーラリアンと戦う歪む前のデューイ。シルバーボックスの巨大な花のような荘厳な姿、そして鳴り響く音楽。その後の時代に繋がる様々な要素が既にここで提示されるんですね。難を言えば、アドロックの声が古谷徹というのはビッグネームを当てようとしたのかもしれませんが、あの父親の声としてはちょっと若すぎるかな。あとしょうがないとは言えホランドが藤原啓治じゃないのは残念(病気療養のため。徐々に仕事も再開中のようです)。

そして犬から逃げるレントンの現在へと飛び、ここを起点としてレントンの少し前の過去が語られていきます。ベルフォレストでの鬱屈とした日々に嫌気が差し、学校を飛び出してさ迷うレントン。ここでオリジナルと大きく異なるのがチャールズとレイが最初からレントンの養父母だという点で、(じいちゃんが出ないのは寂しいですが)この設定の改変がドラマの中心として効いてきます。特徴的なのは何度も繰り返される「Play Back」「Play Forward」。チャールズ&レイと親子関係らしいレントンが白鳥号を出ていこうとするところを先に描き、その後彼らのヴォダラクとのエピソードや家族となろうとするシーンが映され、そこに復旧中のエウレカ、さらに戻って二人の出会いまで遡ることで、出ていく理由を示します。

この現在を起点とした物語はレントンのモノローグで始まっており、「君」や「彼女」「あの人」などという言葉が出てくるように、誰かに語りかけるという構図になっています。つまりこの戻って進んでを延々と繰り返す時間構成は、現在のレントンが最初こそ整然と話そうとするものの感情が昂ぶって話が行き来する感じを表しており、シーンがあちこち飛ぶのも話したい順番なのだと言えるでしょう。レントンのいないところでのチャールズの「年頃の息子は難しい」と言うシーンもあるので厳密には一人称とは言えませんが、ヴォダラクの少女を結果的に死なせてしまうという浅はかさや、チャールズたちが「パパママと呼んでくれ」で照れる様子、親を知らないレントンが家族を実感する幸せな時間に、元の設定を変えてまで描こうとした「家族」の視点が明確に浮き上がります。

「これがお前の親父の匂いだ」の家族だから受け入れられる言葉、名字がビームスになったときの嬉しさ。それでも守りたい人の元へ駆けつけようとする止められない想いと、名字をサーストンに戻す決意。ピュアで熱くて青春じゃないですか!今作では月光号の仲間たちはほとんど描かれず、ホランドはただの嫌なヤツになっちゃってたり、ニルヴァーシュよりチャールズのスピアヘッドの方が目立ってたりするのは物足りないですが、それだけレントンにとっての家族、居場所にフォーカスしているということでしょう。元をアレンジして違う物語にするのは、オリジナルとはかなり異なる内容となった2009年の劇場版『交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』でもやってました。

あらゆるものに説明として付与される怒濤のキャプションは詳細すぎるうえに読みきれず、もはや情報としての意味を成していませんが、それが情報過多により情報そのものの意味を失わせていて、あとに迸る感情だけを印象に残します。画面がテレビ版と同じスタンダードサイズなのは予算の関係かもしれませんが、結果的に現在からの回想という感じに見えてくる……と言えなくもないです。次回以降どう感じるか?というのはありますが、少なくとも今回は却ってハマってる感じです。

それにしても始まりから22日とかそのくらいしか経ってなかったんですね。鼻水垂らして犬から逃げ回るカッコ悪さをさらしつつ、父アドロックの言葉「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」を体現するかのようにエウレカの元へと駆けるレントン。その先にあるボーイ・ミーツ・ガール・アゲインに胸が高鳴ります。しかしエンドロール後の次回予告ではなんかアネモネがアイドルみたいになってたような……だ、大丈夫かな?と思いつつ「つづく!」ということで次回が楽しみです。

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