2017
09.19

体感する戦争、あるいは人のもつ英雄的側面。『ダンケルク』感想。

Dunkirk
Dunkirk / 2017年 アメリカ / 監督:クリストファー・ノーラン

あらすじ
Afternoon.



第2次世界大戦下、ポーランドを侵攻し北フランスまで勢力を広げたドイツ軍の猛攻に、英仏連合軍はフランス北部のダンケルクに追い詰められていた。英首相チャーチルはダンケルクに取り残された兵士40万人のため、軍艦や民間船をも総動員したダイナモ作戦を発令、史上最大の救出劇が始まる。『ダークナイト』『インターステラー』のクリストファー・ノーラン監督による実話を元にした戦争サスペンス。

「ダンケルク」はフランス北部にある地名で、ここで第2次世界大戦下の1940年5月26日に「ダイナモ作戦」が展開されます。戦車や航空機など新兵器での電撃戦によってドイツ軍に攻め込まれ、ダンケルクに追い詰められた英仏連合軍、その数40万人。これを救助するための撤退戦であり、その対象人数の多さと、軍艦はもとより民間の船舶まで招集した規模から「史上最大の救出作戦」と呼ばれているんですね。この史実は今までも何度か映画化されたようですが、どちらかというとSF的ファンタジー(と言うと語弊もありますが)の多い印象のクリストファー・ノーランがこの戦争映画を撮ったというのは意外と言えば意外。

ですが、本作は戦争映画と言ってしまうとちょっと違和感があるかも。なぜならそこに描かれるのは「戦闘」ではなくあくまで「脱出」だからです。そのため戦闘機同士の空中戦以外は戦闘シーンと呼べるものはなく一方的に攻撃されるだけ。ノーラン自身が「これはサスペンスだ」と語ってるのですが、まさに戦場から撤退する経緯を時間に追われながら描くサスペンスとなっています。この「時間に追われながら」というのも実際にカウントダウンされるわけではなく、徐々に追い詰められていく様を映像と音響、音楽をメインにして描き、そこに状況や心情を表すという、実に映画的と言えるアプローチです。陸海空それぞれの異なる時間軸を交互に映すのも特徴的で、やがてその時間軸の関係性もわかってくるという作りがスゴく良かったです。

また、極端に少ない台詞や余計な説明を入れないのも特徴でしょう。でもこれは不親切というわけではなく、最低限の状況説明は冒頭のキャプションで提示されています(あらかじめ史実の概要を軽くでも調べておくとよりスムーズ)。そして余分な情報を削ぎ落とすことにより、登場人物の主観に寄り添う効果をもたらしています。ノーランは「観客に体験させる映画だ」とも語っており、戦場から逃れようとする者、それを救おうとする者たちの体験を通して、あとは観る者に委ねているんですね。台詞は少ないからこそ響き、説明は省くからこそ拡がる。物語るというより観る者を放り込むという感覚と、否応なしに劇中の一部にいるような錯覚。そこが淡々としてるように見えて実に濃密です。

フィオン・ホワイトヘッドやトム・グリン=カーニー、"ワン・ダイレクション"のハリー・スタイルズなどの若手、ノーラン作品ではおなじみの『マッドマックス 怒りのデス・ロード』トム・ハーディや『フリー・ファイヤー』キリアン・マーフィ、『ブリッジ・オブ・スパイ』『BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』のマーク・ライランスや『シンデレラ』監督のケネス・ブラナーといったベテラン勢とキャストも多彩。誰か一人にフォーカスするわけではなく群像劇なんですが、それぞれが均一的に描かれつつも存在感をもって動きます。そして迫力ある映像による臨場感、怒濤の音響による実在感。『ハクソー・リッジ』とはまた違った戦争体験であり、その後の世界を左右する作戦に観る者も立ち会うことになります。

↓以下、ネタバレ含む。








■陸で待つ者(あるいは主観的な戦場)

直接的な戦闘シーンや人が血を流すシーンがないために、戦争映画らしくないという印象も人によってはあるかもしれません。でも直接死体などを映さないだけで、実際は相当数の死人が出たであろう描写もあります。冒頭ではトミー以外はガンガン撃たれて倒れていくし、浜への空爆では倒れたまま起き上がらない人も多くいます。もろに吹き飛ばされる人もいますね。また沈没する船から脱出できずに沈んでいく者もいます。とは言え他の戦争映画ほどの残虐性がないのはこれが戦闘ではなく撤退であるというのが理由の一つでしょう。またそれ以上に視点がトミーに寄り添っているからとも言えます。避難しようとしている一兵士から見える光景には限りがあるため、広い砂浜で遠くに見える人が生きているのか死んでいるのかは把握しにくく、落ち着いたときに目にするのは既に埋められた死体だったり覆いが被せられていたりします。また完全な主観というわけではなく一歩引いて見渡す感じなので、観る者はトミーよりもわずかに広くその周囲も知覚できます。ときにはグッと引いたロングの画で状況を視覚的に認識させる。このバランスがとてもエンターテインメントらしい。だからギブソンが水に飲まれる最期も、観客だけは目にすることになります。

この周囲を映しながらも主観を意識したカメラが臨場感へと結びつきます。冒頭、防衛線を越えて進んだ先に突如拡がるダンケルクの海岸、遠くまで伸びる砂浜や防波堤に並ぶ兵士たちの長蛇の列には、広い空間に伴う解放感より丸見えであることの心許なさの方を強く意識させられます。一方でそれとは真逆の、狭い場所での息苦しさによるスリルもあります。ようやく乗船した駆逐艦が沈んでいくときの出口のない恐怖、閉じこもった商船の船倉に敵が撃ち込んでくる銃弾の脅威。トミーがギブソンと共に担架を運ぶときの人混み具合だったり、救命ボートがいっぱいで乗れなかったりするのも実感として伝わります。他にもメッサーシュミットが空の彼方からこちらに迫ってくるシーンの恐ろしさや、ようやく人心地ついて口に入れる紅茶とジャム塗ったパンが美味そう、というのも主観に近いからこその臨場感を伴っています。あと脱糞したくてもなかなかできない、というのも(イヤな臨場感だな)。

陸パートは最も長い時間(一週間)が描かれるためドラマも多いです。トミーが助かりたいがために行動を共にするギブソンは、トミーとは全く会話をしません。実はフランス兵だったからとわかるのはかなり後になってからですが、成り行きとはいえ命を助け合ったり共犯関係を続けたりするうちに、運命共同体のような関係になっていきます。それは友情とは違うものでしょうが、それでも共に生き残ってきたからこそ通じ合う何かがあるわけです。この「何か」は恐らく人と人とが結びつくための原初的で純粋な関係性、信頼関係へと繋がる発端です。ここにコミュニティの意識が入り込むと、フランス兵と知った途端にスパイだと言い出す者たちのような線引きが発生する。それが引いてはナチスのような民族主義のきっかけになっていく、と考えるのは穿ちすぎでしょうか。高地連隊に責められるギブソンを「逃げたかっただけだ」と擁護するトミーの気持ちにシンクロせざるを得ません。

またトミーが引っ張り上げたことで一緒に行動し始めるアレックスはストレートです。逃げ惑い、不安を口にし、助け合いながらも焦りで人を疑ったりもする。そして撤退してきて電車に乗ったときには「生き残っただけ」「唾をかけられる」というように悔しさや恥を滲ませます。多くの兵士はアレックスのような心情だったのかもしれません。また陸パートでは、ケネス・ブラナー演じるボルトン海軍中佐や、ジェームズ・ダーシー演じるウィナント陸軍大佐といった指揮官たちの姿も描かれます。救えるのは3万人程度という概算を知りつつも、兵たちを逃がすため冷静に指揮するリーダーたち。しかしようやく出航した駆逐艦が沈んだ際のボルトンの苦しそうな表情、降下してくるメッサーシュミットに覚悟を決めて目をつむる姿など、指揮官としてのツラさも伺えます。またそれ以外の多くの兵士たちも意外とモブ感を感じないと言うか、顔が映るとか名前があるとか関係なく、そこに存在している感じがしましたよ。トミーたちの担架が穴の開いた桟橋を渡るのを手伝う者がいたり、絶望して海に入水する者もいる(これもトミーの主観なので自殺かどうかはわからないですが)。焦燥感はありつつも規律ある極限状態でのギリギリの人間らしさや、40万人という人数でありながら一人一人の命の重さまでを感じてしまうのは(受け手の感受性に依るところはあるにしても)凄いです。


■海を渡る者(あるいは英雄の意味)

海パートのメインは、一般人でありながら率先してダンケルクへ救出に向かう観光船ムーンストーン号。船長のミスター・ドーソンは自ら戦地へ向かう理由を「自分たちが始めた戦争だから」と言いますが、かつて空軍だったドーソンの長男が戦死していたから、というのが次男のピーターの話から伺えます。だから最初は愛国心かと思ったその行動が、息子の悲劇を繰り返すまいとする市井の人の純然たる思いとして響いてきます。エンジン音だけでスピットファイアと識別するのも空軍だった息子と関係があるのでしょう。状況を正確に判断して救助に向かう手際は、演じるマーク・ライランスのベテラン感もあって実に安心感があります。他にもダンケルクに向かう一般船は数多くいたそうで、ドーソンはそういった勇気ある人たちの一例として描かれます。

しかしそれ以上に衝撃的な側面も描かれます。ドーソンたちが救った、キリアン・マーフィー演じる謎の英国兵。彼は陸パートで率先してボートでの救助を行っていた士官ですが、駆逐艦に乗って沖に出た後でUボートの魚雷に沈められたのか、少し前までは彼も勇気ある者だったはずなのに、まるで別人のように恐怖に取りつかれ利己的な行動に走ります。次男ピーターが彼を船室に閉じ込めてしまうのもその危うさを感じ取ったからですが、ドーソンはそれをあくまで戦争によって変わってしまったからだと見なします。しかしこの英国兵の自分を失った行動によって、彼のために紅茶を淹れたりと頑張っていたジョージが命を落としてしまいます。少年が軍隊に入って「いつか新聞に載りたい」と言うのが、まさか戦場で「俺、帰国したら結婚するんだ」と同様の死亡フラグだとは……。

ジョージはただの手伝いの青年でありながら、ドーソンたちの役に立ちたいという勇気をもって同船してきました。それが勇気を失った一人の男によって死に至るという悲劇。しかしジョージが息を引き取った後、英国兵にジョージの容態を「無事か」と聞かれたピーターは、まだ息があるうちは「大丈夫じゃない」と言っていたからてっきり「死んだよ」という台詞でも叩き付けるのかと思ったら「ああ(無事だ)」と答えるのです。そしてそんな息子ピーターに頷く父。いやもう震えました。仲間の死にあってさえ、戦場のトラウマを抱えた兵士を突き落すまいとするこの親子の言動には敬意しかなく、英雄的と言ってもいいです。そして英雄の前では凡人は名前を語られることさえない。謎の英国兵が役名すらないのはそのためなのでしょう。


■空を駆ける者(あるいは美しき信念)

最も痛快さや戦闘のスリルのあるのが、戦闘機同士のドッグファイトを繰り広げる空パート。連合軍の三機のスピットファイアが、撤退作戦を援護するためにダンケルクへ向かいます(ちなみに隊長機の声はノーラン作品常連のマイケル・ケインだそうで、言われてみれば確かに)。途中で遭遇するメッサーシュミットとの空中戦は、これもまた主観に近い映像が多いため、敵機の姿が見えないというスリルやなかなか銃撃が当たらないもどかしさが堪能できます。CGでなく本当に実機を飛ばして撮影しているので、空を舞う映像も飛行機の出す音もリアリティが凄まじい(というか本物)。ちょっとね、砂浜の空爆シーンとあまり間を置かずに登場したせいか、最初はトムハをドイツ軍と勘違いしてました。機体のマークで気付けよって感じですね、お恥ずかしい。

トム・ハーディ演じるファリアの機が計器故障で燃料の残量がわからないというのもヒヤヒヤします。ジャック・ロウデン演じる僚機のコリンズに残量を聞いて時間の経過と共に直接計器盤に書くという臨機応変さが優秀なパイロットという感じで良いですねえ。あとコリンズ機が着水後、コクピットに閉じ込められたまま浸水していくというのは超スリル。ドーソンさん早く来て早くー!ってなりますね。ちなみに後から調べて知りましたが、ファリアたちの台詞に出てきた地名「カレー」では、ドイツ軍を足止めするために救出されなかった部隊がいた、というのが重い事実としてあったりします。

空パートはとにかく美しいというか詩的です。飛行機の美しさ、大空の広大さ。細い煙をたなびかせて落ちていく戦闘機の儚さ。コリンズが離脱したあとも一人奮闘するファリアが敵機を落としたあとに浜に満ちる希望。そしてファリアが燃料の切れたスピットファイアに乗ったまま滑空する姿の優雅さ。ファリアがなぜ脱出しなかったのか、機が人のなかに墜落するのを恐れたのか、敵の戦闘機を警戒させるためか、飛び続けることで助けを待つ人たちに勇気を与えたかったのか、その本心はよくわかりません。それでも夕陽のなかを滑空し、出てこない車輪を冷静に手動で出し、無事着陸したあとに愛機に火を放つファリアには、撤退を最優先とする兵士としての責任と、そのために敵に捕まっても構わないという強い覚悟が感じられます。責任や覚悟という言葉がそぐわないなら信念と言い換えてもいいでしょう。そしてそんな信念を持つ者たちにより、ダイナモ作戦は成功するのです。ファリアはそんな英雄的行動を果たした人物の一人としてフォーカスされていると言えます。


■ダンケルク・スピリット(あるいは終わらない戦争)

波止場、海、空で描かれる、1週間、1日、1時間という特殊な構成。それぞれ救出される者、救出する者、救出を補助する者が描かれ、各パートはその救出する、される、敵機を落とすというのが同時に成される一点に向かって収束していくという構成です。異なる時間軸を行き来するのは『インセプション』や『インターステラー』でも見られましたが、本作でのそれは立場や状況、スタート地点の異なる人々が皆等しく「撤退する」という目的に向かっているのだ、ということを示すために使われていると言えます。俯瞰した時間構成という客観性がありながら、目の前で起こる臨場感には主観性がある。だから視点の切り替わりには自由度があるのに、あえて映さないものもあったりします。そもそも敵の姿が全くといっていいほど映らないのも、戦闘自体が目的ではないからでしょう。それでいて迫りくる敵軍の圧を感じる緊張感があります。ノーラン作品にしては短めの上映時間も、緊張感を持続できる時間としてのバランスなのでしょう。

サスペンスやスリルといったものが中心となりますが、「生き残るための作戦」ならではの人間的な行動が数多く映されます。兵士たちにパンと紅茶を配る婦人、救助にきて座礁したオランダの商船、そしてボルトンの覗く双眼鏡に映る多くの民間船。謎の英国兵とは違った観点で登場する名もなき人々、その行動はノーラン言うところの「集団のヒロイズム」です。そのなかで唯一名前を上げて称えられるのがジョージです。「いつか新聞に載りたい」と言っていたジョージの言葉をピーターたちが叶えてあげたということでしょう。そこには悲しみだけではなく誇らしさも感じます。

こうして史上最大の撤退作戦はそれぞれの結末を迎えます。空軍への罵倒を浴びせられるコリンズの肩に手を置き「我々は知っている」と告げるドーソン。フランス軍を救うために防波堤に残るボルトン中佐。燃える戦闘機をバックに敵兵を待ち受けるファリア。電車に乗ったアレックスたちの帰還を歓迎する人々。3万人どころか30万人を救い出した作戦に、英首相チャーチルは「我々は決して屈しない(We shall never surrender)」とスピーチします。戦いはこれからだという祝勝ムードにこのまま大団円を迎えるところでしょう、普通なら。

しかし最後の最後、ほんの一瞬トミーが見せる戸惑うような信じがたいような表情を映して、本作は暗転します。その表情にあるのは、戦争は終わったわけではない、ようやく故郷に帰ってきてもまだ戦いは続くのだ、という絶望感。なぜ絶望感があるのか、それはたとえ撤退のための作戦であったとは言え、何万人もの兵士が命を落としたからです。臨場感ある映像で体感するかのように観てきたダンケルク、そこはやはり戦場であったのだということを、このラストカットだけでガツンと叩きつけてくる。最後に戦争映画に立ち返る、というのが見事です。

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