2017
08.15

君が僕に教えてくれたこと。『君の膵臓をたべたい』感想。

kimino_suizou
2017年 日本 / 監督;月川翔

あらすじ
膵臓は沈黙の臓器。



高校教師の"僕"は、図書館の整理をきっかけに共に図書委員だった高校時代のクラスメイト、山内桜良のことを思い出していた。膵臓の病で余命幾ばくもないという桜良の秘密をたまたま知った"僕"は、成り行きで桜良と一緒に過ごすようになるが……。住野よるの同名小説を実写映画化した青春ドラマ。

難病を抱えるヒロイン桜良と、偶然病気のことを知ってしまった"僕"との交流を描く物語です。タイトルは桜良が膵臓の病気であることに由来しますが、なぜ「たべたい」なのかがポイント。『グリーン・インフェルノ』か!と思いますがもちろん違います。ヒロインが最初から死ぬとわかっているわけですが、お涙頂戴の重苦しさよりは「どうやって生きるか」という方に寄っており、"僕"と共に「死ぬまでにやりたい○○」を実行していくことになるんですね。これが巻き込まれ型ラブコメと難病ものの融合として思いの外上手くいっていて、ときめき度が高い。音楽はちょっとうるさいですが演出は堅実で、何より若者二人の好演がとても良いです。

桜良役の浜辺美波は若干芝居じみた話し方に全てを受け入れたような達観がありつつ、それでいて生きることを楽しみたいという思いを感じさせてくれます。高校時代の"僕"役の北村匠海は人と関わろうとしない地味さと、桜良と向き合ってからの優しさのバランスが上手い。桜良の友人である恭子役の大友花恋のプリプリ怒ってる感じは可愛らしく、成長したら北川景子になるというのも何となくイイ。匠海に関わるガム君役に『ちはやふる』の肉まんくんこと矢本悠馬というのが安心感半端ないですよ。大人の"僕"役である小栗旬は『銀魂』観て間もないので「どうしちゃったんだ銀さん!」と最初こそ思いますが、抑えた演技には好感。

主人公である"僕"の煮え切らない態度には非常にやきもきするし、ヒロインのやたら流暢な台詞はちょっと喋りすぎな気もしますが、それでもこの二人に徐々に好感を持ってしまいます。「それはちょっとどうなの」という点も後でちゃんと辻褄が合うようにしてるのは上手い。難病ものとして泣かせようというあざとさはそこまで強くはなくて、むしろ死が身近にあるからこそ相手の生き方を肯定する、という視点に泣けます。

↓以下、ネタバレ含む。








難病ものはあまり好きな方ではないですが、ヒロイン桜良がいつもにこやかに笑っているのが重苦しい雰囲気を緩和し、青春ものとしての側面の方を強く出してきます。病気のことは"僕"しか知らないので、ひょっとして病気というのは嘘なのでは?などと勘繰ってしまうほど(薬を持ち歩いてる辺りでようやく信じました)。演出的にはそこまで突飛なことはしてませんが、柔らかい光で淡く映す幻想的な絵作りは作品のトーンとしてハマっているし、何より主演の二人を魅力的に撮ることが上手くいっているのが実にイイ。にこやかなだけに時おり見せる真剣な表情にドキッとさせられる桜良、控えめながらある種の芯を感じさせる"僕"と、描き方は絶妙。他の人物をそこまで前面に出さない、特に特定の大人が出てこないため、より「今」を過ごす二人にクローズアップされる感じです。

二人以外では恭子が重要なポイントで、親友であるだけに病気のことを知らせられないという立ち位置が"僕"の立場と対になっていて、これが12年後にまで持ち越されることで、桜良の死を抱えて生きている人の今にも繋げているのは上手いです。あとガム君(これが役名なのね)は最初は何か企んでるのかと思いきや「ガム食べる?」というのが優しさだったわけですね。"僕"がついにガムをもらって食べたときのちょっと嬉しそうな顔に和みます。上地雄輔はてっきりあのストーキングのクソキモ委員長かと思ったから、実はガム君だったというのは良いサプライズ。

ノイズになる点も色々あるんですが、それらは後からちゃんと修正入れてくる感じが上手いと思いました。教師が生徒に自分の過去を語るという構成はちょっと不自然かなあと思いますが、その生徒が自分と同じように人付き合いが苦手で、結果的に彼が女生徒に心を開く一歩に繋がったのはなるほどとなります。夜の病院なんて入れないだろうというシーンでは「忍び込んできてくれた」と補足があるし、結婚式直前だと言うのに恭子に手紙を渡すのも「何でこんなときに、バカ!」とちゃんと文句は言うのでまあいいですかね。母親の見てる前で共病文庫を読むのキツいなあとも思いますが、彼が人前で彼女の死を本気で悲しむというところにグッときます。あと誰もがネタにしたくなるタイトルの猟奇性に、序盤にセルフで「カニバリズムか」とツッコんでるのはちょっと面白い。さすがに「自分は生徒と向き合えてるのか」って教師が生徒に言っちゃダメだろうとか、突然の九州一泊旅行に"僕"の方は親に何も言われないのか?などはありますが。

にしても、ここまで甘酸っぱい展開があるとは思いもしなかったので身悶えが止まりません。立派な図書館でウフフ~って笑いながら逃げる彼女とか!「君」って呼び合うとか!呼び名が「なかよし君」とか!ヒルトンのしかもスウィートに二人でお泊りとか!親がいない家に二人きりとか!夜の病院のベッドで肩に頭乗せてくるとか!『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』でもやってた「真実と挑戦」を青春もので使うとこうもときめきまくるのかー!そうかー!もうね、フラグ立ちまくってるのになんで行かないんだバカ!(薄汚れた大人)

でもそこに意味があるわけです。死ぬという前提から始まっているので、必要以上に距離を詰めようとしなかった"僕"。桜良はそれをわかっていたからこそ、共病文庫を見た彼をパートナーとして選んだのでしょう。だから病院で"僕"が即答する「とても」の一言は、それでも惹かれ合う二人の友情とも恋愛とも違う奇妙な、でもとても大きな関係の発露です。そして余命を穏やかに過ごせるものと観ている方も思い込まされる、というかそう願ってしまうわけです。それだけにまさかの展開にはショック。「明日死ぬかもしれない」という桜良の言葉が現実となってしまう。病気だろうが健康だろうが等しく訪れる死、というものが提示されるのです。

タイトルの意味するところは、悪い部位の臓器を食べることで治すという昔の迷信であり、転じて相手の内蔵を取り入れて自分の力にしたいという思いを指します。桜良は"僕"に「もっと人と話せ、もっと人と関われ」と言いますが、死後の手紙のなかでは全く違うことを語ります(ここで"僕"の本名である「春樹」と呼びかけるのがまた泣けるんですが)。自分が人を巻き込んでしまうのは自分の弱さのせいだと、春樹が本を読む姿は自分と戦っているみたいだと。人と関わることが苦手で、自分でも人と向き合おうとしていないと自覚がある彼に対して、それを「強さ」だと言うのです。だから君になりたいと。かつて"僕"が桜良に書きかけて消したメールの文面と同じ「君の膵臓をたべたい」。好きだったとか、ありがとうではなく、それらも引っくるめての「君になりたい」。このお互いが相手の生き方を肯定する、という点に最も泣けます。

原作未読ですが、12年後の姿というのは原作では描かれない映画独自の改変だそうです。つまり桜良がなれなかった大人になった春樹が、桜良のことを思い返すことで改めて生き方を見つめ直し、自分の価値観が間違いではないこと、日々を生きることの大切さを思い出すのですね。エンドロールのミスチルが沁みます。

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