2017
06.22

物語が与えてくれるもの。『怪物はささやく』感想。

A_Monster_Calls
A Monster Calls / 2016年 アメリカ、スペイン / 監督:J・A・バヨナ

あらすじ
手を離さないで。



難病の母と暮らす少年コナーは、学校ではいじめられ孤独な毎日を送っていた。ある晩コナーの前に巨大な木の怪物が現われ、これから3つの物語を語ることと、最後に4つ目の物語をコナー自身に語ってもらうということを告げる。嫌がるコナーだったが、怪物は夜ごとに現われ……。パトリック・ネスによる同名小説を実写映画化したダーク・ファンタジー。

スペインのアカデミー賞と言われるゴヤ賞で9部門を受賞した、孤独な少年と怪物との幻想的なお話です。病気の母と二人暮らしの少年コナー。彼の前に不意に形を持って現れた謎の怪物が語る三つの物語が、やがてコナーにとって大きな意味を持ってきます。この「物語を語る」ということが、本作の最大の特徴にして重要な構造。どこか冷え冷えとした現実パートと、絵本的な質感で語られる物語パート、それらを繋ぐ怪物の存在には非現実が現実を侵食するファンタジックさと同時に、重く暗い話から目を背けることを許さない異様な圧力があります。

コナー役のルイス・マクドゥーガル君の、怒りと悲しみを同時にたたえた表情がとても良いです。母親役は『ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー』のフェリシティ・ジョーンズ、儚さと愛情豊かさが沁みます。祖母役が『エイリアン』シリーズのシガニー・ウィーバーですが、久々に奇をてらわない役柄で素晴らしい存在感。父親役のトビー・ケベルは『キングコング 髑髏島の巨神』『ゴールド 金塊の行方』、そして本作と立て続けの出演で、今年はまさかのトビー・ケベル祭りですね。そして怪物の声を当てるのはリーアム・ニーソン。声の出演としては『ナルニア国物語』『LEGO ムービー』などありますが、今作は別格と言えるほど、深みのある声が怪物に命を与えています。怪物のモーション・キャプチャーもリーアム本人がやってるそうです。

現実と虚構が交わる語り口は新しいというわけではないですが、映像の巧みさと役者陣の演技により没入度が高く、少年と怪物による心の深いところでのやり取りが圧巻。ちなみに原作も読んだんですが、久々に本読みながら泣きました。挿し絵がページを侵食してる感じもイイ。映画の方は脚本が原作者のパトリック・ネスで、挿し絵のジム・ケイもコンセプト・アートで参加してるということもあって原作にかなり忠実ですが、映画ならではの映像的改変があったり、原作にしかない泣かせポイントがあったりして、結果どちらもとても良いです。

↓以下、ネタバレ含む。








■現実を映す物語

イチイの木が姿を変える怪物は、見た目は邪悪なグルート(from『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』)というか謎のエント族(from『ロード・オブ・ザ・リング』)という感じですが、コナーが夢だと思うようにその存在自体は虚構です。窓や壁が破壊されたり学校の食堂でテーブルが吹っ飛ぶのも映像的なイメージ。怪物が「お前が私を呼んだ」と言うように、それはコナー自身の心の奥にあるもう一人の自分ではあるのでしょう。ただそこはあえて明確にはせず、怪物は半ば(完全にではないものの)本当に存在するかのような描き方をすることで、「物語の力」というものを映像的に示す演出となっています。

怪物の語る、皆に愛される人殺しの王子、嫌なヤツだが理屈は正しい調合士、注目を集める見えない男という三つの物語は、めでたしで終わる寝物語でも道徳を説くものでもない、矛盾した現実を知らしめるためのものです。コナーに「すぐ戻ってくる」と言いながらアメリカの家族の元に帰ってしまう父。コナーを打ちのめすために暴力ではなく無視という手段を決めるハリー。自由を求めてビルに登りながら人間たちに撃たれてビルから落下するキングコング。そして本当はもう無駄だとわかっているのに「次はどんな治療を?」と聞くコナー。求めるものとは裏腹の現実、その空しさをコナーは知っていながら認めようとしない、その矛盾こそがコナーの真実であり、それが第四の物語として語られることになります。


■語られない物語

逆にコナーが知らなかった、あるいは知ろうとしなかった現実というものもあるわけです。気が合わないと認めあっていた祖母は二人の共通点として母がいると告げ、母を思う気持ちは変わらないことを示します。振り返れば、コナーが居間を破壊したときに祖母が何も言わなかったのは、大事なものを壊されたことがショックというだけでなく、自らも棚の一つを叩き落とすことからも、コナーの全てを壊したくなる気持ちも理解できてしまったからではないでしょうか。そしてそんな祖母が最後に自ら用意したコナーの部屋には、孫が喜びそうな部屋を祖母なりに考えたんだな、ということが伺えたりもして、祖母が表に出してこなかった思いというものが感じられます。

ラストで映される母が描いた絵が自分の見た怪物と同じであるというのは、怪物の話は母が語って聞かせたということかもしれませんね。コナーが幼くて覚えてない頃で、そのときの話が記憶の奥底から出てきたのかも。また飾られた写真を映すシーンで、その一枚にリーアム・ニーソンが写っていますが、これがコナーの祖父なのでしょう。怪物の声がリーアム・ニーソンであることを思えば、元々の怪物の話はこの祖父が母に語って聞かせたのでは、という想像もできます。絵のなかで怪物の肩に母らしき少女が乗っているのは、ひょっとしたら祖父の死の際も怪物は現れたのかも。しかも母はコナーの見ていないところで怪物と目を合わせ、怪物は微かに頷いているように見えます。すると怪物には孫を見守る亡き祖父の視点も加わり、祖母は祖父に夢中だったという母の言葉と相まって、不意に家族間の絆というものが浮かび上がってきて、話に厚みが出てきます。これは原作にはなかった仕掛けです。


■乗り越えるための物語

怪物が現れる12時7分という時刻は、母が息を引き取る時間でもありました。これだけは過去や現在ではなく未来に関わることであり、現実を超越したものを感じさせます。これは本作自体が一つの「物語」である、ということでもあり、虚構が現実にもたらす影響を観る者へも感じさせる、ということのように思えます。

「物語」が現実と関わるという点では『パンズ・ラビリンス』や『ネバー・エンディング・ストーリー』などがありますが(製作のベレン・アティエンサという人は『パンズ・ラビリンス』のプロデューサーでもあるんですね)、本作はツラい現実を物語によって緩和するのではなく、物語を通して現実と向き合うという話です。だからそこには痛みが伴うんですね。「待つのがつらかったから、終わらせたかった」というのは本心ではあろうけども、それを認めることはコナーにとっては母との別れという痛みに向き合うことでもあります。それができないから、ダメでも次の治療があると自分に言い聞かせ続けてきました。

「終わらせたい」と「まだ続けられる」という矛盾した心情。しかしそれらの根底で共通する「いかないで」という気持ちこそがコナーの本当の思いであり、それは母が「いってしまう」とわかっているからこそ抱える感情です。その本当の思いを伝えるために、物語を通して痛みと向き合うことが必要だったのです。それは死を乗り越えるために必要な勇気でもあると言えるでしょう。「物語」はときに勇気を与えてくれるのだということを、この「物語」自体が教えてくれるのです。

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