2017
06.13

喪失に光を、終焉に意味を。『LOGAN ローガン』感想。

Logan
Logan / 2017年 アメリカ / 監督:ジェームズ・マンゴールド

あらすじ
本名:ジェームズ・ハウレット。



2029年、ミュータントの大半は死滅し、メキシコ国境付近でひっそり暮らすローガン。そんなある日、ローガンの前に11歳のローラという少女をある場所まで連れていってほしいという女性が現れる。図らずもローラを保護することになったローガンは彼女を追う組織から逃れ、匿っていたチャールズとローラの3人で目的地を目指すことになるが……。『X-MEN』シリーズのウルヴァリンことローガンを描く『ウルヴァリン』シリーズ第3作。監督は『ウルヴァリン:SAMURAI』に続きジェームズ・マンゴールド。

最強の金属アダマンチウムの爪と不死身の治癒能力を持つ『X-MEN』を代表するキャラクター、ウルヴァリンことローガン。本作はヒュー・ジャックマンがウルヴァリンを演じる最後の物語ということで話題になっていました。いまやミュータントは絶滅寸前、自身も治癒能力が失われつつあるローガンは、リムジンの運転手をしながら認知症のプロフェッサーXことチャールズ・エグゼビアと隠れるように暮らしています。この設定からして既にせつなすぎるんですが、そこに現れたミュータントの少女ローラを守るため最後の戦いに身を投じるローガンの姿には、今までの全てを総括し決着を付けようとする気概が感じられます。

ヒュー・ジャックマンの演じるローガンは不死身で年も取らないはずが、白髪は増え、片足を引きずり、能力も衰えています。チャールズに至っては要介護状態。そんななかで話が展開するので、泣けるというよりひたすら歯を食いしばるという感じで精神的疲弊があります。さらに今までのシリーズにはなかった残酷描写にも踏み込んでいるので、生と死がより際立ってくるんですね。でもあるたった一言で全てが救われたような気持ちになるのには爆泣き。ローラを演じるダフネ・キーンの眼力が素晴らしいし、チャールズ役のパトリック・スチュワートがまた何とも言えないやるせなさを醸し出します。

ヒュー・ジャックマンのウルヴァリンは『X-MEN』1作目からリアルタイムで観続けてきたんですが、シリーズでただ一人全作に登場しているヒューがこれで終わりというのは寂しい限り。しかもその最後で描かれるのがあらゆる類いの喪失であるというのが、もう悲しくてツラくて。でも見届けました。まさに見届けたという感じです。これは確かに邦題も『ローガン』にするしかない、というくらい素晴らしい結末でした。

↓以下、ネタバレ含む。








■失われし世界

まさか我らがウルヴァリンがパリピの言いなりにリムジンを運転するドライバーとは……咳き込むし、片足引きずってるし、老眼(ダブルミーニング)だし、あろうことか冒頭から殺されかけ、しかも爪がちゃんと出ない。せつないのは爪を出すとそこから出血して、しかもなかなか治らないことです。骨格を形成するアダマンチウムが毒となって体を蝕み、治癒能力を衰えさせているんですね。

もうひとつショックなのが、プロフェッサーXとしてX-MENをまとめていたチャールズが、ボケて狂暴になり隔離されていること。薬を飲むことをローガンに強いられ無様に抵抗する姿には老人介護問題をも思わせます。しかもかつて能力の暴走により7人のミュータントか死に至ったらしいことも明かされます。過去に何があったのか多くは語られませんが、その事件が起こったというウエストチェスターとは「恵まれし子らの学園」があった場所だった(はず)ということを考えると、想像を絶する悲劇であったと思われます。

ミュータント絶滅の理由はハッキリ描かれません。飲食物に何かを混ぜることでミュータントは途絶えたという言葉もあったし、一方でドクター・ライスの「世界一危険な脳が病んでいる」という言葉には息を飲むものがあり、ハッキリ描かれないことがかえってツラい想像を煽ります。チャールズは死にそうだしローガンも死にそうだし、あとは追跡能力を持つキャリバンがいるくらい。キャリバンって誰だっけ?と思ったら『X-MEN:アポカリプス』でサイロックが最初にいた怪しげな店の坊主の人ですね(役者も違うのでわからなかった)。ともかく人物を絞り、過去を見せないことで、より終末感が増しています。


■生と死

自動操縦トラック、改良された小麦と収穫システム、リムジンのデザインといった近未来を思わせるビジュアルに、メキシコの渇いた風景。そこにあるのは寂れたディストピア感であり、一つの時代の終焉です。延々と続く無人列車と並走してのカーチェイスなどは『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を彷彿とさせてとてもイイ。そんな世界に現れたローラは、ローガンと同じくアダマンチウムの骨格と爪を持つ作られたミュータント。そして生物学的にはローガンの娘。その身体性の高さ、狂暴性、研究所暮らしによる世間とのズレは、バイオレントな要素とアクション性をもたらします。少女に生首放らせたり首チョンパさせたりという残酷描写が示すのは、ボコられてから反撃したり逃げ隠れする生活を送る今のローガンたちだけでは成し得ない、生きるための攻撃です。

ボイド・ホルブルックの演じるピアースのように人間が肉体改造を施す時代に、ローガンとローラが見せる連携攻撃には野生の力強さがあります。言ってしまえば死に抗う生の強さ。そんなローラもローガンたちと旅をするうちに人間性を獲得していきます。喋れないと思っていたローラが言葉を発するのも取り戻した人間性が影響しているのでしょう(ローガンと二人きりになったという都合もあるでしょうが)。一方で、ローガンとチャールズは生きるための力強さを強いられます。チャールズの発作を止めるときのローガンには顔面から爪を突き出させる残虐性があり、薬を飲めと言われるチャールズは挑発するように舌を出します。同時に、二人は生きることの尊さも垣間見ていきます。マンソン一家との団欒でチャールズ、ローガン、ローラが親子三代として接する姿には、あり得たかもしれない家族の姿が投影されます。

しかしX-24の急襲により、束の間の家族はあっけなく終わりを迎えます。この辺りはあまりに警戒が足りなすぎではないかという口惜しささえ感じるんですが、ともかくチャールズは「楽しかった、わたしにはそんな資格はないのに」と失った幸福感を微かに見、「これが人生というものだ」とローガンに説いて去って行きます。多くの仲間を失ってきたローガンにとっても、友であり父である人との別れはこれ以上ない喪失ですが、チャールズは最も大事なことをローガンに言い残したと言えるでしょう。それは、チャールズの遺体を埋めて「ここには水もあるし」で言葉に詰まり、ローラがそっと繋ぐ手を振りほどいてしまうローガンには、まだ理解できない「生」の意味。そしてチャールズという中継ぎを失ったローガンは直接ローラと向き合うことになり、やがてその意味を知るのです。


■孤独を包む者

X-24は若き日のローガンの狂暴性をさらに煮詰めたような存在であり、そうなっていたかもしれないローガンの姿でもあります。まさかのウルヴァリンvsウルヴァリンには酩酊感さえ覚えますね。しかしX-24の殺すための強さに対し、ローガンの強さは殺してきた結果により形成されたとも言えます。人に襲われる夢ではなく人を襲う夢を見ることには積み重ねてきた業の深さを思わせるし、ローラに「人を殺したことを背負って生きていけ」と言うのは自身にも言い聞かせてきた思いでもあるでしょう。『シェーン』の終盤の会話のように、心のどこかで自分の罪を感じている。だから孤独であることがその罰である、と考えている節があります。だから一人ローラたちの元を去ろうとします。

しかしローラにとっては『X-MEN』のウルヴァリンはヒーローなのです。コミックのなかで活躍してきた男が自分の父親だと知ったときのローラの心情、そして実際の父親が孤独に打ちのめされた存在であることを知ったときの葛藤を思うと、その虚構と現実の板挟みには胸が痛みます。しかしローガンはローラをサウスダコタに届け(架空の地名も共通認識だったので集まれたのでしょう)、そこにかつての学園のような若きミュータントたちを見て、彼らの危機に際しては必死で駆け付けます。命を縮める薬を躊躇なく投入してまで。

最後に皆を守って死に行くローガンの姿は、ローラの夢見たヒーローである父そのものです。虚構と現実はここで一体となり、一体となったからこそローラは彼を「Daddy」と呼ぶことができます。それは彼女がもっとも発したかった言葉であるしょう。そしてローガンはチャールズの言っていた「生」の意味を「ああ、こういうことか」と実感します。殺してきて得た強さだけではない、そこには守ってきた尊さ、そして悔いてきた罪を全て許す癒しがあります。新たな世代は喪失に満ちた終焉に暖かな光を照らします。


■人生の意味

「自由の女神で待っている」なんて『X-MEN』1作目を思わせるネタがあったり、子供たちに髭を整えられてウルヴァリンらしいヒゲ面になったりもしますが、本作は通常のX-MENユニバースと同じ世界線とは限りません。一応『X-MEN:フューチャー&パスト』から続く物語だと言われてますが、その時点でパラレルワールド化したとも言えるので、本作もまた数ある物語の一つと見ることもできます。今回は冒頭の20世紀FOXの「X」が光らなかったので、そこがX-MEN正史とは別ユニバースのようでもあるんですよね。逆に「X-MENはもはや死に絶えた」ということを表してるとも取れますが……(そもそもウルヴァリンシリーズで光ってたかどうかはわからないんですが)。

などとご託を並べてしまいたくなるくらい観てる間はツラくて寂しかったです。正史にしろ単独作にしろ、ヒュー・ジャックマンのウルヴァリンはこれで終わりとのことなので喪失感は拭えません。しかしディストピアSFの形を取ることで強調したその終焉を、西部劇の形を取ることで荒野のような状況で戦ってきた男の生き様として映し、ロードムービーの形を取ることで獲得と気付きまでを描いており、納得できる結末になったと思います。子供たちに吊り上げられるときのヒュー・ジャックマンが久々にクリント・イーストウッドに似て見えたのがさらに西部劇っぽさを増してました。

最後にローラが墓標の十字を「X」にするのには震えます。ローガンはローラにとっては父であると同時にコミックで見ていたヒーローであり、そのX-MENとしての栄光を称えるかのような「X」。自分たちを救った姿はまさにそのヒーローであったでしょう。だからこれはSFであり西部劇でありながら、ヒーロー映画でもあります。そしてそんなヒーロー性を最後に示してくれるのが、衰えて失ってそれでも戦った男であると知っている娘であるという事実は、ウルヴァリンがローガンという一人の人物であったことの証左でもあります。だからラストに『LOGAN』と出るタイトルは、彼の長き人生の幕引きとして相応しいのです。

スポンサーサイト
トラックバックURL
http://cinemaisland.blog77.fc2.com/tb.php/1243-42fc30be
トラックバック
back-to-top