2017
06.02

半端者が見つけた正義。『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』感想。

Lo_chiamavano_Jeeg_Robot
Lo chiamavano Jeeg Robot / 2015年 イタリア / 監督:ガブリエーレ・マイネッティ

あらすじ
趣味:AV鑑賞。



あるきっかけで超人的なパワーを身に付けたチンピラのエンツォは、その力を私利私欲のために使っていたが、アニメ『鋼鉄ジーグ』の熱狂的ファンである女性アレッシアと交流するうちに、彼女を守るために力を使うようになっていく。そんな二人の前に闇組織のリーダー、ジンガロが立ちはだかり……という、イタリア発のヒーロー・ノワール。

『鋼鉄ジーグ』は1975年に日本で放送された永井豪原作のロボットアニメで、イタリアでも1979年に放送されたようです。それをモチーフにしたのが本作。日本のアニメがモチーフの海外作品という点では『マジカル・ガール』を思い出すんですが、それよりさらに直球な扱い。『鋼鉄ジーグ』はロボのデザインとか磁石の力で動くとかくらいは知ってるものの(大昔そんなオモチャもあった)話は全く知らないんですが、あくまでモチーフなので特に問題ありません。そういうロボットが悪の帝国と戦っているのだ、くらいがわかれば十分で、そういう設定は劇中でも触れられています。大事なのは「力ある者が悪と戦う」ということで、それが本作の物語と重なっていきます。

とは言っても本作は『アベンジャーズ』のようなカッチリしたヒーロームービーとは異なります。主人公エンツォは一匹狼の小悪党で、偶然手に入れた力の使い道もATMから金を奪うくらい。他に出てくるのも半端者やギャングばかり、戦う相手はイカれたナルシストで、AVは垂れ流し。そんなジャンルものとは掛け離れた薄汚れた現実世界でありながら、ポイントの押さえ方は非常に王道、という特異なバランスがとても良いのです。

役者陣も実に味があります。エンツォ役のクラウディオ・サンタマリアは不器用で投げやりな雰囲気と同時に一途な面もしっかり感じさせます。眉間に皺寄せた苦しげな表情がなんともイイ。アレッシア役のイレニア・パストレッリは天真爛漫さと愚かさをいい具合に表現しています。敵であるジンガロ役のルカ・マリネッリは、アブないヤツだけどどこか小者臭漂うという感じが上手い。エンツォとジンガロのビジュアルが対照的なのが良いですね。剛と柔と言うか、バットマンとジョーカーと言うか、武蔵と小次郎みたいな。

たとえ超パワーを手に入れても、それで人助けをしようなんて普通は思わないのかもしれません。そんな普通の、むしろ人生底辺の男がヒーローになるのはどんなときか?それは自分をヒーローと呼ぶ者がいるときなのです。リアルな情感で満たしながら描く異色のヒーロー誕生譚、これは熱いぞ!

↓以下、ネタバレ含む。








■半端者たち

エンツォは誰かとつるむわけでもなく、たまに知り合いのセルジョから仕事をもらうくらい、力を手に入れても現金輸送車強奪止まり(「スーパークリミナル」っていう呼称がなんか良い)と悪党としては半端ですが、それは思わずアレッシアを救ってしまうように根が善人なところ、そして彼の孤独さにも依るのでしょう。後にアレッシアに語るようにかつては仲間もいた、それがいつの間にか一人になり、人生に意義を見出だせず半端に生きているわけです。プライベートでやることと言えばAV観ながらヨーグルト(プリン?)を食べるくらい、というのには食欲も性欲も中途半端であることを感じさせます。女の扱いに慣れてないとは言え、側に寝るアレッシアが片乳はみ出てるのに我慢できちゃうんですね。

ジンガロは逆に野心は非常に強く、『バットマン』のジョーカーや『時計じかけのオレンジ』のアレックスを思わせるロックスター感がありますが、やってることはナポリの女ボスへの接待だったり、すぐに仲間を手にかける辺りは思慮に欠けるし、目指すのがユーチューバーだったりと、所詮は半端な小悪党です。おまけに自分の歌に酔っちゃうとか、女ボスを抱きしめて殺すとか、終わってから動画を確認するとか、実にナルシスティック。「ヤる?」「いいね!」とかそんなことしてる場合じゃねー!と笑いますが、力を手に入れてからはその不敵さが脅威に変わるのが面白いです。


■バランスによるリアリティ

出てくるのが半端者というだけでなく、エンツォとジンガロが手にする超パワーも半端ではあります。車や巨大なゲートなどを持ち上げたりする怪力があるけど軽々放り投げるというほどではないし、ビルから落ちても平気な打たれ強さがあるけどしばらく起き上がれないし、銃の傷程度なら回復するけど切り離された部位は元には戻らない(だから最後のジンガロは復活できない)。走るスピードは変わらないしジャンプ力も変わらない。この無敵とは言いがたい、でも普通の人とは違うというバランスが、この物語にはちょうどいいんですね。

だから決してスマートではないのです。自身のパワーに気付くのも、ビルから落ちてドアに穴を開けて、バックでAVの声が流れるなかでようやく確信する、というのがシュール。アクションは泥臭いけどそこがリアルで、それでいてエンツォとジンガロがスタジアム通路で対峙する絵面とか、冒頭の走るシーンとクライマックスの走るシーンが同じような橋の上でありながら全く意味合いが違うという対比も熱い。ジンガロがヴィランとして生まれ変わるシーンなどはヤバさ最高潮でエキサイティングです。


■正義の目覚め

半端なエンツォを正義に目覚めさせるアレッシア。彼女が「幹部、それだけはイヤ」と泣き叫ぶシーン、そして父の遺体を「幹部」と呼ぶことから、実の父親により性的虐待を受けていたことが察せられます。半ば彼女の方から誘った更衣室ファックの最中、アレッシアがどんどん無表情になっていくのもそれに関係しているのでしょうか。だからアレッシアが鋼鉄ジーグを盲信するのはそこに救いを求めているからであり、エンツォをジーグの主人公であるヒロシ・シバ呼ばわりするのもようやく現れたヒーローだと思ったからでしょう。そしてヒロシ・シバの活躍を見ているうちに、救いを求める思いは世の中の不条理な悪全般に対しての憤りにまで変化していったのかもしれません。

そういう意味ではエンツォとアレッシアが互いに求めるものは微妙に違うわけですが、アレッシアに孤独を癒され「今は楽しい、お前がいるから」と心を開いたエンツォにとってはアレッシアこそが全てです。そんなアレッシアを失ったエンツォは、車に閉じ込められた少女を助けることで「人を助けるの、きっと気分がいいわ」という彼女の言葉を理解します。悪の帝国を倒せるのは力を持った自分だけであることを、それがアレッシアの願いであることを。エンツォが名前を聞かれて「ヒロシ・シバ」と名乗るのは、それが彼女の求めた、自分しかなれないヒーローの象徴だからです。

力の入手、ヴィランの誕生、正義への目覚め、対決と、ヒーローもののポイントをしっかり押さえながら、孤独な男が愛することを知り、喪失を乗り越えて立ち上がるという負け犬再起ドラマでもあります。合体するゲッターロボでもメジャーなマジンガーZでもなく、鋼鉄ジーグであるというのがまたピッタリくるんですよねえ。伏線だろうとは思いつつ最後の最後まで取っておくのがニクいアレッシアの手製マスクを被り、ヒロシ・シバ=鋼鉄ジーグとして生まれ変わったエンツォが飛ぶラストショットには、原題のように皆が彼を「鋼鉄ジーグ」と呼ぶ未来が見えるよう。最後まで熱くて震えます。

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