2017
05.30

前を向いて、歌をうたって。『夜明け告げるルーのうた』感想。

lu_no_uta
2017年 日本 / 監督:湯浅政明

あらすじ
バンドやろうぜ!



寂れた漁港の日無町で父と祖父の3人で暮らす中学生のカイは、ある日クラスメイトの国夫と遊歩に誘われて訪れた人魚島で、人魚の少女ルーと出会う。鬱屈した日々を過ごしていたカイは明るく奔放なルーと過ごすうちに変わってくるが、やがてルーの存在が世間にバレ始めて……。『マインド・ゲーム』『ピンポン THE ANIMATION』の湯浅政明監督によるオリジナル長編アニメ。

『夜は短し歩けよ乙女』からまだ一ヶ月くらいだと言うのに、同じく湯浅政明監督の、今度はオリジナル作品が登場です。スパンが短すぎる気もしますがやはり嬉しいですね。主人公は両親の離婚により東京から父の故郷の港町に越してきた少年カイ。曲のアレンジをする動画をネットにアップしたりしつつも、田舎暮らしに馴染めず心を閉ざしていたカイは、級友の国夫と遊歩に誘われるがまま人魚が住むという伝説を持つ人魚島に行き、そこで本当に人魚の少女ルーと出会います。そこから始まる人間の少年と人魚の少女のふれあいが、やがて町中巻き込んでの大騒動に発展するというお話。

これがまた湯浅政明ワールド全開。自由闊達な絵の動きは制約や先入観を蹴散らし、奔放でいて胸に迫る表現の連続に心が踊ります。それでいて序盤からアガりそうになると途切れる音楽、という散々焦らす演出にやきもきもさせられます。でもそれがやがてカタルシスへと繋がっていくんですね。人魚との邂逅というファンタジックなドラマは、やがて現実の倦怠感と喪失感を突き破り、人間たちが醸し出す不穏な空気さえもすべて「愛情」で包み込んでいくのです。そこに至る道程が凄い。

人魚のルーに関してはどうしても『崖の上のポニョ』を連想してしまうし(一部『トトロ』も)、田舎町で暮らす若者の鬱屈という点は『君の名は。』『ひるね姫 知らないワタシの物語』などにも通じるので、最初こそ既視感はあるものの、でもやはり別物。可愛いげのある異界の生物は自在に伸縮し変形してカラフルな世界を縦横無尽に駆け巡り、そんななかで「好き」という気持ちがやがて世界を変えていきます。そこには閉ざされた世界に指す光というものが感じられてとても心地よいのです。結構要素が多くて雑多ではありますが、それも含めてとても良かったです。

↓以下、ネタバレ含む。








■心地よい動き

湯浅政明監督らしい「動き」の表現にはとにかくワクワクします。今作では特に「水」の表現がすんごくイイ。ルーが水を自由に操り、水のブロックを作ってそれと一緒に移動したりとか、水の柱で天高く上ったりとか、良いなあ。あと水面は普通の海なのに、水中は明るく色鮮やかなのも幻想的。そこにキャラクターが動きを伴うとさらに気持ちがいいのです。「動き」と言えば踊るシーンがよく出てくるのも特徴。ルーの独特なクルクルするダンスや、浜で人々がダバダバ踊りまくるコミカルさにはこちらも楽しくなってきます。ルーの頭に小魚が泳いでいるというデザインも動きがあるし、遠くから手を振る動きなどもカワイイ。ワンギョもカワイイ。

絵柄はわりとシンプルながら現実にも寄り添っていて、それでいてときに圧倒する映像が押し寄せてきます。そそり立つ巨大な崖のような大岩の、畏怖の対象としての凄まじい存在感、そこへ抜ける水路の異世界感などはとても良いです。ルーパパが燃えながらルーを助けに来るときの迫力なども特筆もの。この「日に当たると燃えてしまう」という描写が容赦がなくて、閉じ込められたルーや終盤蒸発していく人魚たちが痛々しいんですが、この「痛みを伴う」というところにもテーマの一環があるように思えます。一方で活き〆の魚が飛び出して歩いていき、そして燃える、というシュールな場面もあったりするのは可笑しかったりもします。あと迫力という点では、まるで五ェ門のようにルーに挑むタコ婆がむっちゃ怖いんですが、でも本質は恋する乙女だったりするんですよねえ。


■出し惜しむ音楽

音楽が重要な要素として使われるのも印象深いです。序盤のカイのアレンジや遊歩たちとのバンド演奏、カイの父親がやってたバンドのテープなど音楽関連の描写は多いですね。しかしこれらの音楽は、流れ始めてノッてきたと思うと止まってしまうので、なかなかストレスがたまります。タイトルの出るタイミングも曲が流れて盛り上がって「ここか!」と思ったらズラしてくるし。このスッキリしない感は、カイの現状ともリンクしてると言えるでしょう。それだけにラストでカイが思いをさらけ出して絶唱する『歌うたいのバラッド』には、カイの心情の変化を表すという意味があります。

ただ水と電子楽器は相性悪いなあというのが気になっちゃうんですけどね。ルーの操る水でカイの離れが水浸しになるのには、本はシワシワになっちゃうし電子機器は壊れちゃうだろうしで、その取り返しのつかなさに「うわー」ってなりました。その点、終盤にカイが弾くのはウクレレだから安心。


■停滞する人間たち

全体的にテンポがあるので、カイが石段をタタンタタンとリズミカルに降りるところなども心地よさがあるし、カイとルーが夜道を歩くような多少まったりするシーンでも停滞してる感じがしないのが良いです。でも舞台の日無町自体は停滞した町なんですね。寂れた漁業と傘の生産にしがみつき、新しいことには懐疑的。遊歩の爺さんは田舎にいがちな派手好きの権力者という感じで最初は嫌なイメージですが、町を建て直そうとしてるぶんマシなのかもしれません(極端ですが)。しかし遊歩の父を始め大方の人々は、初めこそルーをもてはやすものの、結局は人魚を危険視して排除しようとする保守的な面が膨らみます。

カイもまたこの町の閉塞感に嫌気が差して心を閉ざしている、つまり停滞しているわけですが、ルーに出会って徐々に明るくなっていきます。しかし皆にもてはやされるルーに嫉妬して投げやりに。それは自分だけの「好き」でいてほしいという独占欲であり、閉じた自分の世界に相手を閉じ込めたいということでもあります。カイはまだ自分の殻から抜け出たわけではなかったのでしょう。だから能天気な遊歩にきつい言葉を浴びせるし、父親が慣れない水産の仕事でどやされてるのを見ていられないし、好きでやっている音楽に対しても理屈っぽさが先に立ったりします。受け入れられず、さらけ出せない。ルーがピンチのとき、ヘッドホンを付けていて騒ぎに気付けないというのも、閉じた世界を象徴するかのようです。


■解放する人魚たち

しかしルーは人間たちを受け入れ、自らの姿もさらけ出します。ルーパパは人間たちに溶け込みながら(?)ルーを守り、祟りが始まってからは人魚たちは陽光で消える危険を犯しながらも人間を救い、ワンギョはかつて自分を捨てた飼い主の教師を助けます。助けたり守ったりするときに種の違いなど考えていないということであり、そこにあるのはもはや無償の愛と呼べるものです。カイ祖父の母もタコ婆の恋人も、死にそうになったところを命を救うために人魚にされていたんですね。

そんな人魚たちを見たカイ祖父らは、あれだけ忌み嫌っていた人魚たちを陽光から守るために傘を広げます。衰退の一端を表していた傘張りが、ここにきて活きてくるのには泣けてしょうがなかったです。そしてカイはルーと家族と友人たちとを守るために、ルーの鱗をピック代わりにウクレレを弾いて歌います。カイの歌は上手さより情熱という感じで、押し寄せる大波の迫力もあってクライマックス感がとてもイイ。そうしてカイは自分を解放することで、閉塞感の象徴のように日光を遮っていた大岩を崩して町を救い、言い淀んでいたルーへの「好き」という気持ちを言葉にできるのです。

ところどころ散漫になりそうな箇所もあるものの、グッとこらえたという印象。様々な伏線も焦れったい関係性も細かい描写も、最後に全てが収束していく構成がとても良いです。ただ、本作がハッピーエンドかと言えば微妙なところでしょう。大岩が崩れたことで人魚はこの町では暮らしていけなくなるし、カイの祖父は母親を追って海へと消えます。町も景気がよくなったというわけではありません。しかし人魚たちの無償の愛は人々の行き詰まり感を癒し、カイは自分の殻を破って前を見れるようになります。痛みはあったけど、それでも前向きに進むのだという力強さ。そして思いを言葉にする大切さ。エンドロールで流れる斉藤和義の『歌うたいのバラッド』が沁みます。

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