2017
05.24

分割された過去、統合された未来。『スプリット』感想。

split
Split / 2017年 アメリカ / 監督:M・ナイト・シャマラン

あらすじ
フーターズ最高!



見知らぬ男に拉致され、密室に閉じ込められてしまった3人の女子高生。脱出方法を探るなか、監禁された部屋の外から聞こえた女の声に助けを求めたものの、現れたのは女性の服を着て女性口調で話す先ほどの男。彼には複数の人格があったのだった……。M・ナイト・シャマラン監督、ジェームズ・マカヴォイ主演のサスペンス・スリラー。

前作『ヴィジット』が小品ながら実に良かった僕らのシャマラン、今度は解離性同一性障害、いわゆる多重人格を扱う話で、23人の人格を持つという男に拉致監禁されたケイシーら女子高生3人の姿が描かれます。持っている人格の多さはダニエル・キイス著『24人のビリー・ミリガン』を彷彿とさせますが、そこはシャマラン、独特の不穏さで煽りながら斜め上の展開を見せてくれます。

女子高生たちをさらう男はサイコパスに思えそうですが単純にそれだけではなく、さらわれるケイシーもまた単純な被害者ではありません。登場人物の善悪はともかく、これはスリラーという形式で見せる、心を抉る過去と対峙しようとする人物の物語と言えるでしょう。ケイシーの不可解な態度も、挿入される回想も、途中に感じた若干のダレでさえ、振り返れば意味があります。

そしてジェームズ・マカヴォイが見せる変化には舌を巻きます。見た目は『X-MEN:アポカリプス』に続きスキンヘッドですが、ちょっとした表情や仕草でも人格が入れ替わったことがわかるのが素晴らしい。ケイシー役のアニヤ・テイラー=ジョイは涙ぐむ大きな瞳が印象的で良いです。べティ・バックリーの演じるフレッチャー先生がおばあちゃんなもので、これでマカヴォイに対抗できるのか?というのも何気にスリリング。

シャマラン作品ということで、どうしてもどんでん返し的サプライズを期待しちゃう、というのはわからなくもないですが、それよりも虐げられた者や孤立した者が立ち上がる姿というのこそシャマラン作品の特徴だと思うのですよ。それは本作でも発揮されており、そこが良いのです。

↓以下、ネタバレ含む。








ケイシーが周囲から浮いていることを彼女のみにピントを合わせてまわりをボカすことで表したり、部屋にいる3人が生き残る者とそれ以外が柱で区切られていたり、映像で立ち位置や不安やらを色々と煽っています。薄暗い通路を逃げる少女を正面から撮ったシーンは見通しがよいにも関わらず追われる恐怖があるし、街灯の下を走るビーストを真上から撮るショットなどは良いですねえ。あとそこはかとない色っぽさは今までのシャマラン映画にはあまり見られなかったような。走るケイシーのおっぱいの揺れとか、クレアが上を脱がされマルシアが下を脱がされるというのも何だかフェティッシュ。シャマラン自身が登場してフーターズの良さを力説するのも笑います。どうしたんだシャマラン、フーターズにハマってるのか?

マカヴォイは前半こそ人格ごとに服装まで変えますが(それだけ人格ごとの解離が強いという怖さもある)、後半は誰に「照明」が当たって出てきたのかを表情だけでわからせるのが凄い。デニス~パトリシア~ヘドウィグは顔付きが違うのでまだわかりやすいですが、バリーのふりをしたデニスと本当のバリーとの微かな違いなどは見事すぎます。23人という触れ込みながら実際に現れるのは8人くらいですが、それ以上増えても観てる方が混乱するだけなので、これは妥当にして十分なところでしょう。23人という数は、それだけオリジナルのケビンが人格を分けないと生きていけなかったということであり、深刻さを表す数なのです。

てっきり女子高生3人の脱出劇を描くのかと思ったらそうではなく、いやそこも天井の穴とかダイニングからの逃亡とかビデオ映像で気付く鍵などサスペンスとしては実に良いのですが、それでいてメインはケイシーとケビン(マカヴォイのオリジナル人格)の物語。過去シーンによりケイシーもまた虐待を受けていたということが明らかにされていき、それによって序盤の彼女が取った不可解な態度や行動の意味するところも想像できてきます。最初にデニスが車に乗ってきたときも拉致された後も怖がりはしても騒がないのは、騒ぐと暴力的な仕打ちを受けていたからでは。ヘドウィグにキスを許すのは、油断させるというだけでなくキスを我慢するのに慣れているからでは。マルシアへの「おしっこしちゃえ」というアドバイスは自分の経験からきているのでは。そんな痛ましい予測が働きます。ヘドウィグに語る、人を遠ざけたい、一人になりたいという感情もそのためでしょう。

ケビンの24人目の人格として現れるビーストは「不純な者たち」へ報復する人格だと言います。言われのない虐待を受けた自分たちは何も間違っていないからこそ純粋なのであり、虐げられたことのない者こそ不純なのだ、という観念。だから元々ケビンを守るために存在する他の人格が、最終的にビーストを受け入れることは必然とも言えます。ビーストは虐待の痕だらけのケイシーを「純粋な者」と見なして「喜べ」と祝福の言葉を告げます。そしてラストの「叔父さんが迎えに来た」という警官の言葉に見せるケイシーの屹然とした表情には「選ばれし者だ」というビーストの言葉が明らかに影響を与えています。内へと向かう負の感情を外へと向かせる。それはある意味で「救い」であり、そこには徹底して不穏に描いてきたのにも関わらず優しさを感じさせる、という驚きがあるのです。

そして本当の驚きはラストに待っていた!続編の話は(不覚にも)チラッと聞いてましたが、まさかのあの人が出てきたときにはもうブッ飛びましたね。『キングコング 髑髏島の巨神』のエンドロール後映像に匹敵します。ビーストが電車に花を供えるというよくわからなかったシーンも、噂によればあの男が生き残った列車事故に関係してるというし、あの男とあの悪党がプロフェッサーXからビースト(青くないけど)へと変わったマカヴォイと対峙するのか?と思うと激アツです。単体で見ると本編とは全く関係ないサプライズではありますが、これは長年シャマラン・ファンをやってる者には嬉しいご褒美。全く予測できないシャマラン・ユニバース、期待して待ちますよ。

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