2017
05.11

有限の命を散らさぬために。『無限の住人』感想。

mugen_no_jyunin
2017年 日本 / 監督:三池崇史

あらすじ
まだまだ出るよー(武器が)。



剣客集団の逸刀流に両親を殺された少女・浅野凛は、謎の老婆に仇討ちの助っ人にうってつけの者がいると聞かされ、その男を訪ねる。万次というその男は死にたくても死ねない不死身の体を持っていた。凛の用心棒となった万次は逸刀流との壮絶な戦いに身を投じる……。沙村広明の同名コミックを、木村拓哉主演、三池崇史監督で実写映画化。

怪しげな老婆によって与えられた不死身の命により、ただ長きを生き続ける元武士の万次。そこに殺された妹の町にそっくりな少女、凛が訪ねてきたことで、死なない男の死闘が始まります。原作は30巻あるそうで、未読ながら結構な量の原作エピソードを取り込んでるようです。それだけにちょっと長いし、バトルに次ぐバトルの連なりではありますが、それを単なる繰り返しにしないよう各戦いに意味を持たせて見せきってくれます。漫画的なキャラや武器も、思ったほど荒唐無稽に感じないような絶妙なバランス。何より血だらけ泥だらけで手足も吹っ飛ぶ剣戟、一対多数の立ち合いは迫力満点。延々と続く斬り合いにも飽きがこないというのは凄いですよ。

主人公の万次役は木村拓哉ということで、キムタクはやはりどうしてもキムタクではあるんですが、原作と比較してどうなのかはともかく、本作のなかではその無頼さがキャラとの解離をあまり感じさせず上手くハマってます。何より速さと重さがある殺陣は見事で、百人斬りをこなす姿に違和感がないのが凄い。凛役は『湯を沸かすほどの熱い愛』の杉崎花、やたら「え?」が多いのはちょっと気になりますが、あと小太刀投げるときのポーズが変すぎますが、鼻水垂らしての熱演が良いです。他にも天津役・福士蒼汰の耽美な佇まい、閑馬役・市川海老蔵の不気味さ、尸良役・市原隼人の鬼畜っぷりなども良いですね。あ、槇絵役・戸田恵梨香のおみ足も素晴らしいです。

三池崇史監督の時代劇といえば『十三人の刺客』がありますが、その十三人分の働きをキムタクでこなしてるというのが見所。伝奇要素がアクセントとなり、怒濤の斬り合いが全編を満たし、ハッとするショットも随所に仕込んだ、これは時代劇の意欲作と言っていいでしょう。面白いです。

↓以下、ネタバレ含む。








■始まりは百人斬り

モノクロで始まる冒頭、兄妹で川にいるシーンから、ならず者が大挙待ち構える場所に移り、手を落とされてもひたすら斬りまくる万次、という一連の流れには強烈に飲み込まれます。引きの画で映される築かれた死体の山はいっそスペクタクル。そして不死身にされたところで徐々にカラーになり、虫がウニョウニョしたところでバシッとタイトル。このアバンタイトルが実にカッコよくて最高です。金子賢のクズ演技もイイ。

残酷描写はもっと血しぶき上がってもいいくらいですが、PG-12にしてはギリギリまで頑張ってるんじゃないでしょうか。話のテンポは良くはないけど、そこはテンポで見せようとはしてないんでしょうね。生き続ける男が選ぶ生き様、死ねない男が探す死に場所、そんなスムーズではない生き死にの話としてはその話運びは合ってるのかもしれません。画面を広く使ったロングのショットなどはとても良くて、水辺で姿を消した妹と水辺で万次を追う凛の対比などもじわりと効きます。


■途切れない刺客

タイトル以降はラストバトルまでは基本一騎打ちが多くて時間を食うため、さすがに尺の長さは感じます。繰り返されるアクションも飽きはしなかったけどお腹はいっぱいという感じ。とは言えそれぞれの戦いのなかでは違うドラマが描かれるので、味付けは変わっていくという感じです。逸刀流の一番手であるロリコン変態野郎の黒衣(北村一輝だそうです。さすがに気付かん)との戦いでは、万次の不死身を見せつつ、凛との始まりがあります。次の黒マスクの凶(まがつ)との戦いでは、同じように妹を殺されながら違う生き方をする万次を映しつつ、万次の不死身が逸刀流にバレるというピンチに繋がります。海老蔵の閑馬は生気の欠けた抑揚のない喋り方が気持ち悪くて実に良く、同じ不死者が見せる「生きるのに疲れた」という姿に、不死身であるがゆえの苦悩が伺えます。

戸田恵梨香の槇絵は天津のカリスマ性を引き立て、福士蒼汰演じるその天津は幕府の裏切りによりそれまでと全く違う立ち位置に変化します。市原隼人の尸良のパートは正直なくてもよいのでは、とも思いましたが、凛を人質に取られるという妹のときと同じ状況を再現することで、運命に試される万次という構図が表れてくるんですね。非常に多くの見せ場が連なっていますが、なかなか変化に富んでいると思います。ただせっかくの栗山千明や山崎努がチョイ役程度で見せ場がないのは残念。逆に地味で見せ場がないのかと思った吐(はばき)役の田中泯が、死体の転がる戦場で握り飯を食いながら睥睨し、かつ『るろうに剣心 京都大火編』ばりのアクションを見せてくれる姿には燃えます。


■死なないけど痛い

冒頭では一人で敵を全滅させることからも、万次の剣の腕は相当なものですが、不死身になってからはあまり無双の強さという感じはしません。結構やられるし。と言うか、斬られても死なないという前提があるため、どうしても斬り合いの緊張感は薄れるんですよ。万次本人も「好きでこんな体になったわけじゃねえ」と言いつつ「腕がなまってしょうがねえ」と自分でも言ってるところから、多少斬られても何とかなるという驕りがあるのかもしれません。

でもそうして薄れた緊張感を、痛みの表現による戦いの激しさと、傷の治りが遅くなっているという焦りがカバーしてるんですね。同じ不死である海老蔵が死んだことにより、さすがに死ぬんじゃないか、死なないまでもピンチに陥るのでは、という別のハラハラが出てくるわけです。あと敵から奪って増えていく万次の多彩な武器が面白くて、剣を繋げて一本にして戦うなど活劇としての盛り上げが増えていき、どこから武器を出してるんだというのも含めマンガ的で愉快。それでいて画作りがシブいために荒唐無稽さが低いというのも良いです。


■「死なないこと」と「生きること」

万次は不死身ゆえの苦悩を抱え、心のどこかで死にたいと思っているわけですが、そんな彼の生きる力となるのが妹に瓜二つの凛です。両親の仇を討ちたいと真っ直ぐ見つめてくる大きな瞳。そこには生きている者の情念とも言うべき「熱」があります。八百比丘尼によりただ生かされている万次からは失われた「熱」。それは死ねないがゆえに逆に思い知る「生」そのものです。妹を死なせてしまったという咎があるからこそ、その「生」を否定することは万次にはできないんですね。あとはね、あんな可愛く「兄ちゃん!」と呼ばれたらほっとけないですね。

キムタクの演技は良くも悪くもキムタクであり、そこはどうしても好みの分かれるところではあると思うんですが(個人的には普通に出てくる舌打ちが苦手)、凛を襲う者を「叩っ斬るだけだ」と言ってニヤリと笑うところはイイ具合にキムタク力が出てると思うんですよ。いまだにトップアイドルであるキムタクが不死者の役ということで、万次の徐々に衰える回復力にはキムタク自身の現実の足掻きさえ重なって見えてきます(色々あったからね)。それをニヤリと笑って斬りまくる姿に、この役を選んだ木村拓哉の「まだ死なねぇよ」と言わんばかりの気概を感じるのです。

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