2017
05.01

差異ではなく個性。『美女と野獣』感想。

Beauty_and_the_Beast
Beauty and the Beast / 2017年 アメリカ / 監督:ビル・コンドン

あらすじ
いま始まる、俺様劇場!



読書と空想を好む美しい娘ベルは、町では夢見がちな変わり者と見られていた。ある日出掛けたまま戻ってこない父のモーリスを探して森に入ったベルは見覚えのない城に辿り着き、そこで恐ろしい野獣の姿をした人物に出会う。彼は王子であったが、魔女の呪いで野獣に姿を変えられたのだった……。ディズニーの長編アニメ『美女と野獣』を、『ドリームガールズ』のビル・コンドン監督で実写映画化。

1991年のディズニー・アニメ『美女と野獣』はアニメ映画史上初のアカデミー賞作品賞にノミネートされたほど完成度の高い作品なので、それを実写映画化するというのは蛇足感があるのではという不安もありましたが、しかしこれがむしろ「満を持しての実写化だった」と言えるくらいよくできてました。どうしてもアニメ版と比較される宿命なわけですが、呪いで野獣の姿に変えられた王子と美しく聡明な女性ベルを描くストーリーラインはほぼそのままで、よりゴージャスに、よりエモーショナルに、アクションも増してと、とにかく全体的にアップグレードさせるという一見無謀な試みを行い、それを成功させているのです。これって意外とスゴいことだと思うんですよ。

キャスティングがハマっているのも大きいです。ベル役は『ハリー・ポッター』シリーズのエマ・ワトソンで、変人扱いされようと自分の価値観を信じる姿、そして清潔感ある美貌がマッチしています。王子役はテレビドラマ『ダウントン・アビー』のダン・スティーブンス、素顔がほとんど出ないだけに細かい表情で魅せます。そして出ました、町一番のハンサム・ガイ&クズ野郎であるガストン役に『ホビット 決戦のゆくえ』『ワイルド・スピード EURO MISSION』などのルーク・エヴァンス、これが実に徹底したいやらしさなのが素晴らしい。燭台のルミエール役で『T2 トレインスポッティング』ユアン・マクレガー、時計のコグスワース役で『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』でもコンドン監督と組んだイアン・マッケランというのも良いです。

野獣の瞳を印象的に映すことで恐ろしさの奥にある心を見せ、ベルの自立心はより毅然と描くことで強調させます。野獣の家臣である家具たちもとても良い動きをするし、「そこまで実写で再現するのか!」というこだわりの映像には頭が下がります。物語世界を押し広げた実写版『シンデレラ』とは微妙に違ったアプローチ。耳に残る楽曲の数々は言うに及ばず、アニメ版にはない細部やエピソードも効いており、あらゆる点で「上手いなあ」と思わされます。

↓以下、ネタバレ含む。








元々の原作は1740年フランスのヴィルヌーヴ夫人の小説であり、近年でもレア・セドゥ主演、クリストフ・ガンズ監督で『美女と野獣』として映画化されており、本作でもパリの街が出てきたり「ボンジュール」「シルブプレ」とやけにフランス語が出てきたりとフランスを感じさせますが、こちらはあくまでディズニー・アニメ版の実写化ですね。エマ・ワトソンは清楚でありながら毅然としたベル役として非常にハマっており、ハーマイオニー以来の代表作と言われているのも頷けます。胸の谷間を強調するようなショットはレア・セドゥへの対抗か?とも思いますが(でもエロくはない)。野獣のビジュアルはアニメ版に近い大きさと重量感がありますが(角がカッコいい)、思いのほか人間的な表情を出せるような顔付きです。特に目に関してはダン・スティーブンスそのままなので、人間に戻ったときも目で同一人物とわからせるのは良いですね。入浴後の野獣の毛が濡れてるのとか湿ってる感じあります。

他の登場人物(とか道具とか家具)も結構存在感あります。ユアン・マクレガーの捲し立てるような喋り方のルミエール、深みのある声が印象的なイアン・マッケランのコグスワースは、固そうなのによく動く感じが自然で良いです。衣装だんすであるマダム・ド・ガルドローブの布ぐるぐる攻撃も強力だし、ハープシコード(ピアノみたいなやつ)のカデンツァ(声はスタンリー・トゥッチだ)が歯を飛ばすのもなかなかの凶器。衣服かけの回転パンチ連打も強い。ってなんかアニメ版より攻撃力増してませんか?ポット夫人は顔を模様のような手書き風にしたのがイイ感じ。演じるエマ・トンプソンは『ハリポタ』のトレローニー先生に続きエマ・ワトソンとの共演ですね。あと息子のカップ少年チップが皿をスケートボードのように操るのもイカします。羽ぼうきのプリュメットは色々掃除したりできるので便利(それ普通だな)。そしてガストン、ルーク・エヴァンスの好感度をゼロまで落とす(でもマイナスではない)ほどの予想以上のクズで、モーリスを陥れる時の口八丁とか、ベルに結婚を断られたときの「ふーん」という表情とか、野獣を背後から銃で撃つという卑怯さなど、かなり振り切ってます。最後に落ちていくとき一瞬見せる「ヒャッ」て顔が最高。

冒頭のディズニーロゴの城が野獣の城になっていて、アニメ版が好きな人にはここで早くも期待を抱かせますね。舞踏会のシーンはやたらきらびやかな美術と怪しげなメイクで王子たちの驕りが感じられるし、一転おどろおどろしい雰囲気のなか王子が野獣化するシーンはホラーチックでもあったりして、実写ならではの雰囲気作りが良い感じ。ベルが訪れたときのうら寂しさ、二人の心が通じ合った後でのダンスシーンは冒頭とは違ったゴージャスさで美しく、同じ城のシーンでも風情を変えてきます。序盤のベルが歌い歩くミュージカルシーンでは赤やオレンジの暖色系の服が多いなか寒色系のブルーの服のベルが浮いていたり、雪のなかでのベルの赤いコートが映えたりと、色使いが実に印象的です。そんな美術の丁寧さがエモーショナルに響くシーンも多く、書架の部屋を見たベルが喜ぶ以前に泣きそうになる姿などはベルの感動が伝わってくるし、黄色と青とが舞い踊る二人のダンスシーンの美しさはアニメ版に負けない素晴らしさです。

他の女性が恋愛事に夢中だったりするなか、ベルは本を読んだり父の時計修理に詳しかったりと少し変わり者と見られています。一方で野獣は自身の恐ろしい姿に外部との交流を諦めかけています。価値観の相違、見た目の異質さ、そんな個性的であるが故に世間に馴染めない者たち、というのが根底にあるんですね。そしてそんな個人の違いを認めることが大事だということが描かれているわけです。ベルがガストンの求婚を断るのも見た目だけで判断するガストンとの価値観が違いすぎるからだし、逆に見た目が怖くても繊細で自分を理解してくれる野獣とは通じ合っていきます。パリでベルの母親を置き去りにするしかなかったというアニメ版にはなかったエピソードでは、ベルの母親も個性的だったもののやがて周りが真似をし始めたと、ベルの生き方を肯定するように語られます。それを語る父のモーリスも多少変わり者ではありますね。またガストンの相棒的なル・フウがゲイ(っぽく)描かれるのもこれに当てはまります。決めつけたり人々を煽ったりするガストンを、マイノリティであるル・フゥが諌めたり止めようとしたりするのが、よりガストンのクズさを際立たせています。あとガストンに煽られる町人たちとは逆に、バラが落ちたあとに息絶えた野獣にベルが泣きすがる姿を魔女が直接見て呪いを解くというのは、自分の目で見て真実を確かめる、という意味合いがあるかもしれません。

ベルと野獣は急接近しすぎな感もなくはないですが、命を賭して助けにきた者の優しさに気付き、急速に惹かれていくのはそれほどおかしくもないでしょうね。ひょっとしたら、軽い気持ちで雪玉を投げたら倍返しで顔面に食らったというのが決め手だったかも(そうか?)。見た目ではなく心だというテーマが最後に野獣が人間に戻ることで多少揺らいでるようにも思えますが、元の人間の姿に戻ってもベルの心が変わらないということなので、結局揺らいではいないんですね。家来たちも人間に戻り、村人たちと実は関係があったという描き方はよりハッピーだし(マッケランの奥さんに対する嫌そうな顔が絶品)、最後に皆でダンスというのが実に大団円(ル・フゥにあてがう相手には無理やり感もありますが)。そしてエンディングでカーテンコールのように一人ずつ顔と名前が出るのも実写版ならではという感じの豪勢さがあって良かったです。

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