2017
04.26

遠き故郷を辿る指先。『LION ライオン 25年目のただいま』感想。

lion
Lion / 2016年 オーストラリア / 監督:ガース・デイビス

あらすじ
別にGoogle礼賛ではないです。



インドのスラム街で暮らす5歳の少年サルーは停車中の電車で眠り込み、気付くと見知らぬ大都市まで来てしまう。迷子になって施設に収容されたサルーはやがてオーストラリアの夫婦の元に養子に出されるが、それから25年、Google Earthで本当の家族を探しはじめる……。ノンフィクション『25年目の「ただいま」 5歳で迷子になった僕と家族の物語』を原作としたヒューマン・ドラマ。第89回アカデミー賞で6部門ノミネート。

1986年、5歳で迷子になってしまったインドの少年が25年後に家族を探しだす、という実話をベースにしたお話。わりと近年の話なのでニュースなどで見た人も多いのではないでしょうか。成人し、遠く離れた国で幸せに暮らすサルーが、友人の「Google Earthなら地球上のどこでも探せる」という言葉から、おぼろげな記憶を頼りに故郷を探しだすまでの過程を描きます。現実に起こった『母を訪ねて三千里』といったところ。

予告で「列車のスピードで距離を割り出せる」などの台詞もあるため、色んな科学的手段を駆使してプロジェクト的に動くのかと思ったら、これがとてもパーソナルで、熱を持った感じという予想とは違いじわりとくる話です。しかし少年時代の心細さ、絶望、諦念を時系列に沿ってじっくり描くことでツラさが染み入り、「今もまだ自分を探しているのでは」という思いの止まらなさに繋がっており、行動に説得力を感じます。

サルー役の『スラムドッグ$ミリオネア』デヴ・パテルが、精悍ながら過去に苦しむ青年としてとても良いです。義母スー役であるニコール・キッドマンの子に対する姿勢や、恋人ルーシー役である『キャロル』のルーニー・マーラの抑えめな感情表現も魅せます。そして少年期のサルー役を演じるサニー・パワールくんが素晴らしい。実話とは言えそれなりに脚色されてはいるだろうけど、テクノロジーがこういう形で役立つのは素直にスゴいなと思いますよ。映像の美しさも心に残ります。

↓以下、ネタバレ含む。








成人のサルーが徐々に過去を思い出しその都度過去シーンが挿入されるという感じかな?と勝手に想像してたんですが、完全に時系列で描かれてます。このため、安全な現在から過去に飛ぶという安定性はなく、観る者はサルーと共に不安と悲しみを順次体験することになります。目が覚めたときに列車が動いている絶望感。地方が違うと言葉も違うというインドの広さ。駅で家のない子供たちに向かえられるも連行される危機。ようやく優しい女性に会えたと思ったのに、売り飛ばされるという危険を察して逃げ出す。そんな小さな子供が一人迷い続けるのをひたすら描くことに全体の尺の半分を使っており、結構キツいです。ただ一方で、鮮やかな揚げ菓子、蝶が飛び立つ美しさ、列車がトンネルから出るときの眩しさ、人々の生活の一部であるガンジスの流れなどといった風景の印象深さが、のちに郷愁をもたらしてもくれます。

タスマニアに移ってからは優しい両親のもと、ルーシーという彼女までできて不自由なく暮らすサルー。ルーニー・マーラは最初に見せる躍りながら歩く姿がちょっとインド映画のようでお茶目さがあって、あれはホレますね。唯一の懸念が兄のマントッシュで、情緒不安定なところが少々危なっかしいですが、彼の成人となっても癇癪を起こす姿は子供時代の心の傷を引きずったかのようで痛々しいです。そこにあるのは実の家族を失った悲しみであり、それだけに新たに得た家族であるサルーに「本当の兄弟じゃない」と言われて暴れだすわけです。

でもそんなマントッシュのこともサルーも、分け隔てなく心から愛する母スー。「子供は持てた、それでも養子を取ることを決めていた」という告白にはその思いもしなかった考え方に驚きますが、それだけに彼女の愛情は揺るぎないものとわかるし、マントッシュもその愛情をわかっているからこそ家を出た、というのが泣かせます。サルーもまた母が傷付くことを恐れ故郷探索を断念しようとさえしますが、それでも実母が自分を探し続けていると思うと耐えられない。「タスマニアで何不自由なく暮らすことにヘドが出る」と言うのは現状への不満ではなく、自分だけが幸せを享受していることへの罪悪感でもあるでしょう。

この辺りは時間がわりと飛ぶので、どれくらい時が経ったのかわかりにくいという難点はあるし、長年探して見つからなかった街がある日適当に触ったGoogle Earthで見つかるものなのかとも思いますが、人生計画通りにはいかないのだしきっとそういうものです。憶えのある通りを歩き、ついに実現する実母との再会、すっかり年老いた母の姿がせつなく、サルーがもうヒンドゥ語を喋れなくなっているというのも悲しいですが、それでも存命だった母と抱き合って喜び、すっかり大人になった妹とも再会したサルー。しかし年月とは関係なく、サルーが迷ったときに別の列車にはねられ既に死んでいた兄グドゥの悲しみ。サルーを連れ出したことで母に厳しく叱責され、今まで罪の意識を抱えながら生きていたのでは、と心配してたのが、むしろその方がどんなによかっただろうかというツラさ。駅でいなくなったサルーを探すグドゥの描写が響きます。

幼かったサルーが間違えて覚えていた自分の本当の名、シェルウ。その意味を知ったとき、タイトルの謎が明らかになります。獅子のように強くあれと名付けられたのだろうその名は、図らずも千尋の谷に落ちながらも登ってきたサルーに体現された、と言えなくもありません。しかしそれは突き落とされたわけではなく、格差ある環境と不幸な事故の重なりです。エンドロール後の「兄グドゥの思い出に捧ぐ」の悲しみを思い、今も多くの子供たちがさ迷っている現状が改善されることを願うばかりです。

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