2017
04.25

拡散する夜、収束する朝。『夜は短し歩けよ乙女』感想。

yoru_ha_mijikasi
2017年 日本 / 監督:湯浅政明

あらすじ
酒は飲んでも飲まれるな。



クラブの後輩である「黒髪の乙女」に思いを寄せる大学生の「先輩」は、なるべく彼女の目にとまることを目的とした「ナカメ作戦」を実行する日々。そんななか個性的な人々の巻き起こす珍事件に巻き込まれていくものの、それらに関係している黒髪の乙女との関係は一向に進展せず……。森見登美彦の同名小説をアニメ映画化。

原作を先に読みたかったんですが、『マインド・ゲーム』やテレビアニメ『四畳半神話大系』などで独特の世界観を見せてきた湯浅政明が監督ということで、先に映画版を鑑賞。でもこれ触れる順番はどちらからでもいいような気がするくらい、とにかく湯浅政明の個性爆発です。タイトルとは裏腹に短くない一夜に、黒髪の乙女が遭遇する奇妙な人々と珍妙な事件、そしてそんな彼女を追い求める先輩の少々歪で一途な思い。そんな物語を、置いてきぼりにされかねない勢いのエキセントリックな展開と、怒濤のイマジネーションの奔流で描きます。

大学や飲み屋を舞台に次々と登場する変な人たちの京都のあちこちを巻き込んだ大騒動を、アニメにしかできない表現でこれでもかと描き出すのが実に愉快。このファンタジーとリアリティが交錯する、どこか時空が歪んだような「現実なのに異世界感」というのがたまりません。そして誰かと繋がっていく「これも何かのご縁」という前向きすぎる女性と、外堀を埋めることに腐心する男。結び付きそうにない話が、あらゆる伏線を糧にして見せる結末には喝采ですよ。

黒髪の乙女役である『言の葉の庭』の花澤香菜は、物怖じしないポジティブさが清々しくて実に眩しいです。そんな彼女を想う先輩役として『聖☆お兄さん』でブッダを演じた星野源がダメっぷりを吹き込んでいて良い感じ。この二人を中心に、単なるラブストーリーではない、人との繋がりを様々な形で描く物語。アジカンの主題歌も合ってます。僕にも酒を飲み歩いたり古本市を物色した過去があるのでもう楽しくて、でもそれは過ぎ去った過去でもあって時折せつなくて、なんとも言えない不思議な感慨がありました。面白かったです。

↓以下、ネタバレ含む。








冒頭の酒を飲み下す姿から顕著ですが、肉体は自在に変化し、容姿や服装などの見た目とも相まって実に独特な世界が描かれます。色使いもカラフルでありながら現実とは異なるもので、アニメという「絵の世界」にしかできない表現が面白いですね。また、古本市の神様や電車のような李白の屋敷など、現実世界に寄り添いながらもファンタジー世界とのボーダーを行ったり来たりし、ときには妄想の世界まで映し出していく、いわば「異世界感」が全編に渡って拡がっているため、不可思議な出来事もするっと飲み込めてしまいます。

お話としては、これは繋がりの物語と言っていいでしょう。一見無秩序に繰り広げられる様々なエピソードは、黒髪の乙女を中心に思わぬ形で繋がっていきます。バーで知り合う東堂は乙女が出席していた披露宴の娘の父親、その娘に横恋慕する詭弁躍りの男、バーで知り合う年寄りたちはその詭弁躍りの創始者で共に躍り、東堂の春画を巡るいざこざに乙女が立ち入って李白と飲み比べ、そこで念願の偽電気ブランをいただく。東堂を友達パンチで倒したあとに知り合う樋口や羽賀さんと学園祭でも再会、学園祭事務局長から逃げながらパンツ総番長のゲリラ演劇に参加。乙女の言う「これも何かのご縁」という行動基準が文字通り縁(えにし)となっていきます。

繋げようと思っているわけではないのに、乙女の行動は偶発的にそれらのきっかけとなっていきます。特にパンツ総番長の恋路では、運命の出会いが再び訪れるというロマンまで。彼女は夜の世界における眩しき世界の中心として、周囲に等しくドラマを波及させていくんですね。竜巻で巻き上げられた鯉が落ちてくるというのも『マグノリア』的な等しさを感じさせるし、皆が風邪をひくというのもその等しさの表れに思えます。しかし乙女自身は、経験と見識は増えていくものの彼女自身に何かのドラマが起こっているとは言い難く、多くの風邪ひきを見舞っても風邪は移らないという、中心ならではの疎外感さえあります。

一方で先輩は、何をしても袋小路に入っては次に流されていきます。それでも外堀を埋める永久機関となって、乙女に向かって進もうとするんですね。彼が求める繋がりは乙女にのみ一点集中していますが、どんどん広がっていく世界を迷走しているだけで、乙女が作る世界からは取り残されていきます。ついには自ら自分には何もないと気付いてしまう。むしろ気付いていたからこそ「ナカメ作戦」などという運命的な偶然を装い、世界の中心に辿り着こうとしていたのでしょう。自分の乙女への想いは単なる性欲ではないかとまで考え込み、股間のトラブルが多いのもそれを象徴するかのよう。結局は夢のように広がる夜の世界のなかで、夢を見ていただけではないかとさえ思えます。

でも夢はいつか覚めるもの、夜はいつか明けるもの。無敵に思えた天狗も風邪をひき、何でも持っている年寄りは人生の虚無に絶望します。偽電気ブランは既に胃のなか、「ラ・タ・タ・タム」は見つけられず、乙女のいた夢の世界もまた強風の吹き荒れる現実へと引き戻されます。しかし夢の覚めたあと気付くのは、偶発的な行動とは逆に、偶然を装った必然の想い。乙女がそれに気付いたとき「命短し恋せよ乙女」と歌が流れることが示すように、ここにおいて群像劇は一気にラブストーリーへと変化し、等しく広がったドラマは乙女と先輩のドラマ一点へと収束します。二人にとっては全ての人々の繋がりが伏線であったという「集」から「個」への転換。突き進む未来ではなく、彼女の生きてきた過去を包み込む「ラ・タ・タ・タム」。そして彼女自身の物語も始まったことを示すかのように、他の者と同じく風邪を引く乙女。誰にでもドラマはある、というこの帰結にじんわりします。

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