2017
04.19

選んで走って生きてゆく。『T2 トレインスポッティング』感想。

T2_Trainspotting
T2 Trainspotting / 2017年 イギリス / 監督:ダニー・ボイル

あらすじ
Choose Life.



かつて仲間たちの元を去ったマーク・レントンが、20年ぶりにスコットランドに戻ってきた。シック・ボーイやスパッドに再会したレントンは未だに底辺の人生を送る彼らと共に稼ごうとするが、帰郷をベグビーに知られてしまい……。アーヴィン・ウェルシュの原作を元にした、1996年製作『トレインスポッティング』の20年ぶりとなる続編。

スタイリッシュな映像と楽曲でポップカルチャーの象徴と言われた『トレインスポッティング』。あれから20年、奴らが帰ってきた!監督ダニー・ボイルの名を世に知らしめ、ユアン・マクレガーの出世作となった前作、そのキャスト・スタッフが再結集しての続編です。パブ経営と恐喝で稼ぐシック・ボーイ、ヤクをやめられないスパッド、刑務所に服役中のベグビー。そんな相変わらずの仲間たちがいるスコットランドはエジンバラの地を20年振りに踏んだレントンにより、彼らのドラマが再び動き出します。前作の雰囲気を引き継ぎつつ、確実に経過した月日の影響を随所に仕込み、ドン底に生きながらそれでもあがき続ける男たちの姿を映し出す、これがもう可笑しいやら悲しいやらで、やるせなくも愛おしい。老獪なのにフレッシュな映像や、力のある楽曲のチョイスもとても良いです。

キャストが同じということはみんな劇中と同じく年を重ねているわけで、その連続性が説得力を持ってくるし、かつ経過した時間を感じさせてとても感慨深いです。図らずも中年版『6才のボクが、大人になるまで。』といった趣が出た感もあります。『スター・ウォーズ EP1~3』のユアン・マクレガー演じるマーク・レントン、見た目はそれほど変わってないけど中身はどうなのか。そして『スノーピアサー』ユエン・ブレムナーのスパッド、『プランケット&マクレーン』ジョニー・リー・ミラーのシック・ボーイことサイモン、そしてロバート・カーライルのベグビー。彼らがどんな月日を過ごし、ここからどうなっていくのかもポイント。

年をとるほど狭まる人生の選択肢、捨てきれない過去、あの頃とは違う苦み。そんなやるせなさに打ちのめされながらも、スリルと高揚感には鼓動が高まります。そして何を手に入れ、何を失い、何を変わらず持っているか。そんなことを思って何度も泣きそうになるんですよ。遡って前作までさらに好きになってしまいました。その意味では完璧な続編と言っていいでしょう。いやあ面白い。逆に本作を観てから前作を観るのもそれはそれでイイかもしれません。観る人の世代によっても感じ方がちょっと変わりそうですが、これは若者と、かつて若かった全ての人の話だと言えます。

↓以下、ネタバレ含む。








■ 帰 郷

相変わらず愚かで小賢しく、したたかで弱い男たち。でも変わってない訳じゃない。家族がいたり、知恵がついたり。13階まで歩いて上れば息も切れるし、走って追いかけるのも途中で諦める。苦みを抱えながら生きている46歳アンド・モア。そこには確実に20年という月日が流れています。もうシック・ボーイとあだ名で呼んだりもしないんですね。

自由と引き換えに苦味を伴って終わった前作、友人たちを裏切って金を持ち逃げしたレントンにはどの面下げてという気もします。なぜ帰ってきたか。離婚、失業の危機、母親の死去。心臓発作で死にかけたという現実。そんな人生の行き詰まり感が彼を故郷へ向かわせたのでしょうか。ヴェロニカが「帰りたい、故郷だから」と言うのと同じ、いつか帰ってしまう場所。それは単なる郷愁にとどまらない、自分のルーツがそこにある、ということでもあるでしょう。

しかしそんな故郷もまたあの頃と同じではないわけです。見渡したエジンバラの駅前は小綺麗で、ビラを配ってる女性に出身地を尋ねると「スロベニア」だと言う。後に知り合うヴェロニカはブルガリアの出身。そんな微妙に開けた感じが、自分の知ってる故郷とは違う土地に感じられるという疎外感をもたらします。かつて「こんな国クソッタレだ」と揶揄したその場所にも、確実に流れた月日があります。


■ 再 会

20年の月日はあのときの怒りをそのまま表すには難しく、まずは大人らしく近況報告、とは言え手繰った記憶の結果とりあえずブン殴らないと気はすまない。そんな思いがサイモンとの再会には見られます。許したわけではないし、仕事に巻き込んで酷い目に遭わせるつもりなのに、それでもサイモンはレントンと行動を共にし、バカ騒ぎし、ベグビーを遠ざけようとします。信頼はしてない、でも友達だ、という理論的な説明のつかない感情。それが二人の関係性であり、スパッドはそれを「親友だ」と表現します。

スパッドとは自殺を止めたらゲロまみれという、あの頃よりも酷い再会。彼はヘロインから抜け出せず、妻と幼い息子からも距離を置いています。弱いけど本当は優しく素直。でも流されてここまで来てしまった、そんな彼の性格が随所に見られます。妻があの頃から付き合ってたゲイルというのもスパッドらしい。なんか咳き込んだりするんでひょっとして死んじゃうのでは……と思ったけど違いましたね、ヤク断ちで苦しんでたのかな?スパッドは劇中一の隠れた才能を見せます。大工の仕事は店舗の工事に大いに役立つし、サインのコピーも上手い。そして文章の才能に目覚めるというのが面白い。素直だからこそ備わった人間観察力もあり、かつて廃駅で近付いてきた酔っ払いがベグビーの父であることにも気付きます。

ベグビーは相変わらずの短期なクズ野郎で、とうとう人を殺して服役。前作で「もし捕まれば20年はくらう」と言われてましたがその通りになったわけです(本当はあと5年あったけど)。演じるロバート・カーライルが恰幅のよくなったのもあってベグビーには貫禄さえありますが(昔のカーライルは線が細かったなあ)、彼だけは変わらず怒り、ブチ切れ、レントンの裏切りも決して許しません。それでいて今までと最も異なる一面を見せるのもベグビーです。


■ 喪 失

曲に合わせてランニングマシーンという冒頭からしてアガります。走るシーンから始まるのは前作同様ですが、しかしそこでいきなり倒れるというのが、全速力で逃げ回る前作との違い。それはかつてあった若さが失われた、ということです。こういった「喪失」は様々な形で表れます。レントンとサイモンが昔の知識をひけらかし、ヴェロニカに「二人とも過去に生きている」と言われるシーンは、二人の中ではサッカー場でもそこは狭い部屋のなかであることが示されます。あるいは、他界したレントンの母がもういないことを、食卓で母の影だけが映ることで表されたりします。また、かつての友人だったトミー(ちゃんと言及されるのがイイ)を偲びに列車でかつて皆で行った高原へ行くも、サイモンは「悲しい気分になれない」と喪失感さえも喪失したことを吐露します。

しかしサイモンの死んだ息子ドーンのことを、自分はその幻覚で苦しめられたことも忘れてズケズケと責めるレントンに対し、サイモンは何も言い返せません。そこにはトミーに対するものとは別種の、抱え続けているパーソナルな喪失が見えます。あとはサイモンが007オタクらしさを発揮しないのも何だか情熱を失ったようで寂しいですが、前作でショーン・コネリーに絡めて「年を取るのはクソだ」と言っていた、その大人に自分がなってしまった悲しさも感じます(でも昔語りシーンで『ロシアより愛を込めて』のテーマが流れるのがイイ)。

一方でベグビーは、息子が成長して自分と共にでかいことをやると思っていたのが、自分とは違うまともな道を進もうとすることに怒ります。しかし息子が自分の「人生を選んだ」ことを受け入れることで、それを喪失ではなく喜びへと変えるんですね。ベグビーにとっての本当の喪失はレントンとの関係です。レントンを追い詰めたベグビーがふと漏らす「親友に奪われた」という言葉。スパッドの書いた「レントンはベグビーには良心が痛まなかった」という文章にはショックを受けてもいます。

思えばベグビーはレントンを子分のように扱っていましたが、そこには上下関係以上に信頼感があったのかもしれません。しかしその一方的な友情はレントンには通じていなかったわけです。それだけにレントンへの怒りはいつものような突発的暴力性ではなく、覚悟の殺意にまで発展します。そして首吊り状態になるレントンを思わず助けるのかと思いきや、さらに足を引っ張る。自ら引導を渡そうとするその姿に、却ってベグビーの思いの深さが見えます。妻子に別れを告げるシーンといい、まさかこんなにベグビーに泣かされるとは思いませんでしたよ。


■ 選 択

夢中になることを探せと言われて、かつて走っていた自分たちの姿を路地に見るスパッド。再び車のボンネットに手をつき笑うレントン。汚いトイレや、スパッドがベグビーを倒すのが便器というトイレ繋がり。効果てきめん、前作のレントンの座薬と今作のベグビーのバイアグラ。前作との繋がりは意図的に散りばめられ、ときには前作の映像をそのまま挿入したりもして、連続性はさらに意識されます。変わったものもあれば変わってないものもある。あのレントンと恋仲だったJKのダイアンが、何とも立派な弁護士になっているというのは驚きました。

でも失った時間にたそがれてばかりもいられない、ということで金稼ぎに奔走するレントンたち。マッサージ店の出店は縄張りの関係で断念、四十超えての全裸逃走も命あってのものですよ。必要なら「カトリックは全滅~♪」と即興で歌いますよ(ここ爆笑)。盗みをして逃げる昔の自分たちには犯罪者保護のアニメ顔を貼り付け、事業案提示で手に入れた10万ポンドで再起だぜ!その報を聞いたレントンが真っ先にヴェロニカに抱きつくことで関係がバレるというのはマヌケですが。

ヴェロニカは若さと野心の象徴です。前作のダイアンよりも年齢差があるだけにさらに強い位置付け。サイモンに働かされているように見せながら店を持つという欲望を叶えさせようとするので主導権は彼女にあるし、レントンとの仲も深入りしない程度に遊ぶし、スパッドの文才が花開くきっかけも彼女。おっさんたちは若くて美しい彼女に翻弄され、それに薄々気付きながらも共に行動してしまいます。ヴェロニカが金を独り占めしたことも半ば諦めているんでしょうね。

それでもレントンがヴェロニカにまくし立てる「選べ」の連呼には、経てきた年月を叩き付けるような迫力があります。前作で言っていた即物的、抽象的な「人生を選べ」とは年期が違う具体性と哲学を感じるんですよ。裏切りを選び再会を選んだレントン。選べる人生などなかったと言うベグビー。恐れていたベグビーを殴り倒すことを選び、友達は裏切れないと言って息子に送金することを選ぶスパッド。今日も閑古鳥の鳴くパブを開けることを選び、それでも来てくれる客を迎えるサイモン。少年時代、仲良くサッカーで遊んでいた彼らの開けていた未来は狭められてしまったけど、それでもそれは彼ら自身が選択した彼らの物語なのです。


■ 循 環

スパッドの書いた彼らのストーリーは小説として形を成し、妻ゲイルは「タイトルを考えた」と言います。何というタイトルかは言うまでもないですね。ちなみに「トレインスポッティング」とは鉄道オタクのこと、そこから転じて鉄道の廃駅に行ってドラッグをやる奴ら、というような意味らしいですが、本作ではリースの廃駅でのベグビー父の言葉で「お前らは"Trainspotting"か?」としっかり使われてました。

そんな小説を「誰が読むんだよ」とレントンたちは言いますが、スパッドは「自分の孫が読むかもしれない」と言っています。そして我々はこれが前作へと続く物語であることを知っているんですね。このループ的視点は映像でも表現されています。序盤で針を落としたレコードはすぐに止めてしまうものの、ラストではそれをかけながら踊るレントン。色々しくじったがまたこの街で生きていく、そんな選択。そこでかける曲がアレンジこそ"The Prodigy Remix"に変わっていますが、前作のオープニング曲である『Lust For Life』です。そして長く延びていく部屋はそのまま過去へと通じているかのよう。連続性は循環性を獲得し、これによって本作の後には前作を、前作の後にはまた本作を観たくなるという中毒性まで備えてしまったのですよ。スパッドでさえドラッグをやめたのに、映画自体はよりドラッギーになってしまったようです。

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