2017
04.17

私が取り戻す私。『ゴースト・イン・ザ・シェル』感想。

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Ghost in the Shell / 2017年 アメリカ / 監督:ルパート・サンダース

あらすじ
ゴーストが囁きます。



電脳技術が発達し、人々が自らの身体を義体化するようになった近未来。脳以外は全て義体化された少佐率いるエリート捜査組織「公安9課」は、ハンカ・ロボティックス社を狙ったテロ組織による事件を解決すべく捜査にあたるが、そんななか少佐は己の真実を知る事態に……。士郎正宗のコミックをアニメ化した押井守監督『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』をハリウッドで実写映画化。監督は『スノーホワイト』のルパート・サンダース。

1995年公開のサイバーSFの金字塔、『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(以下、押井版)の実写化です。電脳化した世界を舞台に、少佐を中心とした公安9課が捜査するテロ、謎のハッカー、暴走する義体といったストーリーラインは何となく同じに見せて、実はそれなりにアレンジされています。その結果、押井版の持つ硬質的な雰囲気は薄れ、よりわかりやすく人間味のある方向に振ってますね。独自の新しさは多くはないですが、でも近未来サイバーSFとしては決して悪くはないです。初めて『攻殻』に触れる人には十分楽しめるのではないでしょうか。とりわけビジュアル面はかなり押井版に寄せられていて、相当なリスペクトの元に作られたのかな、という気はします。

少佐役を白人であるスカーレット・ヨハンソンが演じるということで当初はかなり反発もあったようですが、全然悪くないですよ。アクションや電脳設定はどうしても『アベンジャーズ』シリーズ『LUCY ルーシー』と被りますが、主役をスカヨハにしたこともちゃんと筋が通るようになってるし、押井守もホメてるようです。少佐の上司である荒巻役のビートたけしはちょっと浮いてる気もしますが、全編日本語で通すのは近未来の人種のるつぼという感じにも繋がってると言えます。バトー役のピルウ・アスベックは『攻殻』ファンらしく、ぜひ『イノセンス』も実写化したい、と言ってるのが好感持てます。ほか、オウレイ博士役に『GODZILLA ゴジラ』のジュリエット・ビノシュや、日本の有名女優も出演。

サイバーパンクな世界観の実写化は良かったですよ。押井版と似ているのは当然としてもやはり既視感はあるし、わかりやすさの弊害なのか捻りも少ないですが、でもゴーストを巡る考えからあの結末に結び付けたのは良いと思います。ちなみに観たのは字幕版ですが、吹替版は田中敦子、大塚明夫、山寺宏一などアニメ版の声優が声を当てているそうで、そちらも結構惹かれます。

↓以下、ネタバレ含む。








都会とスラムが一体となったような煌びやかさと胡乱さが同居する街の情景、それ自体は悪くないと思うんです。どうしても『ブレードランナー』の影響からは逃れられないのかと感じがちですが(そして否定もできないんですが)、昼間の映像がわりとあるのは新鮮だし、あと街中で投影されるデカい立体映像は振りきってる感ありますね。おっさんの巨大な顔とか宣伝効果あるのかは疑問ですが。

ビルの屋上からダイブする少佐、静かなビル群を下から映すショット、水の溜まった水路でのバトルなど、押井版を彷彿とさせる映像も多用されています。リニューアル版である2008年の『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊2.0』でも、光学迷彩などは近い表現がありました。清掃局員の男が電脳ハックされて娘がいる偽記憶を持っていたエピソードや、多脚戦車の異様な動き、トグサ役のチン・ハンがちょっと年食ってるものの雰囲気出てるなど、押井版をなぞった個所もあります。エンディング曲が同じ川井憲次の曲というのもこだわってますねえ。

逆に改変部分も意外とあります。バトーは顔幅があって目のレンズがちょっとバランス悪い気がしなくもないですが、最初は生身の目で、少佐と捜査を続けるためにケガを機に義眼レンズに変えた、というのはバトーの少佐に対する思い入れを感じさせます。芸者ロボは造形や動きがなかなかエグくて良いなあなどと思ってましたが、演じているのが『ウルヴァリン SAMURAI』の福島リラだと後から知っておったまげました。人間とは異なる動きを強調した気持ち悪さが良い感じ。あと出てるの知らなくて驚いたんですが桃井かおり、英語の台詞を喋ってても桃井かおりのまんまだった、というのがスゴい。彼女は母役として、少佐が生身の人間だったことを強く印象付けます。他にもオウレイ博士が自身を犠牲にして少佐を救うなど、どれも人間味を出すための改変であるというのが特徴的。

そして最大の改変が主人公そのものである、というのはなかなか思い切ったものがあります。少佐の名前はミラ・キリアン。なぜ「草薙素子」でないのかという理由がちゃんとあるのは良いですね。クジに出会い、偽の記憶を植え付けられたことを知ったミラは、自分が素子であることを知ります。そして限りなく機械に近い少佐がゴースト=「魂」の存在を感じ、人間と機械の間で揺れる自己を取り戻す話となるわけです。さらにはより高次の存在となることを拒否し、あくまで人間として生きていく、という選択を成す。この押井版とは真逆の着地は、ここまで描かれてきた人間味の尊さ、そして人生の奪還という観点で似つかわしいと言えるでしょう。

その帰結がハリウッド映画的わかりやすさであり、それゆえに凡庸だ、と言われればまあそうなんですけどね。ゴーストに絡めたアイデンティティ論や人間と機械の違いを巡る哲学的な思索は、より具体的な少佐の出自の話へとシフトするため、観た後に色々と語りたくなるという魅力にはちょっと欠けます。娯楽作に舵を切るべきという制約があったのかもしれませんが、そのために少々無難に落ち着いた感もあって、もう少し弾けたものがあってもよかったかなあ。……というわけで、結果的に押井版との比較みたいな文章になってしまいましたが、「もう一つの選択をした草薙素子」として観れば、これはこれでありではないかと思うのです。

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