2017
04.13

月は青く、想いは美しく。『ムーンライト』感想。

Moonlight
Moonlight / 2016年 アメリカ / 監督:バリー・ジェンキンス

あらすじ
水滴になりそうだ。



内気で孤独な少年シャロンは、学校ではいじめられ、家に帰れば麻薬常習者の母がいる日々。そんなシャロンを見かけた麻薬ディーラーのフアンはシャロンに優しく接し、幼なじみのケヴィンはシャロンを勇気付ける。やがてシャロンはケヴィンに対して友情以上の思いを抱くようになるのだが……。第89回アカデミー賞で作品賞、脚色賞、助演男優賞を受賞したヒューマン・ドラマ。

シャロンという一人の人物が、幼少、少年、青年と成長するなかで接する人々や出会う出来事を描きます。登場人物はほとんどが黒人ですがレイシズム的な観点があるわけではなく、強いて言えばマイアミの貧困地区を舞台にすることで生活水準の低い黒人たちのドラマを描いているとは言えますが、それよりはむしろ主人公シャロンのひょろりとした体型が他のガタイのいい黒人たちから浮いている、という方が印象的。また、設定的にはLGBTに結び付く話ではあるでしょう。

しかしそんな舞台や設定をもってして、ここまで純粋なラブストーリーになっているとは思いませんでした。映像は美しく、ショットは不安げなのに端正で、静かに綴られる物語はときに激しく心をえぐり、ときにせつなく心に迫ります。抜け出せない苦しさに打ちのめされながら、セクシュアリティを越えて人と人が触れ合う優しさ。そして孤独な魂にもたらす一条の光。そういったものがシャロンの半生を通してじんわりと沁みてきます。

シャロン役はどの役者も印象深く、特に成人役のトレヴァンテ・ローズの終盤見せるある表情は素晴らしい。シャロンに接することになる麻薬ディーラーのフアン役、マハーシャラ・アリは、優しさと逞しさの同居した雰囲気がとても良いです。アカデミー賞で助演男優賞を受賞したのも納得。またシャロンの苦しみの一端を担う母親ポーラ役を『007 スペクター』などでマネーペニーを演じるナオミ・ハリス。彼女も母親とジャンキーという二面性を凄まじい演技で魅せ、助演女優賞にノミネートされています。

シャロンが心に秘め続ける想い、母親との関係、求め続ける居場所。そんな心情を激しく、でも静かに、現実的でありながら詩的に映し出します。そこには人種や性別では区別できない、人が生きていく上で切望する普遍的な感情が描かれています。

↓以下、ネタバレ含む。








■リトル

本作はリトル、シャロン、ブラックの三部構成となっていますが、重要な人物は幼少期から登場します。特にフアンは「昔の自分のようだ」というシャロンを放っておけず、飯を食わせたり泳ぎを教えたりと構ってくれます。シャロンにとっては父親のように感じられたことでしょう。売人であるからと言ってその人間性も酷いとは限らず、逆に実の母親の方がクズだったりします。ただ母親という近しい存在に放置され続けただけに、シャロンは最初なかなか心を開けなかったのでしょう。フアンの彼女であるテレサも決してベタつかず、でも黙ってジュースを出してくれたりと、少年に対して憐れみではなく一人の人間としての扱いを見せてくれます。フアンとテレサは「リトル」と呼ばれる少年を「シャロン」にした人たちです。

シャロンがクラスメイトからオカマと呼ばれるのは少しナヨッとしていたからだと思ったんですが、ケヴィンたちとチン○見せあったり、母親に「まわりにどう見られてるかわかってるの」と言われたりすることで、多少の自覚はあったのでしょうか。オカマという言葉をフアンは「ゲイを不快にさせる言葉だ」と言います。まだ性的嗜好も定まらない少年がそれを自覚することは、周囲の扱いを考えれば酷かもしれませんが、早いうちにそういったセクシュアリティに対する差別を知ることで、シャロンはそれを表に出さないような世間に対する予防線を張れたのかもしれません。しかしそれはシャロンが自分の心を深く閉ざすことにも繋がります。そして売人であることをフアンが認め、そこからシャロンが出ていくところで「リトル」の時代は終わります。


■シャロン

ケヴィンはいじめには加担せず、幼少期にはタフであるべきだと説いたり、少年期には女との話を面白おかしく話したりと、常に自然に接します。それもまたフアンやテレサのような自然な距離感であり、シャロンが心を許すのも頷けます。ケヴィンがシャロンのことを"ニガ"や"ブラック"と黒人に対する蔑称で呼ぶのは、ケヴィンにとっては気軽にそう呼べる間柄ということであり、シャロンが「普通はあだ名で呼んだりしない」と言うのもそれを感じての照れ隠しでしょう。だからそんな距離感の二人が不意にあの浜辺で、どちらともなく、でも探りながら、徐々に顔を近付けるシーンには非常にドキドキします。友人から一歩踏み出す緊張感と幸福感には、男同士であることなど些末なことだと思えます。

アップの切り返しが多いのが昂ぶりに拍車をかけます。人物の顔が画面を占め、背景はボヤける。それはシャロンが抱える狭く苦しい現実の閉塞感そのものであり、特に母親とのシーンなどは息苦しさに直結します。しかしケヴィンとのシーンでは、それが周囲など関係ない二人だけの世界の強調に変わります。夜の浜辺というロマンティックなロケーションで、海を一度も映さず、二人の顔と波の音だけでその世界を示すのが素晴らしい。

それだけに、直後に訪れる二人の悲劇には胸が張り裂けそうになります。ここではケヴィンとシャロンの周りをカメラがグルグル回り、これもまた二人だけの世界を映したシーンと言えますが、浜辺でのシーンとは全く違う喧騒と不穏さによって、追い詰められて逃げ場のない思いが描かれます。殴られたあとにシャロンがソーシャルワーカーに対して「わかるわけがない」と言うのももっともなんですね。愛が深いだけに傷も深く残り、そうして全てに我慢できなくなったシャロンは、元凶のドレッド野郎を椅子が壊れるほどの力で殴りつけます。逮捕されたシャロンがケヴィンに一瞥をくれてパトカーに乗せられ、「シャロン」の時代は終わります。


■ブラック

大人になって別人のようなマッチョになったシャロンは、金歯を入れ高級車を乗りまわし「ブラック」と呼ばれる麻薬ディーラーとなっています。かつてのフアンと同じ道を辿ったのはたまたまのようですが、そんな自分をフアンをダブらせていることは、フアンと同じ帽子を被っていることからも伺えます。「自分の道は自分で決めろ、他人に決めさせるな」というフアンの教えは、恐らく彼の望まぬ方向で実現された、ようにこの時点では思えます。

母のポーラは「心配した、大事な息子だ」と言う母親としての顔と「母親なんだから金を寄越せ」という悪魔の顔が同時に存在する典型的な麻薬常習者でした。意趣返しのように麻薬の売人になったシャロンは、薬物治療の施設に入れられた母と再会した時にあの頃言えなかった思いをぶつけます。それでも売人を辞めてくれと言い、「私が悪かった」と謝罪する母に見える後悔、そして「嫌っててもいい、でも私は愛してる」という言葉に感じる本当の愛情によって、シャロンは母を受け入れます。かつてポーラに「あんたが薬を売ってる」と言われて言い返せず、シャロンに軽蔑されて項垂れていたフアンの気持ちを、ここでシャロンは知るのです。

シャロンが再会したケヴィンは、自分の店を持ち、料理をし、「息子がいて仕事がある」「小銭しか稼げないがそれが人生だ」という達観も見せ、会っていなかった時間の長さを感じさせます。しかし「懐かしき愛する人に再会する」曲をジュークボックスでかけることで、その時間差を一気に埋めます。それは見た目を全て変えてゼロから生まれ変わって、それでも忘れられなかった想いがあることを否応なしにシャロンに突き付け、自分がケヴィンと関われなかったことを悔やませます。かつてパトカーに乗せられるシャロンに何もしてやれなかったケヴィンの思いを、ここでシャロンは知るのです。

終わった時代に取り残された思いを知り、忘れようとしていた深い想いを「触れたのはお前だけだ」という言葉で明かすシャロン。その濡れた瞳に映るのは、誤魔化してきた孤独と、追い求めた居場所。ここで「ブラック」の時代は終わり、シャロンは「自分で決めた自分の道」をようやく歩いていけるのでしょう。ラストショットで月明かりのもと青く照らされる幼少時のシャロンは、それまでは孤独で不安だった青春=青の時代を象徴するものでした。しかし自分の道を見つけた今は、その青がひたすら美しく心に残ります。

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