2017
03.19

返すべき心、探すべき自分。『モアナと伝説の海』感想。

Moana
Moana / 2016年 アメリカ / 監督:ジョン・マスカー、ロン・クレメンツ

あらすじ
ユア・ウェルカ~ム♪



豊かな島モトゥヌイで暮らす村長の娘モアナは、あるとき島の作物や魚に起こった異変が、命の女神の心を伝説の英雄が盗んだことで生まれた闇のためだと知る。海の不思議な力に選ばれたモアナは、英雄マウイを探し女神テ・フィティの心を元に戻すため、禁じられた外洋へと船を出す。ディズニー・アニメーション・スタジオによる長編アニメ。

近年のディズニー・アニメのクオリティは非常に高いこともあって本作も一定の面白さは期待していたんですが、これがもう予想を越えて素晴らしい!生命を生み出す女神テ・フィティの心が英雄マウイに盗まれたために世界を闇が侵食し始めたという伝説。その闇から島の民を救うため、そして夢見た海を見るため、モアナは冒険へと旅立ちます。道中立ちはだかる様々な困難を乗り越え、少女は女神の心を元に戻せるのか、というように物語としてはさほど変な捻りもなくまっすぐ進みますが、『塔の上のラプンツェル』『アナと雪の女王』などでも描かれたような「本当の自分」というディズニーらしい普遍的なテーマもまた実にまっすぐ伝わってきます。

特筆すべきは、これが大冒険活劇である、ということですね。ロマンスや社会風刺などは廃し(深読みすればできるでしょうが)、自分のなりたい自分とはどういう姿なのか、というのを、海原を駆ける心踊るような大冒険や、コミカルながらスリリングなバトルを通しながら描き、ロードムービーらしい信頼と成長で熱くさせてくれます。ポリネシアンだけというキャラデザインがひとつの世界の物語としての統一感を生み、耳に残るメロディで構成されたミュージカル・ナンバーは実に良質。そして何と言っても、豊かな島、輝く海といった映像の美しさが本当に素晴らしい。エンドロールを見ると水や髪などはそれぞれ専門のスタッフがいるようで、風に吹かれたり水に濡れたりの描写もナチュラルかつワイルド。あまりの楽しさと美しさにずっと泣きそうになりながら観てました。

主人公モアナはキュートで元気いっぱいだし、半人半神のマウイが筋骨隆々の見た目と裏腹に軽やかで、思った以上に良いです。マウイを演じるロック様ことドウェイン・ジョンソンの歌もタトゥーも超イイ。周囲には変わり者と言われるモアナの婆さんから、道中遭遇する奇妙な生き物たちに至るまで、キャラも魅力的。南国気分と海洋冒険がスゴい心地よく、巨大さゆえの迫力にも燃えます。もう最高に楽しい!

また、同時上映の短編『インナー・ワーキング(inner workings)』も素晴らしいです。脳と心臓が見せる理性と感情に笑いながらも泣けて、仕事ばかりで人生見失ってる人には超刺さります。色々と本編のモアナに繋がるところもありますね。そして膀胱の存在感な!

↓以下、ネタバレ含む。








■いるべき場所

モアナはちょっとむっちりした造形で、これがとても良いんですよ。身軽なだけでなく操船までこなす動きに説得力があるんですね。このスタイルに加え、村長(むらおさ)の娘として民を導く立場ながら海岸で一人踊る祖母の姿を見るときの自由への渇望、カカモラに狙われたときには立体的な攻防もこなすアクション性と、既存のプリンセスに比べかなりアクティブなイメージ。お日様いっぱい浴びて陽気な人たちに囲まれて育ったんだな、と思えて、これが冒険譚にピタリとハマります。だからマウイに「プリンセス」と呼ばれて、立場的には確かにそうなんだけど、そこに囚われずにその先へ進めるのがすんなりと受け入れられます。

モアナは"How Far I'll Go"を歌いながら最初に船で出たときは転覆して航海に失敗しますが、その時は最初こそ魚を見つけるという目的はあったものの、歌詞が示すように外洋を見たいという好奇心の方が強かったですね。二度目は海に選ばれ、祖母に背中を押され、母にも準備を手伝ってもらう。そこには闇を払い島を救うため、マウイを探して心を返すという明確な目的もあります。多くのものを背負っての出発なんですね。加えて自身のルーツが旅人であるという後押しもある。慣習に囚われた村長の娘が、やりたいことができるとは限らないという呪縛から逃れて本当の自分を探しつつ、単に自由への憧れだけではない使命をも担う旅立ちなのです。


■俺のおかげさ

半人半神(デミゴッド)のマウイは登場時の俺様マイウェイ感で一気に場をかっさらい、ラップも込みのノリの良さで「どういたしまして」と歌うドヤ顔が超インパクト。いやあ、あの歌は良いですね、歌いたくなります。You're Welcome~♪鳥のくちばしでオールにサインすることを「ツイート」と言うのにはちょっとニヤリとします(字幕のみ)。マウイはこの半神ゆえの傲慢さがまず目立ちます。しかしその万能感は釣り針で自在に変身できるという力に依っていると思い込んでおり、釣り針を失って変身ができなくなった今の自分は「本当の自分ではない」と思っています。マウイにとってはこの旅は本当の自分を取り戻すための旅として始まります。

動くタトゥーの案は秀逸です。この世界においてはタトゥーは神聖なものであり、婆さんのエイに見られるように人生観を表すものでもあります。マウイのそれは自動的に表れる自身の半生になっており、かつて人間に太陽や風や島を与えたことが示されますが、同時に幼い頃に親に捨てられ、愛を知らずに生きてきたということもわかります。人間に愛されたくて色んなものを与えてきたわけですね。動くタトゥーのミニ・マウイを「バディ」と呼ぶのも、彼の持つ寂しさから生まれたもう一人の自分であるからなのでしょう。登場時に自分をヒーローだと言うのは願望であり、モアナに従うのも人々の英雄であることを証明したいからです。しかしモアナと接するうちに、英雄的であるということは人々を思う熱意によるものだと気付いたマウイは、本当の自分は取り戻すものではなく自分のうちにあるものだということに気付いていきます。


■海を渡る者

モアナが旅立つ際にマウイの伝説が真実だと信じる根拠が薄いなあとは正直思うんです。ただこの物語自体テ・フィティの心が奪われるという伝説の語りから始まっているので、神話を根拠にした行動がおかしいとはならないようにはなってます。それに旅に出て以降、最後に神と対峙するというところまで、全体的に実に神話的。モアナが海へ出た後に接するのは、ココナツのような海賊カカモラ、巨大キラキラのカニ(ヤシガニ?ヤドカリ?)のタマトア、そして巨大感が素晴らしい溶岩の怪物テ・カアなど、マウイはともかく他は全て人間以外の者たちである、というのも神話を思わせます。モアナの祖母がエイの姿で現れるのも霊魂としてであり、死者との会話で何かを悟るというのも神話的ですね。青白い光に包まれて道を示すのなんて死後のジェダイと同じなんでね、そりゃもう神々しいです。あとは海が意思を持ったキャラクターの一人であるというのも同様です。そのわりに海が必要以上にモアナの手助けをしないのは、テ・カアの正体が命を与えてくれたテ・フィティだと知っているからなのでしょう。

またモアナに同行するのが、今までのディズニーなら間違いなく豚のプアになるところを、鶏のヘイヘイにしたというのには意表を突かれます。"チキン"が弱虫という意味であること、そして徹底して思考しない者であるヘイヘイを傍らに置くことで、そうならないことをモアナに促している……さすがにそれは考えすぎか。まあコメデイ・リリーフですね。ヘイヘイが役に立つのは海に落ちそうになった女神の心をキャッチするという一度だけですが、それがファインプレイすぎるので良しとしましょう。それに最初以外は結局逃げも怯えもせず最後までモアナについてくるので、実際は陰のナイト役である、と言える、言えなくもない……いや微妙だな。

それにしてもカカモラのキュートな外道っぷりはたまりませんね!わざわざ「しなす!」って感じのメイクをしたり、雨のような吹矢攻撃をかましてきたり。オールでスコーンと弾き飛ばすモアナのアクションも痛快。そういやあのオールを舟の舵としても使うというのは知らなかったので、結構目から鱗でした。あとタマトアの金ピカ成金趣味やブラックライト演出もエグさがあってイイ。自分の祖母を一週間かけて食ったというのが一番エグいですが。エンドロール後のアレはさすがに「あんなブラックな終わり方でいいのか?」と思うんですが、「セバスチャンだったら助けるんだろ」と同監督の『リトル・マーメイド』のキャラ名を出しているので、多分『リトル・マーメイド』の誰かが助けてくれるということですよ。と思っておきます。

カカモラと言えば、海賊船が三つに分離して迫ってくるとか、太鼓叩いて士気を上げるとか、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』かと思いますよね。モアナが砂から顔をあげるシーンもそうですね。この『怒りのデス・ロード』とか、あとは宮崎駿作品などの影響は、監督自身がインタビューで「意識的だ」と言っているので当然似てるわけですね。似た点があるというなら、広大な海を小舟で渡るのは『ウォーターワールド』だし、乗り気じゃない神と必死な人間のコンビは『キング・オブ・エジプト』だし、光る海は『ライフ・オブ・パイ』みたいだし、テ・カアの巨大さが醸す迫力は『タイタンの逆襲』みたいだし、モアナが洞窟の天井から脱出する姿は『エクソシスト』のよう(これが意識的だったら笑いますが)。恋愛感情を伴わないバディものとしては『ズートピア』に続くものとも言えます。あとはゲームの『ゼルダの伝説 風のタクト』を思い出しましたよ。まあ別にパクリというわけではなく、往年の作品を彷彿とさせる要素を上手く取り込んだ、と見ていいでしょう。


■もっと遠くへ

テ・カアとの戦いに破れたモアナが祖母の「お前は誰か」という問いかけによって自問するシーンでは、それまで「私はモトヌイ村のモアナ」と祖母の言葉を反復しているだけだったモアナが、「私はモアナ」と歌うのが感動的。他の誰でもない、自分が果たすべき目的としてここまで航海をしてきたという思いで、手放した心の石を自らの意思で拾いにいくわけです。そしてマウイもまた、一度はモアナの元を離れながら、「神にいわれてじゃなく自分でマウイになるんだ」と思い直したからこそ戻ってこれたわけです。最初に歌っていた独善的なものとは全く違う本心からの「You're Welcome」をモアナに返すマウイ、そして海に選ばれた自身を信じて自らの意思で海を割って道を作るモアナ。確固たる自分の存在をその「心」に宿した二人が、自身の存在が揺らいで怪物と化したテ・フィティに「心」を返す。実に真っ直ぐでありながらキレイに納まる結末が、とても気持ちが良いです。

「釣り針があってもなくても俺はマウイだ」と言ったからこそ、マウイは再びテ・フィティから釣り針を渡されます(むっちゃ嬉しそうで笑いますが)。そして最後は彼のタトゥーにモアナが表れ、本心から認めたことを示す。神話を追ってきたモアナは新たな神話の一ページを刻んだわけですね。でも本作はそこで終わる「行って帰ってくる物語」ではなく、再び新たなフロンティアを目指して旅に出る話である、というのが重要なところ。島に戻ったモアナは、歴代の村長が積み上げてきた石の上に海からもらった貝殻を置きます。それでは次の村長が置けない、と思うところですが、それこそが新たな場所を目指して旅立つというモアナの意思の表れです。再び冒険者となる村人たちの先頭に立ち、海を行くモアナ。その未来を見つめた表情のアップ、そして『MOANA』というタイトルが表示されて終わる。まさに彼女の物語だったと納得できます。

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