2017
03.02

破壊の中に探す心。『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』感想。

Demolition
Demolition / 2015年 アメリカ / 監督:ジャン=マルク・バレ

あらすじ
自販機のクレームには手紙が有効。



金融業界で義父の会社に勤め出世街道まっしぐら、美しい妻と豪邸に住み何不自由なく暮らしていたはずのデイヴィスは、ある日突然の事故で妻を失ってしまう。しかし彼には全く悲しみの感情が湧いてこず、涙の一滴も流すことができない。やがて彼は身の回りのあらゆるものを分解し始める……。『ダラス・バイヤーズクラブ』のジャン=マルク・バレ監督、ジェイク・ギレンホール主演のドラマ。

すんごく良いです!不慮の事故で妻が死んでも悲しむことのできない男、という設定だけ聞くと重かったり暗かったりという話を連想しますが、これが全然そんなことはなく、むしろ笑えてしょうがないのです。義父の「心の修理も車の修理も同じ、まず分解しろ」という言葉を自分なりに(広義で)解釈したデイヴィスは、あらゆるものを分解し、破壊していきます。と言っても破壊衝動のような投げやりさではなく、几帳面だったりノリノリだったりと愉快なもので、その姿が実に可笑しい。しかしそれは何かを見つけようしているようでもあり、奥底に僅かに喪失感が透けて見えるようでもあるのです。そんななかでデイヴィスが送ったクレームの手紙から始まる母子との奇妙な友情もとてもイイ。見えてなかったものが見えてくる楽しさ、その中で見つける本心に涙します。

ジェイク・ギレンホールは『ナイトクローラー』の狂気や『サウスポー』の喪失とも通じるようでありながら、それらとはまた違ったアプローチでデイヴィスを演じます。これがもう、表情、台詞、動き、佇まい、全てが良い。周囲には頭がおかしくなったと思える行動ながら、それが自由な探求であるというのが気持ちいいのです。シングルマザーのカレン役はナオミ・ワッツで、ちょっとくたびれた感がむしろセクシー。息子クリス役のジューダ・ルイスも小生意気な美少年としてとても良いです。公私ともにデイヴィスに絡む義父役クリス・クーパーの、苦虫嚙み潰したような不愉快そうな顔もイイですねえ。

"悲しみの不在"の正体を探る男が、自分を見つめ直し、妻を思い返すための破天荒な行為。それは一見不謹慎だし周囲には迷惑ではありますが、そのプロセスを経て見えてくるものや知ることがあるんですね。非常に多くのエピソードを描きつつ、そのどれもが面白いんですよ。爽快にしてほろ苦く、痛快にしてじわりと暖かい。最初から最後まで面白かったです。

↓以下、ネタバレ含む。








■破壊の先にある何か

原題『Demolition』=「破壊」が示すように、デイヴィスは様々なものを分解し、破壊します。冷蔵庫、パソコン、会社のトイレのドア。家を解体する現場を見つけて自分も作業させてもらったり、遂には自身の家まで破壊します。ただこの行為は鬱憤を晴らすための破壊衝動とはちょっと違うんですね。「全ては象徴(メタファー)だ」という台詞にあるように、そのものが象徴するものは何か、要するに中に何があるのかを知りたい、という欲求なわけです。それは今まで何も見ていなかったということへの気付きであり、妻に「無関心」と言われていたことへの無意識の反発(あるいは同調)でもあるわけですが、引いては自分が妻の死を悲しめない理由、そこに本当に愛があったのかという自身の心の中の答えを見つけるためでもあります。そうした枠を取っ払って残るものを見たかったのでしょう。

そのうちデイヴィスにはそれまで見えてなかった色んなものが見えてきます。高い飲食店はその雰囲気に料金を払っている。悲しい歌だといわれるハートの"Crazy on you"は改めて聴いてみたらノリノリ。クリスにもらった音楽を聴いて躍りながら歩いてみる。探求は自由の発見にも繋がり、何だか解放されたかのようでもあります。群衆のなか飛び跳ねて頭が見えるところなどは可笑しい。思えばデイヴィスは妻ジュリアとの生活に色々と抑圧されていたのでしょう。妻の趣味である小綺麗な豪邸も、妻のコネで入った会社も、シャワーのときに胸毛ヘソ毛の処理や眉毛を抜いて整えるのも、彼自身の思いとは違っていたのかもしれません。結婚生活を破壊すると言って家を壊すときの躊躇のなさはその反動でもあるのでしょう。ブルドーザーまで購入するのが最高です。


■手紙の向こうにいる誰か

M&M'Sが出てこないというクレームの手紙はデイヴィスの設定を伝える役割だけかと思ったら、これがカレンとの出会いに繋がるのが、手紙の書きっぷり込みで実に面白いです。デイヴィスにとっては、手紙に書くことで自分の状況を整理するというのもあったのでしょう。そしてそれを読んだカレンもまた職場の社長に愛されながらも自分は愛していないという自覚があり、似た者同士のデイヴィスに惹かれていきます。でも一線を越えようとはしないんですね。それは息子のクリスのためでもあるわけですが、デイヴィスに「自由で羨ましい」と言うように、既に決まった未来があると自分に言い聞かせているからなのでしょう。だからデイヴィスと自由気ままに過ごす時間は本当に楽しそうで、それが観てる方としても楽しい(彼氏のカールは気の毒ではありますが)。手紙に感動したとは言え午前2時に電話してきたり、ストーカーまがいに後をつけたりと、色々と面白いことをしてくれるのも愉快。

15歳のクリス少年がまたトンがってて良いです。彼は母が己を抑えて自分に尽くしてくれるのが窮屈なんでしょうね。まあ反抗期だしね。だからごく普通に、対等に接してくるデイヴィスに徐々に心を開いていきます。「ファックは言い過ぎると価値が下がるしバカに見える」は名言。銃の試し撃ちに防弾チョッキ着た自分を撃たせるとかクレイジーすぎて笑います。自分がゲイかもしれない(チ○コしゃぶりたい、で確定ですが……)というカミングアウトから、彼が抑圧された自分という窮屈さも感じていることがわかり(デイヴィスのアドバイスが的確)、そこが二人の共通点でもあるんですね。それにしてもクリス君、音楽聴きながら一人部屋で躍り狂ったり、デイヴィスに笑顔を作って上げたりするのが可愛い。

二人に対するデイヴィスの態度が決してベタついたものではなく飾らない言動なのが好ましいんですが、それはデイヴィスがカレンとクリスの二人の友人のなかに、抑圧された生活や愛を感じられないパートナーという自分と同じものを見出だしているからかもしれません。


■思い出したいつか

デイヴィスの言動は観てるぶんには面白いですが、至極当然に悲しむ義父母に比べればやはりちょっとおかしいわけです。夢の中でマイマイガに心臓を半分食われたと言われるように喪失感はあるものの、その喪失感はどこか漠然としています。しかしそんな漠然としたまま過ごすフワフワした時間は不意に終わりを迎えます。出張から帰宅したカールにボコられ、カレンとの繋がりだったM&M'Sの金を返され、クリスは病院に担ぎ込まれ、妻の浮気と中絶が発覚し、事故を起こした当事者と対面する。愛に懐疑的だったのは自分だけではないことを知り、自身を投影していた二人からは遠ざけられ、全ての繋がりを破壊されるのです。

そんなときに見つけた妻のメモ、「雨の日は会えない、晴れた日は思い出す」。見えなくなることもあるだろう、でも思い出してほしい。そんな意味の込められたメッセージに妻の思いを知り、失った妻の面影が蘇って、ようやくデイヴィスは「確かに愛はあった」ことを思い出して涙するのです。

デイヴィスの望んだのは妻の名前を冠した基金ではなく、妻との思い出にあるメリーゴーランドでした。それは悲しみに囚われた義父母と悲しみを知ったデイヴィスに、楽しかったジュリアとの記憶を思い出させ、刻み付けます。「壊す」ことを続けてきた男は、回らないメリーゴーランドを「直す」ことで再生へのスタートラインに立つのです。この清々しい寂しさが、せつなくも愛おしい。そして最後にクリスの指示により見たビルの爆破解体。そこにある純粋な「破壊」に全てのモヤモヤを吹き飛ばされ、デイヴィスは子供たちと共に未来へと走り出すのです。

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