2017
02.21

電気は消えても家族は残る。『サバイバルファミリー』感想。

survival_family
2017年 日本 / 監督:矢口史靖

あらすじ
燻製が美味しそすぎる。



ある日突然、電気を必要とするあらゆるものが使えなくなってしまった東京。交通機関や電話、ガス、水道までストップするなか、とある平凡な一家の鈴木家の父、義之は家族を連れて東京を脱出することにしたが……。『ウォーターボーイズ』『WOOD JOB! 神去なあなあ日常』の矢口史靖監督が描くサバイバル・ドラマ。

ある日を境に電気を始めあらゆる電力が使えなくなったらどうなるかという設定のもと、一家族が織り成すドラマが展開されます。これがもっとコメディ色強いのかと思いきや、ディストピア感さえ漂うシビアさで、『アイアムアヒーロー』に劣らぬマジサバイバル。特に前半、電気の消えた世界とそこでの人の言動がリアルすぎてかなりツラいです。しかしそのツラさがあってこそ活きてくる終盤。矢口史靖監督の細かい描写と地に足のついたストーリーテリングにより、余計な言葉がなくても色々伝わってきて素晴らしい。

父役は小日向文世で、名バイプレーヤーという印象なだけに主演というのは感慨深いですが、この父親が威張り散らすだけで役立たずというのがまたツラい。息子役の泉澤祐希、娘役の葵わかなにも何ともイライラさせられて、でも若者なら当然の反応かもなあ、とも思えて見事。母役の深津絵里だけが唯一そのほんわかさで救いとなります。いや本作の深津絵里はスゴく可愛い。この主人公家族の愚かさには本当にイラつきますが、もし自分がこの状況だったら同じようになるかもしれない、というちょっとした恐怖があるからそう感じるのかもしれません。

かくして家族は東京を脱出し、無謀にも"自転車で"祖父のいる鹿児島へ向かうことに。しかし行く手には数々の困難が待ち受けます。極限状態で見せられる人間の汚さや弱さといったものが浮き彫りになり、それは怖いし情けないし絶望的でありますが、一旦本性をさらけ出し本音をぶつけることで逞しさや優しさが生まれてくるのです。サバイバルでありながら家族ドラマであり、ロードムービーでもある。面白いです。

↓以下、ネタバレ含む。








■家族の出発

電気がなくなるというのは、イコールそれを供給する水道や都市ガスも使えなくなるということ。電池やバッテリーも切れてしまい、電車や自動車や飛行機といった移動手段も使えず、通信手段もないので情報も手に入らない。テレビやラジオはもちろんスマホも使えないので、どこまで被害が拡がっているのか、何が本当かもわからないんですね。これが怖い。文句を言いながらも念のため物資の確保にも走りつつ、誰もがそのうち回復するだろうと思っても事態は酷くなる一方で、やがてこれは本当にマズいと気付いたときには追い詰められている。既にサバイバルは始まっていたのです。怖い。こんな非常時でも出社するのが日本人って感じですが(僕なら絶対行きません)。

出ていくマンションの住人に「もう帰ってこなくていいぞ」と言う人がいたり、うっかり人と話すと「水をくれないか」と言われてそっと隠したりと、状況は段々とキツくなってきます。鈴木家が自転車で旅立つときもまるで夜逃げ同然、やがて寝床さえもなくなり、とにかく必要なのは水と食料。一見綺麗に見える川の水さえ飲めないというのが厳しいです。とは言えあからさまな悪意や暴力というのは抑えられてはいますね。多分死人も出てるだろうけど、そこはマンションで死んだ老婆くらいしか映さず(それもちゃんと葬儀はあげている)、娯楽作としてのバランスの取り方は絶妙です。むしろこの状況をどうギブ&テイクで乗り切るかという人々が逞しくて、トンネルを水か食べ物で案内する盲人のおばちゃんたちというエピソードも見事だし、ロレックスやマセラティはクソの役にも立たないというのが泣けます。


■家族の辛苦

小日向文世の父は威張るだけでからっきしのダメ親父で、会社でも偉そうにしてるし、エレベーターが動かなくて大声で文句言ったり、息子にはすぐ「だからお前はダメなんだ」と全否定の上から目線。同僚の宅麻伸に家族が心配じゃないのかと聞かれてようやく「あ」という顔をします。仕事でも家庭でもその立場に胡座をかいた、虚飾だらけの人物なんですね。その象徴が、付けても大して変わらない"ヅラ"なのでしょう("つけま"を責められた娘に指摘されるのは笑いますが)。しかし道も分からず、火もおこせず、遂には大阪で「お父さんは最初からそういう人でしょ」と妻に言われてヘタりこんでしまうに至り、仕事、マンション、そして父の威厳までも剥ぎ取られてしまいます。魚を提供する水族館で目の前で品切になったときの「子供たちの分だけでも」と土下座して頼む姿が、何もない男の必死さを映していて痛々しい。

息子の賢司は奪われた水を追ったら赤子のミルクのためと知って引き返すなどまともではあるんですが、学校でのいじられ方など見ても弱々しい感じはあります。でもホームセンターを物色したあたりからちょっと逞しくなってくるんですね。スマホを捨てて自転車のパンクを直したり、父が不味いという横で猫缶おかわりしたり(これは半分反抗心でしょうけど)。彼が子供用の地図帳に辿った道を記していくのがロードムービーっぽくて良いんですよ。また娘の結衣はとにかく騒がしくて文句ばかり言ってますが、教室に入るとき深呼吸することからも、実際は無理して友人に合わせるようななかなか自分を出せないタイプなのでしょう。だから家族の前では負の感情が表に出てしまうのかもしれません。彼女もまた文句はいうものの少し打たれ強くなっていきます。

母は家族の中では一番呑気に思えますが、1本2500円の水を入手する手腕などはさすがに手練れの主婦です。色々と我慢してるのだろうなというのはあって、「最初からそういう人」発言には我慢というより諦めの境地だったことも察せられます(ここで「言っちゃった」って顔するのが可愛い)。それでも彼女だけは大きく変わらず家族の甘えを享受します。母は強し。と言うか最終的には捌けなかった魚もガシガシ下ろしていくので、ますますスーパー主婦に磨きがかかりますね。

冒頭のシーンがこの鈴木家のバラバラ具合を実に簡潔に表しています。時任三郎ファミリーとの対比がまたキツい。あの状況で余裕の休憩時間、そしてむっちゃ爽やか。藤原紀香なんて親切なのにドヤ顔に見えるというこれ以上ないハマり役です。もうね、デキる奴らは最初から違うわけですよ。父なんて見栄張って猫缶のラベル外すし、彼らといる間は一言も喋りません。


■家族の再生

そんな彼らが変わるのが大地康雄の田中さんに会ってから。人は限界まで腹が減ると動物が難なく食べ物に見えるんだなあ、というのはさておき、水と食べ物をもらい、風呂に入って布団で寝て、労働の対価として飯にありつく。このごく基本的な人間らしい生活がどれほど素晴らしいかが、ここまでの苦難を積み重ねて描いてきたことでとてつもなく伝わってきます。肉を食って涙を流す結衣や、布団の中で手を繋ぐ両親の心情にも頷いてしまうんですね。そして厳しくも本当は寂しい田中さんを見て、行くところがないからではなく心配だから、祖父に会いに行くことを父は決めるのです。去り際の大地康雄の佇まいがまた実に良い。そして新たに旅立つ鈴木家のバックに、ここで初めて音楽らしい音楽がかかる、というのがニクいです。

しかし川を渡るときに自転車が沈んで絶望感に襲われ、それどころか父までが流されてしまうという急展開。マジか!父の一部(ヅラ)を手に涙する家族は、さらに野生化した犬たちに襲われるという大ピンチ。犬だってもう可愛いペットではないわけです。しかも母骨折、さすがにもうダメだ!となったとき、現れた漆黒の勇姿!この大逆転劇にはエキサイトですよ。確かにあれなら電気は必要ないですね。しかも一人残された父の方はさすがにもうダメだろうと思ったところで、まさかの発煙筒というカタルシス溢れる伏線の回収。この「やったぜ!」感は並ではありません。そうして全てをはぎ取られ、全てをさらけ出した家族。ちょっと照れ臭そうな懐かしそうな顔で馴れ初めの話をする両親。トンネルで煤が入ってドリフのコントばりに真っ黒になって笑う面々。よもや『この世界の片隅に』のような温かいシーンが現代劇で見られるとは。そして柄本明の爺さんに会って大団円です。

そこで終わりかと思いきや、元の生活に戻るのにはちょっと驚きました。でもここが大事なんですね。電気の消えた原因が太陽フレアか彗星の接近かというのはもはやどうでもよく(でもそれを一応示すのがまた丁寧)、元の生活に戻るからこそ家族の変化と言うのが如実に表れるのです。成長とか絆とか、言葉にすると軽々しくなってしまうものをしっかり映像で見せてくれるんですね。最後に写真に写った顔と、それを覗き込む顔の違いは歴然。"笑顔"というものはここまで幸福を表せるのだ、という単純なことに気付かされるのです。

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