2017
02.06

雨の日の恐ろしき変容。『ダークレイン』感想。

darkrain
Los Parecidos / 2015年 メキシコ / 監督:イサーク・エスバン

あらすじ
水着ギャルまで……



世界中が記録的な豪雨に襲われた夜に、閑散としたバスステーションで偶然居合わせた8人の男女。やがてそのうち1人がウィルス感染したような症状で正気を失う。ラジオが伝えるパニック、出ることのできない建物。やがて感染は徐々に拡がっていき……。メキシコ発のパンデミックなスリラー。「未体験ゾーンの映画たち2017」上映作品。

1960年代のメキシコで、たまたまバスステーションに集った老若男女8人。大雨のために閉じ込められた彼らを原因不明の症状が突如襲います。一人、また一人と驚くべき事態に巻き込まれていく人々。果たして原因は何なのか、何者の仕業なのか……という話なんですが、これはホラーやスリラーというより怪奇映画と呼ぶのがしっくりきます。全編モノクロ映像で綴られるワンシチュエーションのドラマは恐ろしくも珍妙。バスの来ない焦りと怒り、降り続く豪雨への苛立ちは、やがて噛み合わない会話の居心地の悪さへと変わっていき、「感染」の実態が露になることで怒声や狂気寸前の暴力衝動を引き起こしていきます。そしてそれら全てをやがて塗り込める不条理に唖然。

切符売りのマルティン、妻の出産に立ち会うべく病院へ行きたいウリセス、DV夫から逃げてきたイレーヌ、強気な学生アルバロ、バスステーションに住み込みで働くローザ、シャーマンとおぼしき怪しげな老婆、精神病を抱える少年イグナシオとその母ロベルタ。この8人が織り成す人間模様がどう転がっていくのかが見もの。外の世界の情報が時折挟まれるラジオの音声でしか分からない、というのがまた密室劇らしくて良いです。

モノクロ映像は60年代という時代性を表しながら、かつ寓話性をも高めています。まあカラーだとちょっとマヌケに見えちゃうかもしれなくて、実際ちょっと笑っちゃったんですが、バランスとしてはギリギリあり。モノクロと言いながら微妙に色が付いてる個所もある気がして、調整された映像であることが伺えます。終盤の畳み掛けるような展開にはどう収束するか引き付けられますよ。同監督の『パラドクス』も観てみたいなあ。

↓以下、ネタバレ含む。








来るはずのバスが4時間経っても来ないという状況、叩きつけるような豪雨の音、思わせぶりに始まる「これはマルティンの物語ではない」というナレーション、徐々に通じなくなる電話、吠えたてる犬、いつの間にか座っている少年と母など、とにかく不穏さがどんどん膨らんでいく話運びは面白い。これで感染の正体がウィルスのような科学的根拠のあるものだと雰囲気にそぐわなくてガッカリするところですが、それが予想の斜め上を行っちゃうので愉快。最初に変化したマルティンに驚き、それが立て続けに起こってショーン・コネリー、マリリン・モンロー、ビートルズなどの写真の顔まで変わるのにはちょっと笑ってしまうものの、やがて犬や、まさかと思った赤ん坊にまで伝染するに至って「どこまで拡がるんだ」というヒヤリとしたものを感じさせます。よりによってそんなムサいヒゲ面で統一しなくても……と思うんですが、ウリセスさえも犠牲者で、元はイグナシオの持っていたフィギュアがモデルだったわけですね。

原因についてはイグナシオの持っている本で全て説明されており、シャーマンの老婆が「イグナシオの能力が大きな存在と触れて世界中の人々に影響を与えた」と全部教えてくれるので分かりやすいです。それによれば、雨粒に乗ってやって来た侵略者が地球にきて奪ったもの、それが人間らしさ=個性。個性を失った人々は皆同じになり、やがて変わったことすら忘れてしまうのです。ここで、本当に恐ろしいのは姿が変化することではないのだ、ということが分かります。この感染が示すのは、没個性化、均一化、統一化なんですね。

マルティンがイグナシオを「おかしな子供」だと見た目で判断したリ、ウリセスとアルバロが「学生なんて皆同じだ」「医学生は大人を皆当局の者だと言う」と人を型に当てはめるような言い合いをするのも、その一環と見ることができるでしょう。また劇中頻出するトラテロルコの学生運動というのは実際に起こった話らしく、メキシコ政府がオリンピック誘致のために行った圧政に不満を持った学生や労働者がデモを行い、軍や警察によって鎮圧され多くの死者を出した事件だそうです。ここにも思想や自由の抑圧が見えてきます。また感染の元凶を精神病の(と思われていた)イグナシオ少年に担わせたのも「人と違う」という側面から来てるのでしょう。彼は投薬により個性を抑えられており、薬が切れたことでその力を発揮します。目を見開き凄みのある笑みを浮かべるイグナシオ少年の表情には『時計じかけのオレンジ』のアレックスを思い出すほど。

つまり本作はSFスリラーの形を取りながらも、個性を殺し画一的に人を操ろうとする社会への風刺であるわけです。結果的に主要人物の半数が死に、生まれた赤ん坊は親を失い、生き残った人々は皆が同じ顔であることに気付かずバスに乗り込んでいく。確かにこれは「マルティンの物語」ではなく、それさえも含んだ「人類すべての物語」であったわけです。そう考えるとなかなかに怖い話。

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