2017
01.18

覚醒するナチュラル・ボーン・ビューティー。『ネオン・デーモン』感想。

Neon_Demon
The Neon Demon / 2016年 フランス、アメリカ、デンマーク / 監督:ニコラス・ウィンディング・レフン

あらすじ
モデル業界怖い。



田舎からロサンゼルスへやってきた、モデルを夢見る16歳のジェシー。彼女の持つ天性の魅力はカメラマンやデザイナーの一流どころの心を掴んでいく。他のモデルたちの嫉妬を尻目に、己の野心に目覚めていくジェシーだったが……。『ドライヴ』『ブロンソン』のニコラス・ウィンディング・レフン監督による、ファッション業界を舞台にしたサスペンス・スリラー。

モデルを目指して都会にやってきた少女ジェシー。そこはトップモデルの座を争う女性たちが火花を散らすヘヴィな世界。しかしモノが違うジェシーは瞬く間に出世街道を駆け上っていきます。抽象性の高い映像と象徴性の高い台詞で一見スタイリッシュながら、そこで膨らむ持たざる者の嫉妬と、一気に花開く持っている者の慢心。それらがぶつかり合い、燻っていた欲望と狂気が一気に爆発する終盤が凄まじい。また要所要所で刺激的に鳴り響く音楽にも引き込まれます。これまで危うい男の世界を描いてきたレフン監督が、それ以上に危うい女の世界を描くのも刺激的です。

ジェシー役は『マレフィセント』のエル・ファニングです。美人と言うよりキュートな感じなので、美人だ完璧だと言われまくると少し違和感がなくもないですが、どんな衣装やメイクも自分のものにする特別な存在感というのが確かに感じられます。また、メイク屋のルビーを『エンジェルウォーズ』『ハンガーゲーム』シリーズのジェナ・マローン、モデル仲間サラ役を『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のダグことアビー・リー、同じくジジ役を『高慢と偏見とゾンビ』の姉さんことベラ・ヒースコートが演じ、女の争いに華と血と恐怖を添えます。キアヌ・リーブスがとんだゲス野郎役で出演しているのもギャップがあって面白い。

タイトルの下に「NWR」と表示されて何だこれと思うんですが、よく考えたらレフン監督のイニシャルですね。わざわざ自分のイニシャルを出すところにナルシスティックな物語であるのを感じます。華やかな業界ドラマを期待すると盛大に肩透かしを食らうので注意が必要ですが、それでも監督の前作『オンリー・ゴッド』よりはわかりやすいと思います。

↓以下、ネタバレ含む。








ファッション業界を舞台にしながら、華やかさというものがあまり感じられないです。ショーの観客とか写真を見る人々などがほとんど出ないからでしょうが、それにより内輪に渦巻く不穏さが前面に出てきて不気味。最初のジェシーのカットからしてまるで流血した死体のようですが、観終わってみればこれが彼女の行く末を暗示していたとも言えます。こうした観念的な表現は随所に見られ、そのまま受け取るとワケがわからないため読解力が求められる、というのもレフンらしいところ。

ジェシーがショーのトリで並んでいるときに表れる、三つの三角形によるネオンや鏡。上下反転したトライフォースかな?力、知恵、勇気かな?と一瞬思いますが(思わないか)、ここではサラやジジを美しいと言っていた横顔を照らす青い光から、自分を一番と思う反対側の横顔を照らす赤い光へとスイッチします。このネオンの色の変化と鏡面の移動は、その後のジェシーを見れば彼女が自分の価値を悟ったことを表していると見て取れます。であれば、三つの三角が示すのは過去、現在、未来。あるいは女性がメインで4人いることを思えば、小さな三角の上二つがモデルの二人、下一つがルビー、それらを含む大きな一つの三角、またはその真ん中にできる三角をジェシーと見ることもできます。

鏡については他でも色々使われており、序盤でルビーと行う鏡越しの会話や、鏡に写るジェシーの姿など、それらは表面的な虚飾を表していると言えそうです。カメラ固定のままピントをずらして会話を切り替える、というのも実態がぼやけてくるような錯覚を覚えますね。また、死体とまぐわうルビーについては別にネクロフィリア(屍体愛好者)というわけではなく、ジェシーの内面ではなくその美しさに惹かれたからこそ、死化粧を施した死体をジェシーに見立てることができたと見れます。

山猫が部屋にいたという突拍子もないシーンは、油断してたらとんでもない危険に巻き込まれるという暗喩でしょう。山猫が入り込んだのはジェシーが部屋に鍵をかけ忘れたためとキアヌ・リーブス演じるハンクが責めており、その後も鍵をかけてなかった扉を誰かが開けようとするのに気付いて慌てて鍵をかけたジェシーは、隣室で13歳の少女が(恐らくハンクに)襲われる声を壁越しに聞くことになるのです。ハンクは慢心したジェシーを脅かす、美の力が通じない脅威の象徴です。

ジェシーは「歌も躍りもできないけど私は可愛い」と言うように、最初からある程度自分の美を認識しており、美しさこそ絶対であると悟った後は、共に夢を語った青年ディーンをも「帰れば」と軽くあしらいます。一方で顔と体のあらゆる箇所を整形したジジは自分にない生粋の美を持つジェシーに嫉妬し、サラはジェシーの出現に自分が賞味期限切れとなることを恐れ、ルビーは自分のものにできないジェシーへの愛情が憎しみへと変わっていきます。嫉妬、恐怖、憎悪が組み合わされ、それは明確な殺意を生むだけにとどまらず、その美を己のなかに取り込もうという狂気にまで発展します。

サラが言う「食べた」が比喩でなかったのは驚き。しかし整形により己を保っていたジジは「私の中から彼女を出さなきゃ」と天然ビューティーのジェシーに拒否反応を起こし、同化することができないまま果ててしまいます。目玉が丸ごと出てくるのはデフォルメであり、美を見極めようとする視線の具現化でしょう。そしてそれを見たサラは、ジジが吐き出した目玉を飲み込み、再び返り咲くために撮影現場へと戻っていきます。デザイナーが言った「美はすべてではなく唯一だ」という台詞が表すように、唯一だからこそ美に負けた者は死ぬしかない。そんな美の世界に蠢くのは、美しさへの欲望と執着が生み出した、醜い悪魔たちなのです。

スポンサーサイト
トラックバックURL
http://cinemaisland.blog77.fc2.com/tb.php/1173-e040b2b9
トラックバック
back-to-top