2017
01.05

空の目が映さぬ戦争。『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』感想。

Eye_in_the_Sky
Eye in the Sky / 2015年 イギリス / 監督:ギャヴィン・フッド

あらすじ
パンを買え!



アフリカはケニアのナイロビで、大規模な自爆テロ計画を突き止めたイギリス軍諜報機関のパウエル大佐と国防相のベンソン中将は、合同軍事作戦を展開している米軍と共にドローンによる攻撃命令を下そうとする。しかし殺傷圏内に幼い少女がいることが判明。一人の少女を犠牲にしてでも自爆テロを阻止すべきなのか、究極の決断が迫られる……。現代の戦争を描く軍事サスペンス。

これは素晴らしい!戦地から遠く離れた会議室でドローンが映し出す映像を見ながら、テロリストへのミサイル攻撃の場所にいる一人の少女を巡り交わされる議論と葛藤、法的見解と軍事的判断のせめぎあい。イギリス軍の諜報機関、軍上層部と閣僚たち、アメリカ軍司令部とドローン操縦者、現地で作戦をサポートするメンバーや、果てはアメリカ政府までが絡み、一発のミサイルを撃つことに対する思惑が激突します。会議や議論のシーンが『シン・ゴジラ』とはまた違ったリアリティで実に面白い。確かに離れた場所からの攻撃は安全かもしれない、しかし実際にはそんな単純ではない苦い思いを残す。これも戦争なのです。

多くの人が登場する群像劇ではありますが、混乱もなくすんなり頭に入ってくるし、どんどん緊迫していく展開にスリルが途切れません。キャサリン・パウエル大佐役のヘレン・ミレン、ベンソン中将役のアラン・リックマン、ドローンの操縦者ワッツ役のアーロン・ポールを始め、「虫」操縦者である『キャプテン・フィリップス』のバーカッド・アブディや付随的損害計算の軍曹、上層部の面々に至るまで役者陣も皆素晴らしい。監督のギャヴィン・フッドは『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』『エンダーのゲーム』を経て、遂にメジャーで傑作をものにした印象。製作には『キングスマン』のコリン・ファースの名もありますね。

どんどん進展していく事態におけるカウントダウン的な緊張感、敵ゲリラに見つからないよう監視をする諜報員たちの現場ならではのスリル、たらい回しにされる責任の所在への焦り。そんな紛糾するドラマでありながら、後半はもう泣けてしょうがなかったです。それは感動とも単なる悲しみとも違う、強いて言えば己の無力さを痛感するから。撃つか撃たないかの極限の二択に、正解などないのです。

そしてこれが遺作となるアラン・リックマンは、渋い演技で本作に重みを与えてくれました。R.I.P.

↓以下、ネタバレ含む。








■戦場を作る会議室

舞台はパウエルのいるロンドンの常設統合司令部、ベンソンのいるロンドン内閣府、ワッツのいるネバダ州空軍基地、ハワイの情報解析施設、そして現地のナイロビと多岐に渡ります。多くの人々が登場し、様々な立場からの意見や主張が展開しますが、特に上層部に行くほど「悪い奴らを倒す」だけでは通らなくなってきます。法的側面に問題はないか、人道的側面で非難はされないか、国際的観点から責任追及されないか、とクリアすべき問題が数多くあるんですね。キャサリン・パウエル大佐にとっては、6年追いかけた過激派を一網打尽にできるチャンスだけに逸る気持ちを抑えられないのでしょう。ベンソン中将も気持ちはパウエルと同じでしょうが、それでも冷静にそのハードルを一つずつ乗り越えようとします。最初は反対するものの法的に問題なしと聞いて「軍事的には今すぐ撃つべき」と了承する法務大臣。責任を負いたくないという態度がありありと浮かぶ閣務大臣。人道的立場を説こうとするアンジェラ女史。基本的に誰も間違ったことは言っていません。

それでも必要な手順を踏みようやくミサイルを撃とうとしたときに、ドローン操縦者のワッツが気付く一人の少女のために、新たな、そして難解な論点が現れます。救うべきは目の前の一人の少女か、80人のテロ犠牲者か。興味深いのは、皆がそれまで「損害が」とか「被害が」などという言葉で語っていたことを、イアン・グレンの演じる外務大臣が「一人の少女のために80人を殺すのか」という直接的な言葉を使ったことで、以降は皆が「殺す」とか「死ぬ」という言葉を使うようになることです。軍事作戦という建前の奥にある「人の生死」がクローズアップされ、突き付けられてくるんですね。外務大臣は食あたりでトイレに籠るマヌケさですが、マヌケにより賢い人たちが現実から目をそらせなくなるのです。

アンジェラ女史はただ人道的見地から反対してるのかと思いきや「80人が死ねば宣伝策になる、少女が死んだら庇いきれない」と新たな側面を提示する。閣務大臣は作戦を知る外務大臣に責任を委ね、外務大臣は首相の承認が必要だと逃げて、首相は付随的損害を最小限に、という返答にとどめる。アンジェラさんが思わず「卑怯な」と本音を漏らすのも道理です。その点アメリカさんはハッキリしており、国務長官も補佐官の女性も「テロには屈しない」、引いては「ホワイトハウスを、ペンタゴンを、世界を敵に回すのか」と脅しまでかけてくる。道徳的、感情的な見方を排せば確かにそうなのでしょう。悪党は始末する、それが正義。そして犠牲は最小限にすべき。しかし頭では分かっていても誰も責任は負いたくない。その決断は、イコール少女を「殺す」ことでもあるからです。

業を煮やしたパウエルが「ここら辺を撃てば」とアバウトな指示で付随的損害を45%に押さえさせるのは、もはや正義というより言い訳の捏造です。損害を計算する軍曹は命令に逆らうことはできず、法的助言者ももう見ていることしかできない。責任転嫁や日和見はあっても、先に述べたように基本的に誰も間違ったことは言っていない中で、唯一事実を捻じ曲げミサイル発射を遂行させたパウエル。もはや一刻の猶予もない局面で彼女が取った行動は、英断なのか、罪なのか。その場にこれを問える者は誰もいません。


■見るだけでは済まない「目」

技術が進化し、映像の鮮明度が格段に上がっているために少女に気付いた、という点はある意味皮肉です。ミサイルが爆破した際の被害範囲の予測や、横向きの顔からでも人物の特定ができるマッチング、より精密に目標を狙うミサイルなど、精緻さや映像が現代の戦争の一面なんですね。まるでスパイ映画のガジェットのような鳥型カメラや虫型カメラなども、解像度の向上や本物っぽい動き、スマホで操作できるユーザビリティなどで、より間接的な諜報が可能になっているのが驚き。

そんな虫カメラを操作する男ジャマ・ファラのパートは、現場ならではのスリルが凄まじいです。羽音で見つかるのではとドキドキ、バケツを売る子供にヒヤヒヤ、見つかってハラハラ。戦場シーンで「パンを買い占めろ」という命令を聞いたのはさすがに初めてですよ。上の無茶な指示に一瞬「マジか」みたいな顔をする(ように見える)のもあって、手に汗握りながら応援したくなるファラさん。なんとか逃げ隠れて話が進み、その存在を忘れた頃に少年にパンを買いに行かせるシーンはもう喝采もの。ファラも本来は「目」になるだけだったはずですが、最も体を張り、そして最も近くで少女に接した者として、最後までやるせない思いを体現した存在です。

もう一組、少女に最も肉薄したと言えるのが、ドローン操縦者のワッツとキャリーです。ワッツが米軍所属とは言え英軍大佐のパウエルにCEDやり直しを要求するのは、それが規則に含まれているとは言え多大な勇気。相方のキャリーが「立派よ」と言うのが観る者の心情を代弁してくれます。しかし軍歴二年目のワッツはさすがにそれ以上は大佐に逆らえず、震える指でミサイルを発射する。容赦ないのはその後さらに撃たなければならないということです。泣きながら、でも二度目の発射ではもう指は震えてないんですね。感覚が麻痺してしまったのか、あるいは気力を失ってしまったのか。操縦席に来るときは気軽におしゃべりしていた若い二人が、帰りは無言で引き上げていく後ろ姿には、「目」になるだけだったはずの自分たちが引き金を引いたという苦い思いだけが残ります。


■苦さを超える結末

問題となる少女は実に可愛らしい。母親の作るパン(デカい、でもちょっと旨そう)を売り生計を助けています。少女が再びパンを並べたときは「さっきより多くね!?」と焦るし、一度はファラが全て買い取ったものをちゃっかりまた売り始める商魂の逞しさには「早く逃げてー!」となりますね。ここで重要なのはベンソン中将が「少女の可憐さに目を奪われがちだが」と言う通り、命の危険に晒されるのが過激派とは全く無関係のごく普通の一般市民、しかも未来ある子供であるということです。しかもその父は娘に西洋のフラフープを与え、勉強をさせて、過激派たちを「狂信者」と呼ぶ、むしろ英米に近い考え方を持っているというのが皮肉。

序盤にカメラが引き、車を追いかけるサイトがタイトルの「EYE」になるのがカッコいいんですが、この話には神の眼として俯瞰する、というような開放感はありません。ドローンを飛ばし、遠く離れた場所から命令を下し、攻撃する、それは確かに安全かもしれないけれど、それでもまともな心には深い傷を残すのです。常に冷静に振る舞ったように見えるベンソン中将は、自身が現場で行った自爆テロ後の片付けを忘れられないのでしょう。ミサイル爆発後の現場に散乱する無惨な死体がそれを裏付けます。そしてベンソンに「軍人に、戦いによる結果を知らないと言ってはいけない」と言われたアンジェラさんは、終始強気だった顔に涙を浮かべるのです。

こうしてこの作戦は、関わった全ての人に苦い思いを残して終わります。しかしこの物語にはまだ続きがあるというのが凄い。彼らは作戦終了後に少女が微かに動いているところまでしか見ていないのです。45%に満足して車を運転するパウエルも、子供へのプレゼントを受け取り帰路につくベンソンも、「空の目」が映さなかったその先の結末を知りません。現代戦争の様相、利便性を極めた軍事行動の闇……そんなこと以前に、「人が死ぬ」、それが戦争なのです。エンドクレジットで朗らかに回る少女の姿は、そうして死んでいった罪なき犠牲者たち全てに対する追悼にも思えてくるのです。

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