2017
01.03

ギラつきヒリつく二人。『溺れるナイフ』感想。

oboreru_knife
2016年 日本 / 監督:山戸結希

あらすじ
お前はよう。



東京で雑誌モデルをしていた夏芽は、家族で父親の故郷である田舎町に引っ越してきてその田舎ぶりにがっかりするが、地元で有名な神主一族の息子コウと出会い、彼の持つ危なげな魅力に心を奪われる。コウもまた夏芽の美しさに惹かれていくのだが……。ジョージ朝倉の同名コミックを、小松菜奈、菅田将暉主演で実写映画化した青春ラブストーリー。

少女が型破りな男に惹かれる青春ものというのはよくある話ですが、本作は少々趣が異なります。モデルとして名も売れている夏芽と、田舎町で慣習に捕らわれず自由なコウ。真っ直ぐ飛び込んでくる夏芽に対し、どこか超然とした態度でいなすコウという構図が、ある事件を境目に変化を見せます。まるで必然のように出会い惹かれ合う二人の苦悩、そして甘さを排したヒリヒリするような関係が独特。ロングや長回しを多用した映像が、登場人物たちの微妙な距離感と緊張感をもたらします。

夏芽役は小松菜奈。『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』とは異なり、アイドル性より生っぽさが目立つ撮られ方で、これはこれで良いです。ただ、半ば小松菜奈を目当てに観たのに、コウ役の菅田将暉が持つ危ない雰囲気や予測のつかない動き、雑だが揺るぎのない喋り方などのほうにやられました。二人とも15~16歳くらいという設定なのはちょっとギリギリな感じはしますが、原作(未読です)では最初は小6の設定らしいからまだマシだし、何より二人とも有無を言わせない存在感があります。また二人の友人・大友役の重岡大毅がとても良い味を出しているのと、カナ役の上白石萌音がイメージを逆方向に活かしての役回りなのも面白い。ただ夏芽の母親役の市川実和子が思いのほか小松菜奈に似てて、小松菜奈が時々市川実和子に見えちゃうのがちょっとツラかったです。

序盤の展開が多少はしょってる感がしなくもないですが、惹かれ合った後の二人の展開がメインと考えればそこはまあいいですかね。自然の背景を使ったショットの美しさは印象深く、台詞だけでなく映像や動きで示す心情にはくるものがあります。キレ味のある音楽も良い。思春期特有の、好きという感情の持つナイフのような感覚が鋭く迫ります。

↓以下、ネタバレ含む。








あっという間に恋人同士になる二人ですがラブラブという感じではなく、特にコウは態度も多少突き放すような感じで、台詞にあるように「めんどくさい」と思っているようにも見受けられます。ただ、祭りに行くときの町なかでジグザグに行ったり来たりするシーンや、林のなかで夏芽に追われてスルスル逃げるシーン、大きな池(水溜まり?)の周りを迂回するようなシーンなど、一定の距離を保ちながらぐるぐる回るような動きが多いところに、何か気軽に触れられないという思いがあるのかもしれません。「キレイだから自分のものにしようとした」と言うのは単に「美人だから」という意味ではなく、自分とは違う世界で活躍する夏芽に何かキラキラしたものを感じたからでしょう。芸能界を辞めると言う夏芽に「つまらんのう」と言うのも、言ってみれば敬意の思いの裏返しかもしれません。そう考えると菅田将暉の「お前はよう」という荒っぽい喋り方がちょっと優しく思えてきます。

一方の夏芽は、コウに対して「全てを捧げる」とまで言います。思春期女子の真っ直ぐさや思いの強さによる周りが見えなくなる感じ。夏芽にしてみれば今までのきらびやかな世界とはかけ離れた田舎町に来て失望しているところに、「神さんが見ている」とされる海岸に平気で入っていくコウは、この町に対する夏芽の反感を体現するような存在だったでしょう。おまけに地元の名士の跡取りで、周りからも一目置かれている。夏芽にとってはコウこそが「神さん」のようなものです。コウちゃんといることが何よりも幸せであり、芸能界の仕事を辞めてもいいとまで言う。地団駄を踏むような子供っぽい癇癪の起こし方からしても、夏芽にはまだ幼さが見られます。それでも自転車に二人乗りして海も山も全部コウちゃんのものだと叫ぶシーンは、夏芽とコウの距離が最も近付く場面としてとても良いです。

しかし祭りの日に起こる痛ましい強姦未遂事件により、二人の仲には修復しがたい溝ができてしまいます。夏芽を助けられず泣くコウを見て、彼が全能の神ではないことを思い知る夏芽。嫌いにはなれなくても気まずさは残り別れる二人。そして夏芽は「安心できる」大友と付き合うことになります。この大友君が本当に朴訥でイイ奴で、夏芽の母親を「美人だ、顔が好みだ」と言うのからもう夏芽を好きなのがバレバレだし、「好きにならないの?」に対し「友達でええよ」とか言うし、それでも眉毛ネタでぎこちなくチューまで持っていくところとか、もうイイ人感溢れてます。椿の蜜を勧めるときにすれ違ったコウに目を奪われる夏芽に、それでも好意を寄せるポジティブな姿には思わず応援したくなるほど。バッティングセンターでの長回しで明らかに台詞を噛んでるところがあるんだけど、そのまま続くところにも彼のイイ人感が出てきます。夏芽がネイルの青=コウに、椿の赤=大友を混ぜるところなどは、そんな大友への心情が表れてますね。それだけに夏芽が結局コウを選ぶのがせつないですが、フラれたときまでポジティブに「応援する」と言うのが大友という男なのでしょう。まさか「俺ら東京さ行ぐだ」をフルコーラスで聴くことになるとは思いませんでしたが……

善意の象徴である大友とは逆に、上白石萌音のカナちゃんはにこやかで気遣ってるようでいて、実は腹の中に淀んだものがあるという悪意の象徴です。夏芽と同じバスに乗ってたのにシカトし、後から「心配してたんよー」とかサラッと言うのが嫌ーな感じです。面を作っているコウに話しかけたそうにするシーンなどからもカナちゃんはコウに惹かれてるんだろうし、中学の頃はそれでも夏芽の方がお似合いだと学校の玄関で思いきって言うものの、その途中で無視されたような感じになった、という恨みもあるのかも。終盤では夏芽のことを「やっぱり疫病神だ」と言うし、最後に夏芽を睨み上げる表情の鋭さも強烈。出番は少なめながら上白石萌音ちゃんはさすがです。

一年後の祭りの日、なぜあのレイプマン(蓮目)が夏芽のいる神社にまた現れたのか?夏芽はあそこで何していたのか?というのは引っ掛かるところではありますが、あそこは夏芽とコウが結ばれた場所であり、東京に行くことにした夏芽はそこでコウとの思い出に浸っていたのでしょう。夏芽が言った「あの男に囚われたままだ、心中したんだね」の言葉は、蓮目による二人への呪いが消えていないことを指しており、だから蓮目は二人が乗り越えるべき厄災として再び登場したのだと考えられます。「誇り高くいたかった」と言って泣いたコウが再び助けに現れたとき、夏芽はコウに「殺して」と叫びますが、罪を犯しても何も怖くない、というのが夏芽がコウに抱く思いであり、それこそがコウの誇り、引いては全能性を取り戻すことでもあるのでしょう。乱闘と祭りの激しさの入り混じった映像は、現実と夢の区別が付かなくなるような高揚感があって凄まじいです。

本作には水に浸かるシーンが随所にあり、前半は川みたいな用水路や写真撮影時の水たまりなど主に夏芽が水に濡れる、つまり恋に溺れているというのを思わせるシーンが多いですが、事件後はそんな夏芽にボートから海に落とされたコウが沈んでいくシーンが印象深いです。誇りを失い溺れていくばかりの十代のギラつき。しかしコウは夏芽を救い、「ここで起こったことは気にしなくていい」と夏芽から切り離すことで「呪い」は解かれます。その後女優として栄光を勝ち取った夏芽が思い出すコウは、かつてのように全てを手にした神さんのようなコウです。夢か現実かわからないような二人乗りの自転車、それはもはや遠い思い出であり、二人が会うことはもうないのでしょうが、それでもお互いに自分の前を行く存在として、二人の胸にきらめき続けるのです。

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