2017
01.02

研ぎ澄まされたせつなさ。『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』感想。

boku_asu
2016年 日本 / 監督:三木孝浩

あらすじ
また明日。



通学中の電車の中で見かけた女性、愛美に一目惚れした美大生の高寿は、思いきって愛美に声を掛ける。そうして付き合うことになった二人だが、実は愛美にはある秘密があった……。七月隆文の同名小説を、福士蒼汰、小松菜奈主演で実写化したファンタジック・ラブストーリー。

若干のファンタジー要素で織り成すせつない系ラブストーリーです。どこかミステリアスな女性・愛美に一目惚れした高寿が、思わず声をかけてしまうことから始まる二人の関係。どうせ福士蒼汰だから上手くいくんでしょ?とか、カップルのイチャつきっぷりがむず痒いんでしょう?などと思いがちですが、確かにそういうありきたりに思えそうなところはあるものの、実はそういったありきたりな恋愛展開にこそ裏があるのです。予告からも何となく設定は予想するものの、そこに微妙に加わる「捻り」が実は絶対的な要素として物語を支配している、いうのが実に独特。そして後になるほど遡ってせつなさが増す、という構造が面白い。思い返すとその時の行動、表情、セリフといったものが、予想を超えた意味を持っていたことがわかってくるのです。この作りは思いのほかスゴいですよ。

もうね、愛美役の小松菜奈が超絶可愛いのですよ。『バクマン。』のときも可愛かったけどそれ以上。陽光による白く淡い絵作りが効いて絵画的な美しさを引き出し、言動の可憐さと設定の儚さ、それらをベースとして見せる眩しい笑顔に激萌え。いやホントに「小松菜奈って結構いいな」くらいに思ってたら、これ観て完全にやられました。一方のはにかみ美大生、高寿役の福士蒼汰は「えみ」という呼び方がちょっと一辺倒なのが気になりますが、嫌味臭さがないのでとても良い感じです。高寿の友人・上山役の東出昌大はキメで言う台詞がいちいちクサいんですが、それ以外の軽い感じは意外と合ってました。ほぼ小松菜奈と福士蒼汰(と隠し味程度の東出昌大)しか出ないので、疑似恋愛気分さえ味わえる没入度があります。

最後はちょっとくどいですが、そこは分かりやすさ優先なのかな?とは言え結構、いや、とても好きな作品。恋愛ものとしてのベタな描写や若者たちの青臭さが受け入れられれば、ときめき度はかなりのもの。舞台がさりげなく京都の街というのもしっくりきてて良いし、エンディング曲であるback numberの「ハッピーエンド」がまたハマってて涙腺を刺激してきます。『青空エール』の三木孝浩らしい、爽やかさとせつなさの同居が沁みます。

ちなみに、久々に窓口でチケット買おうとしたときにタイトルが飛んでしまい、「えっと……明日、きみと、デートしたい」と窓口のお姉さんをいきなり誘った形になってしまいましたが、「はい、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』ですね」とすんなり訂正されて「あ、それです」と事なきを得ました。

↓以下、ネタバレ含む。








「一目惚れをした」から始まる前半は、愛美が時々見せる不可解さはあるもののわりと普通にラブストーリーで、ちょっとむず痒くなってくるほどなんですけど、そのストレートな恋愛ものであるというのが実は重要だったりします。タイトルの出るタイミングが『ヒメアノ~ル』を彷彿とさせるほど中盤になってから(ちょうど15日目が終わるとき)ですが、それはつまり後半から物語が反転するからなんですね。このタイトルは捻りがあるわけではなく、実はそのまんまだったわけです。真相が明かされるのが意外と早いな、とも思うんですが、真相を知った上で二人の行動を語ることでやるせなさが、最初の頃の行動を思い返すことで深みが増してくるようになっています。(最初はメガネ男子の高寿がいつの間にかメガネをかけなくなるのはよくわかりませんが)

愛美は未来に起こることを知っている、というのは予告からも予想が付くんですが、いわゆるタイムリープものとは違ってこれが少々ややこしい。高寿が何度も「え?」と言うのもわかろうというものです(でも言い過ぎ)。愛美はここではない並行世界(という言い方が合ってるのかは微妙ですが)の住人で、そこでは高寿の世界とは「時間の流れ方が逆」なのだと明かします。つまり高寿の未来は愛美の過去であり、既に経験した時間なわけです。ただ、時間が逆に流れると言いながら普通に一緒の時間を過ごしているというのが混乱するんですよ。どうやら流れが逆なのは1秒単位とかではなく一日単位のようで、愛美にとっての今日の24時は、高寿にとっての明日ではなく昨日の0時に繋がっているんですね。だから0時になると愛美は一日前に消えてしまう。そうした二つの世界が交わる期間が5年に一度、30日だけ訪れる、という設定なわけです。期間限定+記憶を失う、の変化形といったところでしょうか。

なぜ愛美は二つの世界のことを知っているのか、「初めてこっちの世界に来たのは」と語りますが一体どうやって行き来するのか、二つの世界の住人が交わることは何かしらのパラドックスを生んだりしないのか、というようにSFとして突き詰めると正直雑です。もっと言えば「どうやってせつない物語にするか」というのを逆算して都合よく作った設定だとしか思えないんですよ。ちょうどお互いが子供と大人の境界である二十歳のときに年齢が重なるというのもあざとい。でも頭でそうは思いながらも、この設定のなかで出会った二人がどういう思いで行動し、どうやって別れていくのか、というドラマの見せ方の上手さにまんまとやられてしまいました。考えてみれば、設定は物語上のルールとして存在するだけで、その物語内で整合性が保たれればその正否を問う必要はないですよね。

愛美は未来の高寿から全てを聞いているので、どうやって二人が過ごしてきたかを全て知っており、その通りに行動していきます。愛美の一日目は高寿にとっては最終日でありながら、愛美にしてみればまだ出会ったばかり。逆に高寿が最初に愛美に出会ったときは、愛美にとっては最終日です。大きなポイントは、時間はお互いに不可逆だということ。だから例えどうなるか知ってはいても、二人が会っているその瞬間というのはその時しかないわけです。そして高寿は最初は真相を知らないということ。ありきたりに見えた最初の頃の付き合いが、実は愛美にとっては真相を隠して接していたということであり、予定調和と知りながらも日々を過ごそうとしていたのだというのが後からわかるのです。涙の理由は高寿の初めてが愛美には最後であったからとか、呼び方を「高寿」から「南山君」に変えなければいけなかったのだとか、思い返すと余計せつない。初めて会ったはずの上山に「南山君のことをよろしくお願いします」と言うのも納得できます。終盤での別視点でのシーンの繰り返しは若干しつこい感じもしますが、本作の場合は作りが丁寧と見るべきでしょうね。それに前半ではあえて映さなかった愛美の泣き顔のシーンをここで入れてくるというのも効いています。ちょっと余計だな、と思っていた序盤の高寿のモノローグも、終盤の愛美のモノローグとの対比なんですね。そして最大のポイントは、二人が「過去の思い出を共有できない」ということなのです。

高寿が愛美に一目惚れしたというのも、実は子供の頃に会ったことがあるからなわけです。お互いが子供の頃に命を助けられたという話には一体どちらが先なんだと混乱しますが、二人が惹かれ合う理由が15年かけて表出したのだと考えると物語の構造がさらに補強されます。高寿の親に会いに行くというイベントは愛美にとってはまだ交際二日目なため少々強引にも思えますが、箱に入れる写真を撮るためと言うよりは、「どうして愛美とは家族になれないんだ」という高寿の思いがそこにはあるのでしょう。つまり先に拡がるはずだった未来を少しでも共有したかったのです。そして高寿の最終日、24時と共に永遠に消える二十歳の愛美。ここからは高寿は子供に遡っていく愛美を見守ることしかできない。逆に高寿の昨日へと遡っていく愛美。高寿の最初の日、愛美の最後の日に彼女が言った「また明日」は、全てを飲み込んだ「さよなら」という意味の「また明日」だったのです。

突き付けられる時間の残酷さ、わずか30日と知りながらも愛すること、再会を期する言葉が示す永遠の別れの言葉。研ぎ澄まされたせつなさとも言うべき悲恋に心が揺さぶられます。全てを知って二回目を観ると、序盤から爆泣き。この不覚にもやられた感、嫌いじゃないですよ。

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