2016
12.20

喪失が生みし怪物。『シークレット・オブ・モンスター』感想。

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The Childhood of a Leader / 2015年 イギリス、ハンガリー、フランス / 監督:ブラディ・コーベット

あらすじ
透けてますよ!



1918年、ベルサイユ条約締結直前のフランスにアメリカからやって来た政府高官一家。息子は美しい子供だったが、終始不満を抱えていた。やがて少年の中の怪物が徐々に目を覚ましていく……。サルトルの短編小説をベースにしたという心理サスペンス。

始まりは「序曲」と題されて第一次世界大戦の当時の映像が流れます(特にナレーション等はないのに字幕を付けてくれるのは親切)。そんな時代背景のなか、政府高官で高圧的な父親と躾に厳しい母親と共に、アメリカからフランスにやってきた見目麗しい少年。しかし彼には何かが欠けているように見受けられます。その欠如は埋められることも理解されることもなく、大人の都合にかき乱され、さらに失われていくのです。章立てで語られ、徐々に癇癪を大きくしていく少年の日々、そしてそんな経緯の末に見せる、ある納得をもたらすラスト。具体的な説明を省きながら真実を見せる映像と、勢いで不安を煽る音楽の迫力、そして時代性の組合せが面白いです。

本作は俳優のブラディ・コーベットの初監督作なんですね。役者としての出演作は多分観てないんですけど、いきなりこんな深読みさせる作品を撮るとはスゴい。大きな瞳と癇癪演技が鮮烈な印象を残す少年役のトム・スウィートもまた本作が映画デビューだそうで、この子の美しさと危うさを併せ持った感じ、耽美で良いですねえ。少年の母親役に『アーティスト』のベレニス・ベジョ、家庭教師アダ役に『ニンフォマニアック』のステイシー・マーティンという女性二人の少年との関係性はスリリングです。あと夫妻の友人チャールズ役が『トワイライト』シリーズのロバート・パティンソンなんですが、ヒゲ面で最初気付きませんでしたよ。

何となく浦沢直樹のコミック『MONSTER』みたいな感じかと思いましたが違いました。果たしてタイトルが示す「怪物」とは一体何なのか。そこにあるのは多感な時期の「喪失」でもあります。ミステリーとして見ると一番驚きそうな内容がキャッチコピーやあらすじで普通に明かされてるのが残念な気もしますが、といっても原題がこれだからしょうがないのかなあ。ただ、本当の驚きはそこではないところにあるのです。

↓以下、ネタバレ含む。








原題は『指導者の子供時代』であり、端的に言えば「独裁者がいかにして生まれたか」ということを描いています。子供時代が人格形成に及ぼす影響、と言うと道徳の話みたいですがそういうことですね。少年は天使のような可愛らしさであり、実際に冒頭では教会の寸劇みたいな出し物で天使の役をやるほどですが、何か鬱屈したものを抱えた少年は教会に来た人々に石を投げるという癇癪を起こします。慣れない土地に来ての所在なさ、といったところなんでしょうが、これに対する仕置きが「教会に来た全ての人に謝り続ける」というトラウマ級のもので、そりゃ歪みますよ。おまけに女の子と間違われてブチギレ。なら髪を切ればいいのに、と思うんですが、あれは彼なりの美意識なんでしょうか。あるいは少年でも少女でもない、まだ何者でもないという可能性をそこに示しているのかもしれません。ともかく「尊厳」を踏み付けにされ、家に帰って吐くほどのストレスに襲われる少年にとって「神」が信仰の対象であるという概念は早くも失われたと見ていいでしょう。

母親の厳しさは少々度を越しているようにも思えます。代わりにまだ甘えたいところもある子供に手を差し伸べるのは家政婦の老婆。しかし彼女は母の逆鱗に触れてクビになってしまいます。少年を守っていた「情愛」の喪失、このことが少年の二度目の癇癪の契機となります。この家政婦が最後に言う「ご家族を破滅するためだけに生きていきます」と言う恨み節は強烈。実際に彼女が何かをする場面はありませんが、その怨念のようなものは残ってるかのように感じるのが凄い。これはつまり呪いです。

もう一人、少年にとって重要な人物が教育係の女性アダ。彼女の胸のアップがずっと続く場面は凄いですね。透けたブラウスを通して見える乳首には、明らかに少年の性の目覚めを匂わせるものがあります。しかし調子に乗った少年がアダの胸を触ったとき、アダは激しく怒ります(そりゃそうだ)。ではそのために少年はアダを不要だと言うのでしょうか。恐らくはそれだけではなく、父とアダの関係を察したからなのでしょう。父がなぜか早く帰っていたこと、アダが食べ物を持ってくると言いながら戻ってこなかったこと、二人が談笑していたこと。明確には語られませんが、母親の察したような物言いもその帰結に拍車をかけています。少年にとっての淡い「初恋」は無残に踏みにじられたわけです。そして彼がフランス語を覚えるたびに褒めてくれる、いわば「承認」を与えてくれる存在を、彼は切り捨てるのです。

アダへの訣別は父への反抗にも繋がります。裸にガウンを着て父の言うことを真似するのは、そんな裸にガウンの姿を見たことがあるのだと匂わせ、より父とアダとの関係に確信をもたらします。父親の我を忘れた折檻によりその亀裂は決定的となり「父」を拒否するようになる少年。一方で母に対しても不満を募らせる少年は、イソップの「ねずみの恩がえし」を母とアダにフランス語で読んでみせます。小さき恩でもそれは自身に返ってくる、という教訓を持つ話ですが、これは家政婦を辞めさせた母への皮肉であり、裏を返せばそれは悪意もまた自身に返るのだ、という警告にも思えてきます。そしてその警告は母を殴り付けるという三度目の癇癪へと辿り着く。少年に祈りの言葉を言わせようとしたのは、母が彼に与えた良き息子であるチャンスだったのかもしれませんが、敬虔なクリスチャンである母に対し「祈ることは信じない」と連呼して「母」をも遠ざけるのです。直前にロウソクの火がカーテンに引火していくというシーンがじっくりと映されるのもその予兆でしょうか。ここで初めて少年の名がプレスコットであると明かされ、その子供時代は最後に倒れた姿で終わります。奇しくも辞めさせられた家政婦の呪いが成就したかのようです。

そこから立ち上がったとき、大切だったものを失い、あるいは奪われたプレスコットは、それゆえ己の欲する世界を求めるようになったのか、指導者として生まれ変わった姿を現します。つい先ほど明らかになったプレスコットという名が次の章では群衆によりコールされるという連続性に、少年時代の影響が色濃いのだと察せられるようになってるんですね。彼が序盤に見た夢の風景、特徴的なエレベーターや丸い天窓の建物といったものが現実になっているのは、既に少年の頃に予感めいたものがあったのか、あるいはあの夢が彼の方向を決めたのか。どちらにしろ夢と同様、そこには求めた母親の姿はないのです。

何よりも驚くのはその顔で、大人になったプレスコットを演じるのは、禿頭とヒゲで分かりにくいものの、チャールズと二役のロバート・パティンソン。それはプレスコットが母とチャールズの間に生まれた子供であることを示しています。思い返せば父母とチャールズの会話シーンのどこかぎこちない空気、母が手紙を書く相手がチャールズであること、母がアダに語るように「教師になる夢があった」と本当は結婚を望んでいなかったこと、父が「"君の子"が欲しい」と何かを知っているかのように迫ること。それら全てが繋がり、プレスコットが祝福されざる子供であったことに気付かされます。だからなのか、ナチスを思わせるマークの下、プレスコットは人々の熱狂によるセレブレーションを受けるため車から降ります。失い、奪われたものを再び手にしようとするかのように。何もわからない少女の無垢な姿、その向こうに降り立つ指導者プレスコット、そしてグルグル回って倒れていくカメラ、それらはまるでこの先の混沌を示しているかのようで、何とも不穏な余韻が残ります。

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