2016
10.30

孕む毒気と求める解放。『何者』感想。

nanimono
2016年 日本 / 監督:三浦大輔

あらすじ
俺様劇場へようこそ。



22歳の大学生・拓人は、ルームシェアをしている友人の光太郎と共に就職活動に励む日々。ネットの情報を駆使し、SNSに心情を吐き出しながら、やがて光太郎の元カノの瑞月やたまたま上の階に住んでいた理香や隆良とも情報交換をするようになるが……。『桐島、部活やめるってよ』作者の朝井リョウが直木賞を受賞した『何者』を原作に映画化。

5人の大学生が就職活動を通して見せる様々なドラマが描かれます。原作未読で臨みましたが、これが予想外に面白い!予想外と言うのは、若者特有の浅はかさ、みたいなキツくてイタい話なのかなーくらいに思ってたのを見事に覆してくれるから。いや、キツさもイタさもあるけどそれでは終わらず、思いがけない着地を見せてくれるのが凄いんですよ。就活ドラマと言えば91年に金子修介監督『就職戦線異常なし』なんてのがありましたが、売り手市場のバブリーな頃とはもちろん異なり、就活生たちはよりシビアかつ現実的。またツイッターや就活サイトなど、ネットを自然と使う現代だからこその話でもあります。

冷静な分析で乗りきろうとする拓人を中心に、憎めないバカの光太郎、素直で堅実な優等生の端月、プライドの高い仕切り屋の理香、薄っぺらい芸術家気取りの隆良らが就活という荒波へと乗り出します。それぞれ佐藤健、菅田将暉、有村架純、二階堂ふみ、岡田将生と今を代表する若手たちが演じていますが、このキャスティングは完璧と言っていいでしょう。院生のサワ先輩役に山田孝之というのも良いアクセント。徐々に閉塞感を強めていくなか、誰かがキレるだろうと予想するもその上をいかれるのも快感です。就活という相対化からの評価、SNSという承認欲求からの自己表現。これらは相反するようでいて似たものがあるのかもしれない、などと思わされます。

しかしこれは世代によって受ける印象もかなり違う気がしますね。ちょうど就活する前後の人には恐ろしい話かもしれない……予告編を観て「ちょっと感動する系かな?」というイメージを抱いてたけど、これにはいい意味で騙されます。人の暗部を炙り出す毒気と、さらけ出された故の解放までを描いていて驚き。中田ヤスタカの音楽もシーンにあっていて心地よい。未読だけど原作の面白さを感じるし、それでいて映画的な見せ場もきっちりあります。そしてこの切れ味。それにしてもツイッターを実名でやっている人ってそんなにいるもんなのかい……?

↓以下、ネタバレ含む。








就職活動は自分という人間を丸ごと評価されるもの、という認識を持つのは致し方ないところです。実際は企業側のニーズとのマッチングというのはあるでしょうが、なかなかそれで割り切れるものでもありません。自己評価、他者との比較、承認欲求、相対化、あらゆる側面から自分という人間に真っ向から対峙することを強いられるのが就活とも言えます。本作では企業側の意思というものは描かれず、スポットを当てるのはあくまで就活生です。そこには自分に対峙して結果を出す者、小手先の手段で乗りきろうとする者、他者と比較して安心しようとする者、と様々。そして就活対策本部として皆で集まるうちに、やがて就活に励む者同士の人間模様、羨望の裏返しからくる見栄、吐き出さずにいられない醜悪なダークサイドなどが噴出していきます。

拓人は分析が鋭いと言われ、自分でも冷静で客観的だとクールさを気取りつつ、必要以上に自分を表には出しません。情報を得て分析し、現実を見た行動をしていると思っています。だから意識高い系の理香や薄っぺらい理想を語る隆良に対しては型に当てはめて引いた目で見ているし、何も準備していない光太郎が早くも最終面接まで行ったことを内心面白く思っていません。「なぜお前に内定が出ないのかわからない」と光太郎が言いますが、それを誰より思っているのが拓人本人でしょう。幸か不幸か、終盤で拓人はその理由を理香に突き付けられることになります。何者でもない立ち位置で他者を好き勝手に分析し、見下し、自分が最も正しいと主張する歪んだ優越感。理香がディスカッションで拓人を遮った理由もそれを知っていたからですね。拓人が演劇をやっていたということで、ツイッターを「俺様劇場」であるとした表現は実に鮮やかで、140字分のシーンをフォロワーという観客の前で演じ、RTやふぁぼという賛辞を得て悦に入る姿は薄ら寒いものがあります。メールアドレスからアカウントを辿れると分かっていても、鍵もかけない、ツイ消しもしない。それは承認欲求のためであり、裏返せば不安や焦りでもあるわけですが、それを拓人は気付きもしない。だから「なぜ内定が出ないのかわからない」のです。

家の都合で就職の希望先を変えなければならなかった瑞月は、甘いことを言う隆良に対して「10点20点でも出していくことが大事だ」と訴えます。そこで拓人が言い添えるのが「頭のなかにあるうちは傑作なんだ」という、かつて演劇仲間の烏丸ギンジに向けて言った言葉。ギンジが今やっていることはまさに頭の中にあるものを10でも20でも形にして出していくということであり、演激集団「毒とビスケット」は不評を買いながらも月イチで講演をやり続けています。理香は拓人を批判し自分の行動をも蔑みながら「自分の努力を実況してないと立っていられない」と泣きます。隆良は己を顧みて真面目に就活をすることを拓人に告げます(ついでに無意識に「就活2年目だろ」とトドメを刺してますが)。そして拓人は拍手の鳴り響く俺様劇場のなか、観客たちの中にあの娘を見つけてしまいます。最も自分の暗部を知られたくなかった人に。

かつて舞台で拓人の鏡写しをギンジが演じたというのは象徴的です。ギンジが必死で足掻いている世界は、拓人もどこかで目指していた世界。拓人はギンジのことを冷めた目で見ているようで、それを羨んでいる自分を必死で否定しています。山田孝之のサワ先輩に「ギンジと隆良は似てない、ギンジはむしろお前に似てるよ」と言われ言葉を失うのもそのためでしょう。何者でもない者は、何者かであろうとする人の眩しさに耐えられないのです。そして拓人は瑞希がいつも舞台を見に来てくれていたことを思い出し、自分の書く話が好きだったと言われて、その時の自分が今求めてやまない何者かであったことを思い知ります。

別に拓人は悪者として描かれているわけではないでしょう。ツイッターに限らず一億総批評家時代である現代、拓人の発言に大なり小なり自分を見てしまうことは否定できません。他の4人の言動にも何かしら通じる部分はあるかもしれません。本作は彼らの誰が正しいと言っているわけではなく、何者かであろうとすることの難しさを表しており、それに足掻く若者たちの普遍的な姿を描いていると言えます。最後に拓人は面接で「自分を1分で説明しろ」と言われ、本当の自分は1分では話しきれないことに気付きます。それでも最後はドアを開けて外へと出ていく姿で幕を閉じる。まだ何者でもないかもしれない、100点なんて取れないかもしれない。それでも可能性は開けているのだ、という肯定的なラストと取りたいところです。

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