2016
10.22

私があなたを救うから。『少女』感想。

syoujo
2016年 日本 / 監督:三島有紀子

あらすじ
ごきげんよう。



由紀と敦子は高校2年生の親友同士。陰湿ないじめを受ける敦子を、由紀は自分なりの手段で救おうと躍起になっていた。そんななか人が死ぬところを見てみたいと思うようになった二人は、夏休みを迎えてそれぞれ小児科病棟と老人ホームでボランティアをすることになり……。『告白』の湊かなえによる同名小説を、本田翼と山本美月主演で映画化。

何かに囚われたように小説を書き続ける由紀、いじめに逢い死のうとまでする敦子。この二人を中心に、人間の嫌らしさや腹立たしさ、暗い情熱、ひいては生と死についてが描かれます。原作は未読ですが、湊かなえということで一応ミステリーの枠に入るんですかね。夏休み前に転校生が親友の死体を見たと話すのを聞いて以来、自分も人の死を目撃してみたいと思うようになった二人が、それぞれのボランティア先で出会う人との交流を通して見つけるもの。三島有紀子監督作は初ですが、二人の少女の心が傷付き揺れる様を丁寧に映し出していて叙情的ですらあります。丁寧すぎて正直くどいな、とも思うし、胸糞悪い展開が延々と続くのにもちょっと辟易するのは難点ですが。

主演の二人は魅力的。由紀役の本田翼はにこやかさを封印した無表情が危なげで、目付きなんて殺し屋のようです。敦子役の山本美月は『貞子vs伽椰子』のときとはうって変わって悲壮感漂う役ですが、敦子が持つ本来の明るさとのギャップは難しかったでしょうね。この二人、思ったより百合っぽさは薄いながら魂のラブラブ度が高いのは良いです。また教師役のアンジャッシュ児嶋がイメージとして持つイラつかせ具合が役柄にハマってるのと、ヘルパー役の稲垣吾郎が犯罪者にもまともにも見えるのがなかなかスリリング。いやあ吾郎ちゃんはイイ。

「少女」という言葉に含まれる子供と大人の中間ならではの悩みや実態が描かれるので、女子高生を神聖視してる人は観た方がいいですね。子供の残虐性と大人のずるさが合わさるとこうも醜悪なのか。女子高生怖い。

↓以下、ネタバレ含む。








何だか色々と半端な状態で次に進んでいくせいか、正直なかなか面白くならないなーと思って観てました。敦子がなぜそこまでいじめられるのか、そこはいじめとはそういう理不尽なものだから、となるのでしょうが、その間由紀はどうしていたのかが疑問。由紀の台詞が芝居じみていてちょっと浮いていたりとか、敦子がもう治っている足を引きずりながら「この方が何かと都合がいい」と言うのもよくわかりません。真剣佑の存在もちょっと中途半端。あと二人がボランティアをするのはそれぞれの理由での「人の死ぬところが見たい」という欲望のためと思われますが、そこまで死を見たいという思いが描かれきれてないため、それがいまいち響いてこないんですよ。とは言え、本田翼はコンドームを手にして身悶えたり、山本美月は足を引きずる姿が痛々しかったりと(『ユージュアル・サスペクツ』みたいなシーンもありましたが)、主演二人は存在感示してて良いんじゃないでしょうか。あくまでこの二人の物語なのでそこは上手くいってるとは言えるでしょう。

何度か繰り返されるシーンは象徴的でありつつ、ミスリードや真意を表す役割も果たします。水に落ちる少女は敦子であったり由紀であったり、その実は転校生の紫織であったりします。何度も原稿用紙に立ち上がる言葉は敦子に対する由紀の想いに他ならないし、屋上からの落下などは敦子が求める逃げ道であるし、手の傷は由紀の前に立ちはだかるトラウマであり因果応報の象徴でもあります。また随所でインパクトを残す小綺麗な映像は、美しさとか儚さとかいうイメージを持ちながらもどこか歪んだ印象を与えます。棒に紐を巻くダンスとかね、なんかがんじがらめにされていくようで怖いですよね。もちろん「ごきげんよう」というご令嬢の挨拶と凄惨ないじめが同時に存在する学園の気持ち悪さも怖いです。少女を取り巻く得体の知れない世界の不気味さが滲み出てくるかのよう。

それに比べれば大人たちの汚い行為は、頭おかしいとは思うものの、欲望に忠実なぶんまだ分かりやすいです。盗作&淫行の最低教師、見返りに体を求める変態親父。児嶋の小倉先生なんて「よく俺の教えを形にしたな。お前才能あるよ」ってもう狂人の台詞だし、親父の「足を洗わせる」という父権の求め方も相当病んでます。由紀は怒りながらも抗う術を持たず、教師の横暴には歯を食いしばり、親父の求めには少年のために半ば覚悟を決めますが、この辺りもまた明確な決着を見せないまま進んでしまうのでちょっとモヤモヤします。一応教師の最期は映されるし、ラストに由紀を散々苦しめた因果応報が悪意を持つ者へと収束するという形で溜飲は下げますが、それにより直接由紀が救われるわけではないんですよね。

由紀は余命わずかな少年たちに共鳴して父親探しを引き受けるし、敦子はとっさの機転で老人を救うしと、共に望んでいたのとは逆に人を生かそうとする行動を取ります。それはつまり死を見たかったのではなく、死に抗う勇気が欲しかった、ということなのかもしれません。だから少年が父親を刺すという求めていたはずの場面で、由紀は我を失い絶叫します。その由紀を、かつてそうしたように再び敦子が連れ出す。敦子に生きる希望を与えたかった由紀、由紀を救うため連れ出して走る敦子。過去と現在を繋ぎ合わせるかのように、夕陽のなか走る二人が繋ぐ手。ラストに泣き合い救われる二人は、観てるこちらにも救いとなります。

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