2016
10.15

レンズの向こうの終焉。『SCOOP!』感想。

SCOOP
2016年 日本 / 監督:大根仁

あらすじ
風俗行こうぜ!



芸能スキャンダル専門の中年パパラッチ、都城静。借金や酒にまみれた生活を送っていた彼が、ひょんなことから写真週刊誌「SCOOP!」の新人記者・行川野火とコンビを組むことに。静との最低な仕事に辟易する野火だったが……。『バクマン。』の大根仁監督、福山雅治主演で描く写真週刊誌カメラマンや記者たちのドラマ。

1985年に製作された原田眞人監督・脚本の映画『盗写 1/250秒』が元ネタとのことです。パパラッチを描く、ということで『ナイトクローラー』のようなゲスい話かと思いますが、これがちょっと違う。というかゲスさで言えば直接的すぎる卑猥台詞の多さにはちょっと引くほどで、今どきこんなヤツいるのかという感じなんですが、そんな主人公・都城静により新人記者の行川野火が徐々にパパラッチとして育成されていくという前半は、後ろ暗さが達成感へと変わっていく様、そして微妙な師弟関係がなかなか面白いです。また中盤からは急にカラーの異なる展開で非常にスリリング。個人的にはそこがさらに面白かった。いや正直に言えば「老兵は去り行くのみ」みたいな話はおっさんには予想以上に刺さってツラさもあったんですけどね。

新米記者の野火を演じる二階堂ふみたんは、さすが大根仁という観る者を魅了する可愛さで撮られていてたまりません。たまりませんな!(興奮)最初はきゃりーぱむぴゃ……ぴゃむぱ……ぱみゅぱみゅみたいな姿が、仕事に慣れてくるにつれメイクや格好も変わってくるというのも面白い。逆に吉田羊、滝藤賢一らの修羅場の越え方は大人の世界で無茶する感があります。最も凄まじいのがチャラ源を演じるリリー・フランキーで、超気持ち悪い→超強い→超危ない、の三段変形が『凶悪』のリリーさんよりさらにイッちゃってて迫力。チョイ役で斎藤工や塚本晋也なども出てます。ひょっとしてヒロインの名前が「野火」だから『野火』を撮った塚本監督が出てたんでしょうかね。

都城静を演じる福山雅治はどうもやさぐれ演技に無理してる感があるんですが、これはそういう演出なのでしょう。だからそのゲスさに段々慣れてきたところでの後半の展開には意外としっくりきました。一時代を築いた写真週刊誌の興隆、そこで生きてきた男の運命、その意思を引き継ぐ者。80年代の作品を今の時代にリメイクしたからこそ描けるものがあります。エンドロールもとても良いですよ。

↓以下、ネタバレ含む。








冒頭の長回しから静の車を追っていく俯瞰の映像などには結構スケール感があります。これは現場に向かう野火から東京の街の俯瞰を映すラストと対になっており、この街を駆け回る者のドラマであるという構造を見せるんですね。レンズが捉える有名人たちの別の顔もある種の街の表情と言えるでしょう。あの手この手でスクープ写真を撮ろうとする静たちの悪びれなさも夜の街には似つかわしいです。花火を使っての激写などはそんな手があるのかと愉快だし、そこからの花火を駆使した逃走劇は日本で一般人によるカーチェイス&銃撃戦をやってみせるという工夫が実に愉快。

福山雅治の都城静はいきなりヤってるし、口を開くと下ネタと、非常にひねくれたと言うかやさぐれた感じが最初は鼻に付きます。人物像がちょっと古臭いと言うか昭和の香りがして、野火が「何でも野球に例える」と言うのもそんな感じ。ただこの役を福山雅治が演じていることで、ちょっと無理してる感が出てるんですよ。これは何なのか。恐らくそれは静とチャラ源の関係に理由があるのでしょう。二人の間に何があったのか、「代わりに刑務所に行った」「でっかい借りがある」とだけ語られますが、詳細は不明。ただそれを契機に、かつて花形カメラマンだった静は何かを諦めてしまっているのでしょう。後悔か後ろめたさかは定かでないものの、そのせいで自分のような奴はパパラッチがお似合いだと思っている節があります。芸能スキャンダルを「ゴキブリやドブネズミ以下だ」「最低のクズの仕事だ」と言う台詞も、振り返れば自虐めいて聞こえるのです。

そんな静が、この仕事を見下していた野火が「最高だ」と言うあたりから少し変わってきます。次々とネタをモノにする。拉致された野火を助けるためバットを持って登場する(このときのカッコよさ、からのヘタレぶりが笑えます)。そして強姦殺人者の現在を撮るという仕事をやりたいと言う野火に対し、一度は取り下げた「カメラマンはノーとは言えない」の台詞を持ち出す。最初の少し無理してる感が、ルーキーを育てる姿と合わさり徐々に馴染んでくる辺り、福山雅治だからこそというハマり具合が見られます。しかし、静は再び返り咲こうというわけではないんですね。「ベテランに花を持たせるのがルーキー」と言う定子とは逆に「ルーキーにホームラン打たせた方が盛り上がる」と言うように、静が自分を囮にしてまで野火に撮らせようとするのは、これが彼女のスクープだと思っているからであり、自分の復帰までは考えてないのです。

野火が打ち上げの席でこちらを見る表情、脱がないけどやってることは結構際どいラブシーンと、大根仁の撮り方はエロさと言うより愛情を前面に出している点で作為的です。静と野火がそういう関係になるのは強引な気もしますが、師弟の粋を超えた関係となることにより、かつてフランク・キャパに憧れた都城静という男が引き出されるんですね。「何になりたかったんですか?」と野火に聞かれ「何者かになりたかったんだろうな」と答える中年パパラッチの悲しさは、同じく何者にもなれてないのではと自問する僕自分に突き刺さり、ツラくて泣きそうでしたよ。でも大根監督は諦めてしまった静を救おうとはせず、それどころか退場させてしまうのです。全てを野火に受け継がせ、これから生きていく者を走らせて物語を終える。甘さを排した結末はシビアすぎる気もします。しかし静が最後に撮った野火の寝顔、そしてそれを傍らに泣きながら記事を書く野火というシーン、そこに見る師弟愛と男女の愛の融合により、単なる世代交代ではなく意志の継承の話であることを分からせる。都城静に去りゆく老兵を感じた者としては、そこは救いでもあります。

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