2016
10.04

信じていれば、信じてなければ。『怒り』感想。

ikari
2016年 日本 / 監督:李相日

あらすじ
カワイイな、あy(以下略)



八王子で起こった残忍な夫婦殺害事件から1年、犯人は整形をしていまだ逃亡中だったが、そんな折、千葉、東京、沖縄でそれぞれ前歴不詳の男が現れた。果たして彼らのなかに犯人がいるのか。『悪人』に続き吉田修一の原作を李相日監督で映画化した群像ミステリードラマ。

現場に「怒」という血文字を残して姿を消した殺人犯。必死で追う警察の捜査も空しく足取りは一年経っても掴めない。物語はこの殺人事件を軸にしつつ、東京、千葉、沖縄で展開する三組のドラマで構成されています。千葉の漁港で暮らす洋平と娘の愛子の前に現れた田代。東京で大手企業に勤める優馬が知り合った青年、直人。親の事情で沖縄に転校してきた女子高生の泉が無人島で出会う田中。やがてそれぞれ怪しげな三人と徐々に交流を深くしていく者たちに、信じることの難しさ、裏切りへの悲しみが共通して浮かび上がってきます。構成の妙が素晴らしいミステリーでありながら、心をえぐる物語がずっしりと重いものを残します。

役者は皆熱演。田代役・松山ケンイチの佇まい、愛子役・宮崎あおいの陽気な危うさ、洋平役・渡辺謙の苦悩する父、と千葉パートは閉塞感と未来への微かな希望が拮抗します。東京パートは直人役・綾野剛の寂しげな顔、優馬役・妻夫木聡の調子こいた感が印象的で、かつ色々と予測を越えてきますね。妻夫木聡が綾野剛を「こいつカワイイな」って見る顔もスゴいですが、同時に綾野剛が本当にカワイく見えてきてヤバい。そして沖縄パートはJK泉役を広瀬すず、沖縄によくいそうな旅人の田中役を森山未來。特に広瀬すずは、彼女がこの役をやるのか!という驚きが非常に大きいです。

誰が犯人なのかというミステリーは、やがてその人が犯人なのか否かという焦点へとスライドしていき、取り返しのつかなさに矛を納めることのできない真の「怒り」を見せられることになります。坂本龍一の音楽もとても染み入る。凄かったです。

↓以下、ネタバレ含む。








三組の話はそれぞれ世間から理解されないという点で共通していると言えます。東京、優馬と直人のゲイカップルは、他者に説明しても理解されない、と言うような関係性。「別にバレても気にしない」という優馬も、母親の葬儀には直人を呼ぶことを躊躇してしまう。それでも直人は「ありがとう、信じてくれて」と感謝を示し、同じ墓に入ってもいいとさえ言います。いやちょっとほんとに綾野剛が可愛くてですね、何かに目覚めそうになるんですけど……それは置いといて、見知らぬ女と一緒にいたのをきっかけに優馬は直人への信頼が揺らいでしまい、そんなときテレビで見た殺人犯の顔に直人を重ねてしまいます。妻夫木聡は母親の原日出子との会話シーンもいいし、ラストの抑えきれないという泣き方も良かった。

千葉、風俗で働いていた娘の愛子を連れ戻した洋平は、裏で自分たちがどう言われているかを知りながら必死でそれに耐えています。世界のケン・ワタナベがしっかり漁村の親父に見えるのはさすが。愛子は愛情豊かな女性ということなのでしょうが、事実の結果だけが流布して周囲には理解されません。洋平が愛子と親しくなる田代をどこか受け入れがたく思う理由は、池脇千鶴の演じる姪の明日香の言葉「愛子が幸せになれないと思ってないか」に凝縮されています。諦めてしまっているんですね。だから愛子と一緒に住むと言う田代もまともな人間のはずはないと心のどこかで思ってしまう。そこにテレビで見た殺人犯と田代を結びつけてしまい、結果愛子の心までぐらつかせてしまいます。宮崎あおいの天真爛漫な危うさと、松ケンの過去からくる落ち着かなさが良い感じです。

沖縄、泉は好奇心から無人島に居着いた田中と親しくなります。佐久本宝の演じる辰哉の恋心は軽くスルーで、「映画観に行こうと思う」に「一人で?」と返す広瀬すずには一人で観に来ていた僕も「うっ」と思いましたが……まあそれはいいとして、泉が遭遇する最悪の悲劇には歯を食いしばるしかありません。泉が無防備すぎたというのはあったにしろ彼女が悪いわけではなく、沖縄の米兵問題に暗い気持ちになります。「いくら叫んでも訴えても誰も聞いてくれない」というぶつけようのない怒り。世間に理解してもらおうにも自分が傷付くだけの救いのなさ。それは現場にいながら何もできなかった辰哉も同様で、田中に救いを求めてしまった辰哉は自分を、それ以上に泉を裏切っていた田中を知ってしまいます。胡散臭さと頼れそうな感じが同居する森山未來、泣き顔が痛々しい広瀬すずも良いですが、意外にも佐久本宝の良さが最も光るパートでした。

ミステリーであることにそこまでこだわってないと言うか、終盤に第三者によって犯人の話が語られるというのもちょっと肩透かしではあるし、そもそも二者についてはミスリードであって結局八王子殺人とは関係ありません。三者が交わることもなく、それでいて犯人の写真は三人のいずれにも見える。この三人が同一人物だったらスゴいな、とも思いましたが、それも覆えされる。いつの間にか事件は事件それ自体の意味をなくし、三者に関わる者たちへ信じることの試練として立ち上がってくるんですね。しかし理不尽に周囲を憎む利己的な怒りと他者を思うゆえの怒りは同質ではなく、前者の怒りは終わりのない地獄を呼び、後者は言い様のない悲しみを呼びます。三者の疎結合が巧みな構成の元になされているため、観る者もまた傷付き、怒り、悲しみに満たされる。だから過剰になりがちな慟哭や絶叫も、本作ではもうそうするしかないと納得してしまいます。

理解されない者たちのドラマは互いに直接の関係はないものの、曖昧になった境界に溶け合っていきます。ある者は悔恨の涙と共にさ迷い、ある者は失いかけた関係をギリギリで取り戻し、ある者は怒りにまかせた破壊衝動とドス黒い本性を見せた末に自らが呼んだ怒りに殺される。そしてある者は怒りの連鎖がもたらした結末を、消された壁の落書きと共に見つめ、叫ぶ。その声は怒りなのか、悲しみなのか。収束しない物語は重い余韻を残し、観る者を揺さぶったまま幕を閉じる。見事です。

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