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2016
09.29

声を聞いて、光を求めて。『映画 聲の形』感想。

koe_no_katachi
2016年 日本 / 監督:山田尚子

あらすじ
これは何でしょう?(ヒント:飴じゃない)



やんちゃな小学生の石田将也と、耳の聞こえない転校生の西宮硝子。好奇心から心ない行動を硝子に続けた将也だったが、やがて周囲から孤立することに。それから5年、心を閉ざして生きる将也は硝子の元を訪れるが……。大今良時の原作コミックを『けいおん!』『たまこラブストーリー』の京都アニメーションと山田尚子監督により映画化。脚本は『ガールズ&パンツァー 劇場版』の吉田玲子。

始まりこそ障害やいじめという重さを伴う話ですが、根底にあるのは他人と理解しあうということ。端的に言えば人と人との関わり、つまりコミュニケーションの物語です。しかし単純なイイ話ではなく、むしろ理解しあえない痛みや苦しさ、孤独といったものが描かれます。だからツラい。僕は先に原作を読んでいたのでそれで耐えられたというのはあるかもしれません、それくらい突きつけ方が容赦ない。いじめをしていた因果応報とばかりに孤立した将也が、時を経てある計画を実行するにあたり、かつていじめていた硝子に会いに行きます。それが罪悪感からくる自己満足だと言われればそうかもしれない、じゃあ過去の後悔はどうすればいいのか。罪は罰として受け入れて一生を過ごすしかないのか。そんな問題を真っ向から描いています。

観た者に何かしら刺さるのは、登場人物の誰かに自分を見てしまうのがキツいからでしょう。拒絶する、逃げる、本音をぶつける。植野のように不器用なのもいれば川井のように器用なのもいる。歩み寄っても理解しあえないことだってある。それでも受け入れようとすることで見えてくる顔もあるし、楽しいという思いさえ生まれる。人とのコミュニケーションによる様々な形が盛り込まれているんですね。優しさと冷静な視点が共存し、ときに鋭く、ときに包み込むような繊細な演出が素晴らしいです。

ユーモアも交えつつ(主にビッグフレンド)、きれいごとで終わらない。それでも人は人と関わりながら生きていくのだということを伝えてきます。原作からの取捨選択も非常に上手い。すんごい良かったです。あと声優さんの演技が皆素晴らしかったんですが、子供時代の将也の声が『ちはやふる 下の句』の松岡茉優だったのは衝撃。もう何なのあのコ凄いな。好きだ!

↓以下、ネタバレ含む。








■ age of primary school

オープニングは陽気なんですよね(曲はザ・フーの「My Generation」)。ジャンプする三人と共にタイトルが出るのは『スタンド・バイ・ミー』のような青春物語さえ予感させます。実際は三人が仲が良いのはこの時期だけなのを思うと、この切り取り方はスゴい。このオープニング中には将也母の店に髪を切りに来ている硝子も一瞬映りますね。しかしそんな陽気さから始まるのは、将也が死を選ぼうとするきっかけとなる小学生時代です。

最初に将也は硝子の耳が聞こえないことを知って奇声を上げます。硝子は今まで自分の周りにはなかった得体の知れない存在であり、将也の好奇心を満たすゲームのラスボスだったわけです。そして合唱コンへの諦め、ノートを取れなかったという植野のぼやきといった周囲の反応を伺い、棒読みを叱られる植野を見て、硝子の読み方を真似てみる。これがウケたことで「いじっていいんだ」という免罪符を得たと思ってしまうんですね。理解できない者はからかいの対象とする、あるいは排除しようとする子供の残酷さ、それは硝子の周りでどんどんエスカレートしていきます。

それでも補聴器が大変高価だと聞き、働く母親の姿が浮かんだ将也は自ら手を上げようとするのです。これが担任・竹内の黒板バーン!で全てが変わってしまう。この先生は硝子の自己紹介時にいかにも忘れてたという体で肩を叩き、石田のいじりを注意はしても下を向いて深くは叱らず、手話を習おうという話に植野が反発したときも女性教師の戸惑いの視線に答えもしません。硝子が転校したことも「転校しました、はい」で終わってしまう。面倒は避ける丸投げ野郎で作中最も腹立たしい人物ですが(原作ではもっといやらしいです)、自分を教師というより一公務員だと考える大人としてはありそうで怖いです。

この時の言動が元で今度は将也がいじめにあうようになるわけですが、あれだけ仲の良かった島田がその首謀格になるのも将也としてはワケが分からない。島田は一緒にいて面白い間は友達、という子供時代にありがちな感覚が強いのでしょう。よく旗(横断歩道の旗かな?)を振っていますが、冷静に回りを見て動く影の旗振り役ということなんでしょうね。島田と将也は高校時代に再会しますが、島田にとっては将也は既に過去の存在であり、完全に途絶えた関係は復活することなく終わります。それもまた人の関係性の一面であるとは言えるでしょう。転落した将也を救ったのが島田だというのが唯一の慰めです。ちなみに将也は常にTシャツのタグやシャツの裾がはみ出していますが、最初はそれがガサツなやんちゃ者くらいのイメージだったのが、いじめ以降は世界から孤立したはみ出し者を象徴しているように感じます。

硝子は筆談ノートで何とかコミュニケーションを取ろうとするも、子供たちにはその苦しさがなかなか理解できません。校庭で談笑するクラスメイトたちと硝子を仕切る遊具の柱や、ジャングルジムに囚われた硝子とその外にいる植野といったショットにもそれは表れます。植野も最初は面倒をみてますが、徐々に煩わしくなってしまう。それがわかっているから、硝子は自分が悪いのだとすぐに謝ってしまい、それがまた周囲の苛立ちを募らせる。花の世話をしたりの努力も空しく、手話を覚えようとした佐原も学校に来なくなってしまう。そんな悪循環へのどうしようもなさから子供時代の硝子が唯一感情を露にする描写が将也との取っ組み合いです。互いに他者との関係を築けず孤立した者同士は、くっつくのではなく同族嫌悪に傾く。硝子と将也は対になる描写も多く(いじめを受ける姿など)二人は鏡合わせの関係であると言えます。「硝子」が「ガラス」と読めるのもちょっと鏡っぽいですが、あるいは硝子を通して透けて見える自身の姿に将也は苛立ってしまうのかもしれません。


■ age of high school

高校生になって将也と再会したときの硝子の、笑えばいいのか怒ればいいのかという表情に戸惑いが見られますが、ここで将也が手話を覚えているということに硝子は驚きます。歩み寄りを見せた将也に対し、もう一度理解しあえる可能性を感じたかもしれません。将也としては死ぬ前に謝りたいという理由で会いに来たわけですが、いいのかなと思いつつ次の火曜日を考えてるうちに死から遠ざかります。微かな繋がりですが、そこには無意識の希望とも言うべきものが感じられます。友達の定義を考えるのもこの繋がりが影響しているのでしょう。そして最初こそ贖罪のつもりだったであろう将也が、硝子に関わるのが「自分のためでもある」と結弦に認めたとき、一方的ではない相互の理解を求めていたのだと知ることができます。傘で結弦の顔を見ないようにしながら話す将也目線のシーンには彼の後ろめたさが感じられますが、「自分を満足させるためか」とまで言った結弦が、その言葉を咎めないのが救いです。

もちろん将也が死を思い止まるのは、170万が灰となる経緯と「でも死ぬために貯めたお金なんて使いたくないよ」と言う母の言葉も大きい。そしてビッグフレンド永束の存在も。いやもう永束君には実に笑わされ泣かされました。あんなビッグフレンドがほしい。最初ちょっとウザいと思ってゴメン。そんな永束を始めとした皆で遊園地に行き「楽しい」「友達っぽい」と思えるようにさえなった将也が、皆と築きかけてきた関係を自ら叩き壊してしまう橋上のシーンはやるせません。何となく友達っぽい、としてしまうことが許されないんですね。自分が悪い、生きてる価値などないと思い、人の顔を見ることも声を聞くこともできない、チャリをパクられるのも飛び込み写真で停学を食らうのも自分への罰だと思う将也には、一度本心をぶつけ合うことが必要とされるのです。

自分が悪い、生きてる価値などないと思うのは硝子のほうも同様で、彼女に至っては思い止まった将也とは逆に死を選ぼうとします。病院で良くないことを告げられたのもあったでしょう。優しかった祖母の死も影響してるかもしれません。しかし何より「自分といると不幸になる」と思ってしまったこと。耳が聞こえないことが周りに迷惑をかけていると思い、自身もそのことで傷付いてきた硝子は、一瞬映る「死にたい」と言った小学生時代の(台詞はないものの結弦が回想する理由からわかります)あの頃の自分に戻ってしまいます。自分から告白までした将也が築き上げてきたものが橋の上で崩れ去ったとき、彼女もまた心の防波堤が崩れてしまうんですね。将也を始め佐原や植野、川井らと再会したことが結果的に不幸を招いたと思った硝子は、しかし本心をぶつけることもできず命を絶とうとします。花火会場で「またね」と言う将也に対し「ありがとう」と返す硝子に不穏さを感じ、将也がマンションに来たときに流れる和やかな劇伴が突如低音混じりにテンポアップするに至り、焦燥感はピークに達します。

しかし硝子の諦念は自身の死よりもツラい結果を招きます。植野に責められるまでもなく、硝子自身が己の罪と罰を認識していたことは、将也の母の足元で号泣する姿からも伺えます。死骸の写真を貼っておくことで硝子に死を思い止まらせようとした結弦が「どうすればよかったんだ」と母と一緒に泣く姿を呆然と眺め、目覚めない将也を思って慟哭する。周囲の不幸を終わらせるつもりの行動がさらなる不幸を招いただけだったと知った硝子は、ここに至り自分の招いた不幸を覆すことを決意します。将也の築き上げてきたものを壊してしまった、それを取り戻したい。それは贖罪の思いからきたのでしょうが、これを成すには結果的に自分が皆と理解しあう必要があるのです。硝子もまた、将也と同じような試練に立ち向かうことになります。


■ the shape of voice

人と理解しあうこと、そのために上げる声には様々な形があることも描かれます。植野は近付かないでほしいという思いを無視や攻撃という形で示したり、自分の思いをストレートにぶつけたり、やり方は誉められたものではないですが実は一番正直ではあるんですね。将也への恋心を押し隠し、過去を謝ろうとするも自転車の背中に拒絶され、それがさらに硝子への苛立ちとなってぶつかる姿には哀れさもあります。将也に「あたしたち、似てるよね」と言うのは、本当に言いたいことを言えない不器用さにあるのでしょう。最終的には受け入れはしなくとも理解は示し、今までとは違う接し方を学ぶことになります。一方で優等生の川井は実は一番厄介。周りと同調し、一応諌めたり同情は示すというエクスキューズは取っておき、自分が悪いと言われれば周りを巻き込んででも正当性を主張する。要するに偽善者なんですが、生きていた硝子に「皆ツラくても頑張ってる」と泣く姿や、将也のために募って作った千羽鶴などには、立ち回りの上手さとはちょっと異なる本心が多少は見えると言えるでしょう。

佐原は逃げ出した過去を払拭するため「まずは乗ってみる」という考え方に辿り着くものの、橋でのいざこざの件でまたも逃げる結果となってしまいます。しかし彼女が上げられなかった声は、家を訪ねてきた硝子によって拾われることで、将也にも届くことになります。真柴はいじめを許せないと言う第三者の立ち位置にとどまりますが、下を向いてばかりの将也と友達になりたいという声で新たな関係の可能性を示唆します。過去に囚われず理解を示す者もいるということですね。そしてビッグフレンド永束!彼は最初からお仕着せがましいほど声を上げっぱなしで、それが最後まで揺るがない。友達の定義を偉そうに語りながらも、自分を受け入れてくれたやーしょーに心から感謝している。変な頭も似合わないヒゲも関係ない、永束君こそ名実共にビッグフレンドだよ!文化祭でやーしょーに抱きついて泣き叫ぶ姿には泣けます。

一人一人のエピソードがある原作に比べると佐原や川井、真柴辺りは少し描写が少なめ、西宮母の辛い話や映画作りの話もカットされ(永束のTシャツにHollywoodとあるのが名残ですね)終わり方も異なりますが、それらの改変が要点を押さえて実に理知的なうえに感情を揺さぶり、かつ映像的な良さに満ちているのが素晴らしいです。硝子が将也と再会したときに手すりに触った振動で将也に気付く、これが目覚めた将也と橋の上で再開するときに繰り返される。将也が硝子につけたのと同じような耳の傷を石田母につける西宮母、そんな母親同士の和解を髪を切ることで示す。葬儀で旅立つ祖母を煙ではなく蝶で表現し、西宮姉妹を心配するように触れながら蝶は去っていく……などなど挙げるときりがないほど。ちょっと違う視点で言えば、将也がどうやって硝子の代わりに落ちたかが凄く納得のいく動きで表現されていたのも良かったです。

あと結弦のシーンはどれもが好きです。硝子が将也と話すのを望遠レンズ越しに見て何を思っていたのか、道端のカエルの死骸をどういう思いで見つめていたのか、ずっと姉のことを思って生きてきた結弦が本当に愛しい。将也をあれだけ嫌ってたのに仲良くなったらしょっちゅう家に遊びにくるし、「旦那後生だ勉強教えておくれよー」もカワイイ。姉のためにずっと声にならない聲を上げ続けていた結弦の優しさに泣けます。あとカワイイと言えばマリアですよ。お好み焼きを結弦に食べさせるとことかキュートすぎるし(しかもどんどん食わせてくる)、「しぬー?しぬー?」とか泣き笑いです。

ちょっと気になったのは、葬式のときの音楽がノイジーすぎて何か上映トラブルかと思わせるところですかね。あと高級なパンは鯉には勿体ないなあとか(結構自分らで食べてるけど)。でもそのくらいしか思い付かないので、これはツラいのも含めてほぼ全編好きってことですね。あ、硝子の謎のプレゼントの使い道がわかったのは良かったです。


■ a point of light

終わりそうな火曜日に消えていく将也を夢に見て目覚める硝子。硝子や皆と仲良く過ごす小学校時代を夢に見て覚醒する将也。そんな夢を経て橋の上で硝子と再びの再会を果たす将也の口から出るのは「生きることを手伝ってほしい」という言葉です。プロポーズか!となりそうなところですが、でも将也がハッキリと他者に頼ろうとするのはこれが初めてです。それは一人で生きなくてもいいんだ、という自然と沸き上がった感情であり、また他者を受け入れることができたということでもあるでしょう。ラストで塞いでいた耳と閉じていた目を開いた将也は、自分を囲む多くの人の存在を認識することで全ての顔の「×」が剥がれ落ちます。その広い世界は優しいだけではない、聞こえる言葉には冷たいものだってある、それでも自ら世界を受け入れ戻ってこれたことが将也に止めどない涙を流させます。

ここにおいて、物語の主軸が涙する将也であることが明確になります。人を理解できず孤立し、硝子を通して生きる気力を取り戻し、硝子には命を与え、相互の理解の大切さを知る。いつか硝子の「月」が「好き」として伝わるときもくることでしょう。冒頭に映る、闇のなかに僅かに見える光点の向こう。そのぼやけた景色はラストに少しだけ明確に、そして大きくなります。将也が求めていたのはその暖かな「a point of light」であり、そのために必要だったのが様々な「the shape of voice」を知ることだったのだと思うのです。

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