2016
09.23

掴み取れハート!燃え尽きるまでヒート!『スーサイド・スクワッド』感想。

Suicide_Squad
Suicide Squad / 2016年 アメリカ / 監督:デヴィッド・エアー

あらすじ
プリンちゃんと呼ばれたい。



類いまれな能力やスキルを持つ凶悪犯たちが集められ、減刑などの条件と引き換えに世界の脅威と戦うチームを結成。「タスク・フォースX」と名付けられたチームは、しかしその任務内容の危険さから「スーサイド・スクワッド(自殺部隊)」と呼ばれる……。バットマンやスーパーマンなどのDCコミックスに登場する悪役たちが悪と戦う、という異色のヒーロー・アクション。監督は『フューリー』のデヴィッド・エアー。

DCコミックスのヴィランたちがチームとなって悪に立ち向かうお話。世界観は『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』と共有、つまりDCEU(DCコミックス・エクステンデッド・ユニバース)であり、時系列もその後の話ということになります。政府高官アマンダ・ウォーラーにより集められたメンバーは、射撃の天才デッドショット、サディスティックでキュートな小悪魔ハーレイ・クイン、軍人でありチームリーダーのフラッグ、その名の通りブーメランが武器のキャプテン・ブーメラン、手から炎を出すエル・ディアブロ、ワニのような体と怪力を持つキラー・クロック、強力な魔力を持つ古代の魔女エンチャントレス、日本刀を振るう仮面の女性カタナなど多種多様。さらにはバットマン最大の宿敵でもあるジョーカーまで登場します。

演じる面子も豪華。『ハンコック』では嫌われ者のヒーローを演じたウィル・スミス、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』より断然弾けたマーゴット・ロビー、『ロボコップ(2014)』の警官から軍人にジョブチェンジのジョエル・キナマン、『ターミネーター:新起動』始め大作出ずっぱりのジェイ・コートニー、『ダラス・バイヤーズクラブ』でアカデミー賞俳優となったジャレッド・レトなどなど。特にマーゴット・ロビー、ハーレイ・クインのエロかわいさには誰もがノックアウトじゃないでしょうか。『ターザン:REBORN』のときとはかなり異なる魅力に視線釘付けですよ。あとカタナ役の福原かれんがやたら日本語連発するのがちょっと笑えます。

さて、ここまでほぼキャラやキャストの羅列しかしてないんですが、それは鑑賞直後の感想が「うん、観た。観たよ……」と口ごもっちゃうものだったからです。最高だった予告編のノリみたいなものが全く感じられず、いや別に思ってたのと違ってもいいんですが、正直そのモヤモヤを覆すまでに至ってないんですよ。良かったところもね、ありますよ?うん、ある。でも不満点がその百倍くらいあるのも否定できないです。観てる間「アレ?ちょっと?アレ?」が止まらない。なぜこうなったんだ……

まあ否定しまくるのは簡単なんですが、デヴィッド・エアーが一体何を描こうとしていたのか、読み解くくらいはしておきたいなと。何となくですが、もう一回観たら楽しめそうな気もするんですよ。そう思える要素が裏に何かあるのではないか、という仮説のもと、以下に続きます。

↓以下、ネタバレ含む。








■果たしてチームとは何か

悪党のチームですよと謳いながら、メンバーそれぞれに納得できるだけの見せ場がない、というのが最大の不満。デッドショットとハーレイ・クインだけが別格で扱われ、他の面子はウォーラーの説明の合間に紹介されていくという、序盤から既にバランスが悪い。そもそもタイトルの出るタイミングがウォーラーの登場するシーンに被せてなんですよ。彼女が重要人物なのは分かりますが、正直「この偉そうなおばさん誰?」とあっけに取られながら始まるわけです。最初のゾンビ的なやつとのバトルもスクワッド以外の軍人部隊が戦いのメインだし。爆弾で脅されて渋々従う、というのはいいとして、首の爆弾が本物だと分からせるためだけに登場したスリップノットさんも不憫すぎます。そそのかしたキャプテン・ブーメランはしれっとしてるし、つーかこいつはいつ役に立つのかと思ったら終盤カメラ付きブーメランを投げたくらい?ブーメランは投げたら戻ってくるべきだと思うんですよ、いやその前にまず投げろよ。バー・ハーレイに集まって飲んでるシーンも間が悪く、いきなりエル・ディアブロが過去語りを始めたり、突然フラッグが彼女を助けたいと言い出したり。で実際それに応えるのはデッドショットとハーレイくらいで、他は何となくフラッグに付いてきてるように見えちゃうんですよ。ブーメランなんて一度いなくなるのになぜか戻ってくる理由が不明。寂しかったんでしょうか。

このバーで急に芽生える仲間意識に過程も理屈もないため、どこまで行っても不可解さが拭えません。カタナは登場も唐突ですが、フラッグの用心棒とか言ってたのにあっけなく見捨てて飲みに来てるのはなぜ?雇ったのはあくまでウォーラーだから?そのフラッグは某ヒゲ配管工のところのお姫様のようにやたらと攫われそうになるし、エンチャントレスの弱点だから狙われたという理由もどうなんだ。そもそも一人異質なエンチャントレスがチーム内でどう活躍するのかを期待してたら、彼女がまさかのラスボスだというのがガッカリ。逃げられた理屈もいまいち納得いかないし、チームを作るために召集されたのに合流する前にあっけなく離脱、突然弟が出てきて中ボスに納まるという中途半端さ。エル・ディアブロなんて急に「仲間を失わせない」とか言い出して炎人間となって爆死とかマジかって感じだし、キラー・クロックは、んーよくわかんないですがウォーラーが好みらしいです。そのウォーラーが一番の問題で、作った部隊の一人が暴走、それを止めるために部隊を使い、自分は囚われて機密軍事施設を次々破壊されるという大失態。逃げるときは一緒に働いていた仲間を口封じのため撃ち殺すというあり得ない酷さ。エンチャントレスもね、そりゃあんだけ心臓ガンガンブッ叩かれりゃ怒りますよ。


■一体何と戦っているのか

ラストこそ協力プレイも見られますが、そこに至るまでのチームものとしてのカタルシスが圧倒的に不足してるんですよ。それに加え「一体なぜ、何と戦ってるんだ?」という違和感。見たかったものをことごとく見せてくれない煮え切らなさ。繋がりの破綻した物語への苛立ち。まとまりのない脚本とテンポを殺しまくった編集に、これだけの要素があってそれ?と思わざるを得ません。ついでに言えば、多くの楽曲を使ってたわりに選曲に唸るということがない。予告であれだけアガった「ボヘミアン・ラプソディ」があんな尻切れで終わるし、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』と被る曲はあるし、いまいちシーンに曲が合ってない居心地の悪さも。

監督いわく「ワル(bad)が邪悪(evel)と戦う話」ということなんですが、負け犬たちが再起を賭けるというわけでもなく、悪党どもが気に入らない大悪党に挑むというわけでもないため、どうも乗り切れない。ダチの女を助けに行くぜ、でかろうじてまとまったように見えますが、そもそもフラッグをダチと認識する描写がないため、命懸けで戦う原動力が伝わってこないのです。第一フラッグやカタナやエル・ディアブロは別にワルじゃないし、それに一番のワルは明らかにウォーラーですが彼女への戒めは何もなく終わってしまいます。うーん、どうしたものか。


■ジョーカーとスーサイド・スクワッド

ここで注目すべきはジョーカーなんでしょうね。ジャレッド・レトのジョーカーはジャック・ニコルソンともヒース・レジャーとも異なり、今までで一番バイオレントな雰囲気。ジョーカーこそが作中で最も純粋に「ワル」であり、手にある口のタトゥーを顔に付けての笑い顔から、その本心さえも容易に見せないことが伺えます。そんなジョーカーが(バットマンを別にすれば)ハーレイだけには固執する。彼女を迎えにいくヤンキー彼氏よろしく何度もハーレイの元に赴くし、心惹かれたハーレイを断ち切るためか一度は彼女を促して廃液タンクに落としながらも、これを救いに行ってしまう。このシーンの色彩が混ざり合う美しさはジョーカーの複雑な情愛の表れでもあるでしょう。ジョーカーはハーレイに縛られているとも言えます。

一方で、ハーレイはジョーカーの乗ったヘリが撃墜された際、プリンちゃんと書いたアクセを投げ捨てその死を受け入れ、そこからは自らの意思で戦いに赴きます。自覚はないにしろ恋に苦しんでいたハーレイは、ここで「ジョーカーの彼女」から「ハーレイ・クイン」という一人の人物となるんですね。他のスクワッドのメンバーも、エル・ディアブロは家族を死なせた過去を償うため、カタナは亡き夫への涙を振り切るため、デッドショットは己の過去から娘を切り離すため、フラッグは彼女を解放するため、キラー・クロックは持ち得なかった居場所を得るため、最後の戦いに赴きます。キャプテン・ブーメランでさえさっさと逃げようと思えばできたのに留まります。エンチャントレスが彼らに見せる幻は乗り越えるべき過去や叶わぬ夢想であり、そこから抜け出して前へ進むこと、何かしらの精神的変化を求めることがジョーカーとは異なるわけです。デッドショットとハーレイ・クインがクローズアップされるのは、断ち切り難い親子愛や恋人に依存する姿というのがわかりやすいからでしょう。


■ワルがチームとなるとき

印象的なシーンも結構あるんですよ。エンチャントレスが最初に登場するときの手を重ねての変身などはゾクゾクするし、魔女弟にやられた人の死体が柱にくっついてるのは同監督の『サボタージュ』のようなゴアさが良い感じ。ハーレイ・クインは個人的には想像の範囲内でしたがそれでも魅力的だし、ハーレイ化する前のハーリーン・クインゼル博士とのギャップも印象的。ジョーカーはまだ大成前という粗削りさが今後を期待させるので、最後にハーレイを救いに来たとき顔出しする前にアーマーの胸に「JOKER」って書いちゃっててバレバレなのもまあご愛嬌ってことで。デッドショットというかウィル・スミスがやはり最後には持ってくなあとは思いましたが、それで上手く収まってる感はあるんですよね。途中でちょっとだけマスク被る理由がよくわかりませんが、原作ファンへのサービスだと思うことにしましょう。そのデッドショットやハーレイを捕まえたのがバットマンだったり(ちゃんとベン・アフレック!)、キャプテン・ブーメランを捕まえたのがフラッシュだったりと、ヒーローちょい見せの出し惜しみ感も嫌いじゃないです。

こうして振り返ると、作品の完成度はやはりホメられたものではないとは思いますが、デヴィッド・エアーが描こうとしていたことは見えてくる気がします。刑務所でクズとして生きている者たちが単なるクズとは限らないこと、一人では敵わなくても力を合わせて立ち向かえると知ること、善悪の定義も見る側面によっては揺らぐのだということ、そして何より「人は変われる」ということ。自分たちをスーサイド・スクワッドと自虐的に呼びながらも、「袖振り合うも多生の縁」を実現させ、そして最後は仲間を思うハートを手にする(文字通り掴み取る)。ああ、それが言いたかったのか、という思いでもう一度観れば、また印象も変わってきそうな気がします。

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