2016
08.03

虚構の力と現実への福音。『シン・ゴジラ』感想。

sin_godzilla
2016年 日本 / 監督:庵野秀明

あらすじ
ご決断を!



東京湾アクアトンネルで突如起こった崩落事故。首相官邸で開かれた緊急会議で内閣官房副長官・矢口は巨大生物の可能性を示唆する。鼻で笑われる矢口の意見だが、直後に謎の巨大生物が海上に出現、遂には日本に上陸するに至り、政府は緊急対策本部を設置し事態に当たるが……。『ゴジラ FINAL WARS』以来、実に12年ぶりに日本で製作されたゴジラ映画。総監督・脚本・編集に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の庵野秀明、監督に『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』の樋口真嗣。

2014年のギャレス・エドワーズ監督『GODZILLA ゴジラ』で、ハリウッドに「ゴジラの復活」をやられてしまった東宝が、ついに乗り出した"日本の"ゴジラの復活。事前の情報では、総監督・脚本に庵野秀明、監督・特技監督に樋口真嗣、准監督に『のぼうの城』などで特撮監督を務めた尾上克郎という日本を代表する特撮畑の人々が集められ、着ぐるみではなくフルCGを駆使したゴジラは体長118.5メートルという史上最大の大きさ、キャストには総勢328人が参加、とスケールの大きさと言うか気合いだけは伝わってきてましたが、果たしてこれがどうなるのかは誰にも予想が出来なかったと言っていいでしょう。

そんな新しいゴジラがどうだったのかと言えば……スゴい!面白い!「怪獣(と言うか謎の巨大生物)が現れたとき、日本はどうするのか」という、それこそ1954年の初代『ゴジラ』に通じる日本の怪獣映画の本質がここにある、と言ってよいでしょう。政府を中心とした対策の現実を見据えたシミュレーションとさえ取れる展開、それ故の緊迫感が途切れることなく続き、虚構のなかにひたすら貫かれるリアリティにシビれまくりです。そして今までを引き継ぎつつ、今までにないゴジラの造形、これもまた素晴らしい。やられたよ。やってくれたよ。

メインキャストは内閣官房副長官・矢口蘭堂役に長谷川博己、内閣総理大臣補佐官・赤坂秀樹役に竹野内豊、米国大統領特使カヨコ・アン・パタースン役に石原さとみ。と、ここまででも読み飛ばしそうな役職や肩書きが大量に表示され、実に多くの俳優が次々と出てきます。これが本作の一つの特徴でもあるのですが、そんな多くの人々が繰り広げる早口な会議の畳み掛けが実に面白い。今までのゴジラシリーズにも会議の場面はもちろんあったわけですが、そんな冗長になりがちなシーンが面白いというのは珍しい。特に塚本晋也と市川実日子が良かったです。前田敦子まで出てるし(後から言われて声で気付きました)他にも「あっ、この人は」みたいな役者が色々出てくるので楽しいです。

正直、映画としては少々歪な形であることは否めません。そのための欠点もあります。しかし、それでも観ているあいだ興奮と戦慄と感動で終始面白いんですよ。これは何も知らずに観た方が面白いと思います。予告をあの程度で抑えててくれて本当によかった。インパクトあるシーンはまだ全然ありますからね。観た後は主要メンバーたちと共に戦った後のような心地よい疲労感に包まれます。

↓以下、ネタバレ含む。








◼怒涛の俳優陣

長谷川博己のそうそうたる面子を相手にしての堂々たる演技は、作中の矢口の立ち位置とも重なります。演説シーンまでやってくれて言うことなし。二世議員として親の威光をも利用する野心家ながら理想を追い求めてしまうところが政治家としてはまだ未成熟なんでしょうが、そこが観る者には感情移入しやすいところ。竹野内豊の赤坂の方が現実的で抜け目無いですが、そのぶん大勢を無視出来ない感じですね。石原さとみは確かに『エヴァ』のミサトさんやアスカに重なってて、浮いてると言えばそうなんですが、一人だけ日本政府の体質とは異なるアメリカさんだからしょうがないんですよ。「ガッズィーラ」の発音も向こうの人なのだからその方が自然。でも矢口に「言いにくいからゴジラでいこう」ってあっさり覆されるのが愉快です。あと「イエス!」でグッと握る拳のアップが面白いです。

皆が一つの目標に向かってそれぞれの役割に全力で当たる姿は「プロジェクトX」を例に出すまでもなくやはり熱くなります。特に巨災対チーム、『野火』の塚本晋也監督は風貌も喋り方も完璧だった。ひたすら紙に書くタイプですね。能面張り付けたような無表情の市川実日子が最後に「よかった」と初めて笑顔を見せるところではちょっと泣きそうになります。津田完治が家族へのメール(着信確認?)するのが一瞬だけ映るのとかもね、ウルッときますね。役者陣は映るのが数秒という人もざらですが、それでも意外と印象に残るのが上手い。早すぎて気付けなかった人もいたかもしれないけど……でも戦車乗りの斎藤工はわかったぞ。手塚とおるは『ガメラ3』にも出てたぞ。そして「国民を守ることが任務だ」と言い放つピエール瀧のカッコよさと顔面力!徹夜明けのメンバーに優しさをもたらす片桐はいりの異世界感と顔面力(テロップがないのが残念)!余貴美子のテーブル叩きや嶋田久作の「酷すぎる!」も良いですねえ。

そんななか、エンドロールで目にした野村萬斎の名前にはキョトンとなりました。え、どこに出てた?しかも一人だけ別枠扱い?え、まさか……!と思ったら、ゴジラのモーションキャプチャー役だということが発表されましたね。かつて『陰陽師』で京の都を守った野村萬斎が、よもや首都を破壊する異形になるとは……。


◼会議と責任

日本の役所は多くの肩書きを持つ人と意思決定権の細分化というのがあるので、最初に会議で大勢が集まってああだこうだ議論するのが通例でしょう。多くの人員、会議、書類を通してようやく決められる。緊急対策会議を開くための会議、なんてものまで開かれる。だから超法規的措置に至るまで時間がかかる。その辺りの描き方がリアルでありながら、異常なテンポの良さ、異様な台詞の多さでスピード感を出し、会議シーン自体をエンターテインメントにするというアプローチには唸ります。次々とテロップ入りで登場する人たちで関わる人の多さを、アップで迫りくる顔面の数々でプレッシャーを表すんですね。

実際は会議シーンだけで成り立っているわけではなく、実にタイミングよく現場の映像と切り替わり、検討→対応→それを越える事態、というループが興味を持続させる原動力にもなっています。序盤などは巨大生物の可能性示唆→総理の「そんな生物がいるわけない」→尻尾出現、上陸の可能性示唆→「上陸する心配はありません」→「え、蒲田に?」と、半ばブラックコメディのような展開。どの部署がやるかで困惑する者、一方で高良健吾のように「こんなことしてる場合じゃない」と焦る者、「動くの?」ってそこからかい!とツッコみたい者、すぐに「これで大丈夫」と楽観視して矢口にたしなめられる上層部と、政府という総体で個人の顔が僅かに垣間見えるのも面白いです。

ただ事態がのっぴきならない状態に推移するにつれ、政府の対応も徐々に動き出します。その筆頭はもちろん矢口チームであり、はぐれ者たちが集められた対策チームの面々は個性的かつ優秀で観る者の期待がかかるわけですが、その前に自衛隊の活躍も忘れてはならないわけです。結果的に第3形態ゴジラには全く歯が立たないわけですが、それでも自衛隊が軽々しく映るわけではなく、きっちりした指揮系統と二重三重の対策案、現場のプロ意識などに、この国を守れる唯一の機関としての矜持が見られます。入隊したときから覚悟はできてるからと「選抜隊ではなくローテで行く」は熱い。

大杉漣の総理なんて最初は「どうなの」「わかった」ばかりで若干頼りなさげに見えますが、最終決定権を持つ総理大臣だからそうなるのかなと。で、幾多の顔面力で鬼詰めされるのが最も多いのも総理なんですね。それでも民間人がいるという報告で攻撃に待ったをかけるという面を見せるのが(保身でなければ)総理としての責任。その意味では國村隼の「礼はいりません、仕事ですから」も、平泉成のひたすら頭を下げ続ける姿も責任に依るもの。お偉いさんを役立たずで終わらせてないところは良いです。だから責任の無い市井の生物学者は役に立たないことを言うばかりで即退場。マスコミの若手が「国を守るのも大変ですね」と言うのも頷けます。


◼日本ならではの

謎の巨大怪獣出現に対処する人間と日本という国をここまで徹底して描くのは、初代『ゴジラ』以来と言っていいでしょう。国家、自衛隊、生物学、放射能、戦後日本とあらゆる点が初代に通じるし、冒頭で昔の東宝ロゴが出てタイトルドン!でバックに鳴き声というのも初代へのオマージュを感じます。庵野監督が初代で描かれた大いなる災厄VS日本を主軸の一つにしたのは明らかでしょう。しかしもちろん焼き直しなどではなく、今だからこその演出の数々が上手くハマっています。先の会議シーンもそうだし、ネットの動画やSNSによる情報の拡散、武力行使を決める際の条文、家電量販店での無数のテレビ映像(アニメ映像を流してるのはやはりテレ東か……?)などのインサートも現代的。ゴジラ目覚めまで15日、24時間の猶予稼ぎといったカウントダウン・サスペンスまで織り込みます。

その上で、アメリカ国籍の日系人であるカヨコに「核を祖母の国に三度も落とさせるわけにはいかない」と言わせ、原爆ドームなどの写真を二点映し出す。「ここがニューヨークでも同じ決断を下す」と言うアメリカと異なるのは、決して核は使わせまいとする姿勢です。竹野内豊の東京に熱核爆弾を落とす法案を作れと言われたときの表情も、高橋一生の「選択肢としてはありだが……選ぶなよ」も、日本が舞台だからこその描き方と言えるでしょう。平泉成の「避難はその人の生活を根こそぎ奪うことだ」という台詞には戦時の疎開や震災の避難を思わせます。また、「ゴジラ完全に沈黙」に対して、アメリカなら皆で「イエー!」となるところを、詰めていた息を吐く、というのも日本人的ですね。

日本を表す一端としては音楽の使い方も大きいです。伊福部昭の音楽の多用にはやり過ぎ感がなくもないですが、ここはこれでしょう!という感じで曲が流されると、初期のゴジラシリーズに一瞬で繋がってアガります。また矢口チームが動き出すたびに『エヴァンゲリオン』の使徒襲来の音楽が流れる(多分6回くらい)のはさらにやり過ぎ感が凄まじいですが、最初こそちょっと笑ったものの『エヴァ』を観ていた者としてはやはりあの曲はアガるんですよ。しかも流れるたびに音数が増えていくのが、「次こそは」みたいな感じで興奮を加速させていく。不満を持つ人も出そうですが、個人的には特撮とアニメの有名曲という日本のサブカルチャーにも通じる選曲には非常に乗せられました。


◼呉爾羅

そしてゴジラです。いやもう驚きの連続ですよ。海面から尻尾が出てくるところで「きたぞきたぞ!」ってなり(みんなよく尻尾だと分かったな。触手かと思いそうなもんですが)、背ビレを見せて川を逆流してくるところで「きたきた……(でも微かに違和感)」ってなり、遂に姿を現したところで「きたァァァァァァ誰!?」となります。最初は誰もが別怪獣かと思うであろう第2形態。大きな丸い目で血をドバドバ吹き出しながらウネウネと這いずり、瓦礫と共にボートを撥ね飛ばし紙屑のように車を弾き飛ばす。これには凄い衝撃を受けました。見たことのない化け物が街を破壊しながらこちらに向かって来るのだから。これにより、馴染みのゴジラの形態を予想していた観客は軒並み度肝を抜かれ、劇中の逃げ惑う人々と同じ心理、つまり未知の圧倒的脅威への恐慌状態に叩き落とされます。この劇中とのシンクロは、今までのシリーズでは初めてゴジラが世に姿を見せた初代『ゴジラ』でしか出来なかったこと。これがまず驚き。

しかも深海魚のラブカを元にしたという第2形態は、しばらく進むと第3形態、つまり立ち上がって二足歩行の形になります。矢口が「まるで進化だ」と言いますが、地を這う姿から立ち上がる姿への移行はまさに進化の過程そのもの。ゴジラはヒトの8倍のDNA量を持ち、核分裂を繰り返して自己進化を行う究極の生物であることが後に判明するわけですが、生物的な常識を述べながらそれを覆していくという手順を踏んでいるため、完全無欠な生物の頂点であるという事実をシワジワと刻み付けてきます。それでいて生物としての意思や思考のようなものは感じられず、微量の放射能をまき散らしながらただ進むだけ。これが怖い。しかしながら最初の自衛隊ヘリ攻撃のとき、攻撃してくるかどうかをじっと見定めているふしも見られ、まるきり得体が知れないんですね。

再上陸の第4形態にてようやく見慣れたゴジラの姿になりますが、ゴツゴツした体表に傷のような赤いスジ、どこを見てるか分からない目、五列も並んだ鋭い背ビレと、凶悪な様相は最高潮。自衛隊の攻撃は全く受け付けず、顎まで割りながら口からガスを吐き、次いで火炎を吐いて爆発させてからの、レーザーのような高圧の熱線、という神の雷のごとき破壊力には驚き。熱線を背中から放出したり、尻尾の先からも撃ち出したりするのにはさらに驚き。目をシャッターのようなもので覆うのも芸が細かいですね。「カッコいい」とか「待ってました」といった甘えを寄せ付けない、このゴジラは今までのシリーズ、ハリウッド産のものも含めて最も恐ろしい、より正確に言えば禍々しいゴジラ。いやあ、素晴らしい造形。少なくとも火器による攻撃では絶対勝てない感が凄いため、倒すのではなく沈静化させるというヤシオリ作戦の対応にはむしろ現実味を感じるほど。荒ぶる神を鎮める、という表現がピッタリきます。

とは言え、その巨大さや破壊力を物語る映像にはシビれますよ。歩行の振動で震える屋根瓦。幼体から立ち上がるときの爪先への力の入れ方。下から見上げながらの超近接ショット。橋の下を去る車輌の向こうに見えるゴジラ。ビル間の向こうにヘリ視点で見るゴジラ。東京中を火の海にし、その炎をバックに立つゴジラ。こういった怪獣映画ならではの醍醐味も手抜きなし、ってところがさすがです。ちなみに第1形態は背ビレしか映りませんがオタマジャクシのような形態だそうで、それも見てみたかったですね。


◼ヤシオリ作戦

ヤシオリと言えばヤマタノオロチを倒すために飲ませる八塩折之酒。文字通りゴジラに対し血液凝固剤を経口投与するという作戦ですね。もはや神話レベルの未曾有の事態ということでもあり、上手い命名です。個人的にも「名前は大事だよー(by平泉成)」と思っているので、ネーミングに意味があるのは嬉しい。ここで1984年の『ゴジラ』のように突然スーパーXみたいな空想科学に飛ばさず、対応はあくまで既存設備での創意工夫であり、見たことのない災厄に対して見慣れたものをフルに使う、というのが却って新鮮。

ギャレス・エドワーズ版『GODZILLA ゴジラ』でもビルに潰されるゴジラが描かれましたが、こっちは作戦として意図的にビルで押し潰して動きを止めるという大胆さ。そして電車や車といった「はたらくのりもの」の大活用というアイデア。新幹線爆弾での足止めや、ネーミングが最高すぎる無人在来線爆弾なんて「いつもお世話になってますJRゥゥゥ!」とその勇姿に泣きそうになりますよ。ちなみに中央線推しです(どうでもいい)。ホイールローダーやタンクローリーの凝固剤投与重機部隊が行進してくる画は戦車とは違ったカッコよさだし、コンクリートポンプ車のアームが多段階で伸びていく様、それが何台も同時に見られるのはメカ好きにはたまりません。経口投与のシーンは冷静に観れば歯医者で治療を受けてるように見えなくもないですが、現場の掛け声や手際、指揮所での進捗率などを細かいカット割りで入れ、音楽との相乗効果もあって地味さは感じないです。

使えるものは何でも使うという防衛都市的な作戦なわけですが、今までは破壊されるオブジェクトでしかなかった建築物や乗り物が、破壊者を倒すべき手段へと姿を変える、という存在の逆転が最高です。


◼「個」の力

先に述べたように映画としては少々歪なので、気になる点がないわけではありません。顔面アップも人によってはうんざりするだろうし、政府や自衛隊の上層部の出番が多いため、現場の人員の苦心はわりと少なめです。序盤こそ何か分からぬ突然の脅威に惑う人々が描かれてそれは良かったんですが、以降は一般市民のシーンは避難しちゃったからほとんどない。360万の東京都民はどうなったのか、疎開先が食料不足など台詞での説明はありますが実態としては描かれない。直接的な人死にの描写が皆無なので、どれだけ犠牲者が出たのか感覚的に分かりにくいというのもあるし、血液凝固剤が本当に効くのかを実証する映像がないので効果のほどが分からないというのもあります。しかしそれらの引っ掛かりもテンポの良さと画面への引き付け方でねじ伏せるので、さほど欠点という感じはしなかったです。というか、この激しい「現実と虚構のせめぎ合い」は、それこそ「映画」そのものではなかろうか、と手のひら返すようなことまで言いたくなってきます。

あとどうしても「国を守るため」「国家を存続させるため」という観点に陥りそうになりますが、実際には個々人がやるべきことをやるという至極真っ当なことを描いているわけで、その共通の目的は自分たちの家族や生活や大事な者を守るということです。対抗する手段を持たぬ人々は逃げるしかないけども、代わりに技術や知識といった手段を持つ者は役割を全うしようとする。そこがいい。政治家である矢口や赤坂が「国」を語るのは当たり前で、それを守るのが彼らのやるべきことであり、責任だからです。矢口がラストに「政治家の責任の取り方は自らの進退だ」と言及するのもそのため。「この国はまだまだやれる」は一人一人の意思の力に対する総評であり、まず国ありきではない、人が集まって国となるのだ、ということだと僕は受け止めました。

その意味では、単独で進化を遂げるゴジラもまた「個」の象徴です。ではゴジラの守ろうとしたもの、ゴジラの担う役割というのはあるのでしょうか。赤坂が「スクラップ&ビルドでこの国を作り変える」と言っていることから、再生のための破壊が(結果的に)ゴジラの役割だった、と見ることもできます。また、物語が牧元教授(写真は岡本喜八監督!)の失踪したプレジャーボートから始まり、折紙のヒント、揃えた靴、「呉璽羅」のメモ書き、海図に置かれたサングラス、そしてゴジラが登場するのがそのボートの直下であり、「私は好きにした、君らも好きにしろ」という言葉の謎など全てを引っくるめて考えれば、ゴジラ=牧である、という突拍子もない仮説が浮かんできます。それに沿えば、妻を守れなかった牧が姿を変え、日本の人々に役割を問うている、とも見れるでしょう。あるいは、ヤシオリの酒で酔ったヤマタノオロチはスサノオノミコトに倒され、その尾からは天叢雲剣(草薙剣)が出てきたという日本の神話に照らせば、ラストにゴジラの尻尾の先に見える人型の怪獣めいたモノは新たな火種、あるいは逆に、その暗黒的な見た目とは裏腹に何かしらの福音である、とさえ考えることができます。台詞でも「福音」って出てきたし。ちなみにキリスト教では「福音」は「Evangelion」と呼ばれるそうで……。

などという自由な解釈、深読み、こじつけさえも可能な仕上がりにもなっているあたり、庵野秀明の作家性が如何なく発揮されていると言えそうです。タイトルである『シン・ゴジラ』の「シン」も、「新」であり「真」であり「神」であるというように、いかようにも当て字をして解釈することが可能です。そこには観た人それぞれが心に描く「シン」があり、それこそが「個」の思いの表れでもあると思うのです。

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