2016
07.28

忘れた=振り向かない。『ファインディング・ドリー』感想。

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Finding Dory / 2016年 アメリカ / 監督:アンドリュー・スタントン

あらすじ
タコ最強説。



カクレクマノミのマーリンが息子のニモを探す旅で協力した、物忘れの激しいナンヨウハギのドリー。あの冒険から一年が過ぎたころ、ある日ドリーはふいに生き別れの両親のことを思い出す。ドリーは家族を探すため「カリフォルニア州モロ・ベイの宝石」という言葉だけを頼りに、マーリンとニモと共に広い海へと旅立つことになるが……。ピクサーのヒット作『ファインディング・ニモ』の続編。

両親を探すための旅に出るドリーと、それを放っておけないマーリンとニモの一行。しかしそもそも家や両親のことをドリーがほとんど覚えておらず、ドリーの断片的な記憶のみを頼りに出発するものの旅は思いがけないトラブルの連続。しかしやがてドリーの思いがけない過去が明らかになっていきます。少ない手がかりでの捜索の旅となると前作『ファインディング・ニモ』と被るし、前作はそれ自体キッチリ完結した物語であったため、正直観る前は前作の蛇足になるんじゃないかと危惧してたんですが、しかしこれが前作に劣らぬ面白さ。

とにかく脚本の練り込みが素晴らしく、バラエティに富む舞台やユニークな新キャラたちとも相まって、楽しいったらないです。加えて前作でも見られたハンディキャップというわりとデリケートな問題を真っ向から描いてるのに不快さはなく、ハンデを乗り越える話であると共にきっちり冒険物語にもなっているという好バランス。イヤもうね、出てくるのは魚とかタコとかなんですよ?なんであんなことできるんだスゲーな!でも多少の都合のよさはあるにしろ、そこに不自然さを感じさせないのが凄いですよ。何より、前作では若干ウザキャラ寄りだったドリーが、基本的には変わってないのに全く違って見えてくるドラマには泣きます。

今作はロードムービーというよりは脱出劇ですが、前作以上に諦めない家族の物語でもあります。逆境に負けそうなとき、ひとりぼっちのとき、そんな心が負けそうな場面でどうすればいいのか。自身のどうしようもない壁にぶつかったとき、何に依って進めばいいのか。そんヒントを見せてくれるんですね。あと、さかなクンが海洋生物監修として参加しているというのが何気にスゴい上に、有無を言わせぬ安心感。観たのは字幕版ですが、吹替版では声の担当もしてるそうです。

ちなにみに同映短編は、海辺に住むひな鳥が初めてのエサ取りに挑戦する『ひな鳥の冒険(Piper)』。実写レベルの映像も見事ですが、怖がっていた景色の中にある真実を知ることで一気に世界が開ける小鳥の成長にじんわりします。面白い。そして超カワイイ。

↓以下、ネタバレ含む。








舞台の大半が施設内なので、前作のような大海原を駆ける気持ち良さというのは若干控えめですが、その代わりテーマパークを巡るようなワクワク感が大きいです。大水槽の美しさなどは感動もので、外からも内からも映してくれるのがアニメならでは。ミズダコのハンクが「ハンクじゃない、ハンズ!」と言って恐れるタッチプールでは、子供の手が天災のようにドーン!と落ちてくるのが、それが容赦のない子供であることもあって異様な迫力です。あと「シガニー・ウィーバー」を連呼しすぎで笑います。吹替版では八代亜紀だそうですがどうだったでしょうね?展示のイカを炙って肴にしてしまいそうですが。一方で倉庫や運送といった施設の裏側が見られるのもちょっと面白いです。上手いのが、この施設を純粋な水族館ではなく「海洋生物研究所」としたことですね。「救助、回復、解放」のサイクルを謳うことによりあまり閉じ込められていると感じさせないという効果があるし、ラストの「解放」にも上手く繋がっています。トラック内の水槽から大海原にダイブする魚たちに会わせてサッチモの『この素晴らしき世界』を流すというセンスには脱帽ですよ。しかし水棲生物があんなに周囲にいる環境ってスゴいな。ハグするラッコとかキュン死にするわ。

数秒前のことさえ忘れてしまうというドリーはもはや忘れっぽいというレベルではなく、むしろ意識的に記憶障害を持つ者として描かれています。「どうして忘れてしまうの?」と自問する姿には胸が締め付けられるほど。ドリーだけではなく、劇中にはハンディキャップを持つ者が多数登場します。足が一本欠けたタコ、ソナー機能を失ったシロイルカ、目が弱くて壁にぶつかるジンベイザメ、知的障害を思わせるアシカ、そして片ヒレの小さいニモ。しかし彼らはドリーのピンチに際して、自身の壁を乗り越えていきます。シロイルカは必死のチャレンジで機能を取り戻し、ジンベイザメは壁を恐れず大海へとジャンプし、タコのハンクは子供たちへの恐怖を退け、嫌がっていた海へと飛び出し、ニモは「ドリーならどうする?」という思考でピンチを切り抜けていきます。ドリーの諦めない前向きさが波及していくんですね。そしてドリーは忘れっぽさに打ちのめされたとき、マーリンとニモから聞かされた「ドリーなら」を、逆に自分に対して使います。短所と思い込んでいた忘れっぽさを、振り向かずに前へ進む長所として捉え直すのです。新たな自分の発見、まさに「ファインディング・ドリー」です。

そしてドリーの両親もまた、そんな娘のことを決して諦めたりせずに接し、ドリーが行方不明となってからも彼女の好きな貝の道を何本も作り続けます。ドリーの貝好き、母親の好みは紫の貝、などの伏線をさりげなく効かせた上で幾多の貝の道が現れるシーンには震えますよ。それ以上に泣かせるのが、成長したドリーを一目で我が子と見抜く親の目。それを一切の躊躇もなく描くのがスゴい。ハンデを否定せず、却って諦めない愛情の強さへと変えているんですね。その愛情の強さは両親からドリーへと受け継がれ、ドリーは再会した家族だけでなく新たな家族のことも諦めずにこれを救い出すのです。

ドリーの記憶の戻り方に法則性がないとか、車の運転までするハンクの多機能ぶりが盛りすぎなど、引っかかるところがなくもないですが、そこは理屈を超える楽しさで帳消しということで。ところでタコはハートが三つあるというのは初めて知りましたが、これってハンク自身もドリーに出会わなければ知らなかったことなんですよ。自分には、自分が思っているより多くの長所があるんだ、ということなのかもしれません。しかしハンクの多機能ぶりがエンドロールにまで及んで「タコ七を探せ劇場」になるとは……そしてエンドロール後、まさか前作のあいつらがまだ海をさまよっていたとは……。最後までサービス満点です。

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