2016
07.27

ここではないどこかへ。『シング・ストリート 未来へのうた』感想。

Sing_Street
Sing Street / 2015年 アイルランド、イギリス、アメリカ / 監督:ジョン・カーニー

あらすじ
バンドやろうぜ!



1985年のアイルランドはダブリンで、14歳の少年コナーは家計の都合で荒れた学校に転校させられ最悪な日々。ある日街で見かけた少女ラフィーナに惹かれて、バンドなどやってないにも関わらず自分のバンドのMVに出演しないかと誘ってしまう。慌ててバンドメンバーを探し始めるが……『はじまりのうた』のジョン・カーニー監督による音楽青春映画。

家では両親が日々大ゲンカ、学校ではいじめッ子に嫌がらせされるというコナー君が、一人の少女に声をかけたことをきっかけにバンドを始めることになる、という話です。このコナー君は兄と一緒にロンドンのミュージックビデオを見ることを楽しみとしていたため、デュランデュランなど80年代ブリティッシュサウンドに影響された音楽を奏でていきます。コナーが未来派と名付けた80年代のキャッチーなロック&ポップス、そんな曲をメンバーと作っていく過程、先鋭的なものを狙ったMVの撮影といった音楽活動がとにかく楽しい。そして燻った学校生活の中に見つけていく自己表現、MV出演をきっかけに接近する年上のラフィーナとのもどかしい恋愛模様が描かれ、懐かしさと歯痒さと若さゆえの勢い、それらへの愛しさに満ちています。

楽曲はさすがジョン・カーニー、当然のようにイイのを揃えててそこは安心。というか曲はどれも最高です。バンドで初めて曲を合わせて、端から見れば酷いもんなのに「いいな」みたいに言っちゃうの、バンドやったことある人なら「わかる」ってなりますよ。最初は演奏も微妙で歌も音を外してるのがだんだん上手くなっていったり、ギターと二人でアイデア出し合っての曲作りなども観てて喜ばしい。コナー役のフェルディア・ウォルシュ=ピーロは繊細さと大胆さの共存する少年によくハマってます。メンバーたちのなかでは際立って個性的なギターのエイモンが切れ味あって良いですねえ。なんかコリー・フェルドマンを思い出す風貌です。そしてコナーの兄貴ブレンダン役のジャック・レイナーは、そんな登場人物たちの中でも別格で最高。

不況に喘ぐ世情のなか、自由を求めて思いのままに突き進むコナー少年、コナーに惹かれつつも都会を目指してしまうモデル志望の少女ラフィーナ。そんな若者たちの、ここではないどこかへ行こうとする鬱屈と情熱。青春映画に新たな楔を打ち込んだ感があります。そして同時に、夢破れし者の話でもあるというのが泣けます。

↓以下、ネタバレ含む。








結構なヤンキー校であるシング・ストリート校にバンド名をひっかけるところがシニカル。ギターのエイモンが、一通り楽器に詳しいし冷静に即決できるしとバンドメンバーに一人いると色々捗る人材で良いですねえ。「学園祭に女子はくるのか?」「くる」「やろう」とか。バラードを歌おうとするコナーに「盛り下がる」と言うメンバーに対し「勇気が要る」という返し方、からのすかさず「やろう」とか。同じくダブリンを舞台にした『ザ・コミットメンツ』でもそうでしたが向こうではマネージャーって要るもんなんかな?とも思うマネージャーのちびっ子、彼はライヴシーンでステージを見上げながらほんのちょっと眩しそうな顔をするのがなんともイイ。いじめっ子をローディに推すという奇抜な案もナイス。あのいじめっ子はコナーに「君は暴力だけだ」と言われて、殴っては自分の負けだということが分かるからバカではないんですよね(テストは放棄してたけど)。コナーたちと同様アウトローだという視点が良いです。あと、おちゃめな小坊主のベースとか黒人カコイイというだけで加入させられるキーボードとか、他メンバーもわりと個性的だと思うんですが、いかんせんコナーとの絡みはギター以外は少ないため、バンドの物語として見るとちょっと物足りない。ドラムなんてほとんど目立たないし。

ただ、本作はあくまでコナーの主観的な物語だと思うんですよ。正直最初はあの年代特有の背伸びして粋がる様子にムズムズしたけど、それはそれだけさらけ出してるからですね。いじめっ子にはビビってたのに女の子には即声掛けとか、バンドを始めるのは好きな女の子を振り向かせるためだとか、まだビスケットもぐもぐしてるのにキスしようとするがっついてる感じとか、叱られるのが分かってるのに学校にメイクして行っちゃうとか、色々とイタいです(でも分かる)。バンドメンバーの描写に差があるのはギターがコナーに与えた影響度を考えればやむ無しであろうし、兄貴に比べて姉さんの出番が極端に少ないのも同じ理由なのでしょう。それだけに兄弟三人がレコードに合わせて踊るシーンは、兄弟で現実を打破しようと文字通り手を取り合うのがとても素敵です。最後にコナーが寝ている母には「愛してる」と別れを告げて父には何も言わないのは「おや」と思ったんですが、夫婦ゲンカや母の不倫の大元は父親であるとコナーには見えていたのかも。ジョン・カーニー監督にとっては半自伝的作品とのことで、自身をコナーに重ねるのも当然といえば当然です。

コナーの主観を最も象徴するのは学園祭でのライヴシーンでしょう。学校のステージで演奏する独特な雰囲気、アメリカのプロムみたいにはいかない客のノリのなか、コナーの脳内に映し出される『バック・トゥ・ザ・フューチャー』さながらのバンドやステージのゴージャスさ。そして全ての関係者が出てきて皆が楽しそうにする会場の一体感。それはコナーが夢見る光景そのものでもあったでしょう。そこには「こういう現実であってほしい」という願望に加え、アメリカやすぐそこに見えるイギリスに行けば叶えられる夢なんだと思うような、都会に憧れる地方民という観点もあります。その思いは若いほど強いもの。ギターが「イギリス行ったら契約して俺たちを救いだしてくれ」というのも、ラフィーナがイギリスに旅立ったり「中途半端はいけない」と海に飛び込むのも、燻った現状から全力で逃れた先に未来があるという、若さゆえの信心です。

しかしそこで人生思うように行かないと示すのが兄貴のブレンダンです。見た目はメタル兄ちゃんながら、鋭い音楽批評、的確な楽曲の紹介、人間観察、人生哲学と、全てにおいてコナーの先をいっていた兄貴だからこそ言える「ロックンロールはリスクだ」の台詞。長男として自由を開拓し「おれがジェット気流だった」と叫ぶ兄貴に宿るのは、故郷から逃れられなかった夢破れし者の悲しみです。でも、ここが素晴らしいんですが、兄貴がコナーを叱るのはあくまで夢を求める者への嘲笑に対してであり、コナーのやろうとすることは決して否定せず(批評はしますが)、いつでも道を示してくれるんですね。夢破れし者だからこそ、新たにそれを追い求める者には協力を惜しまないし、身一つで海を渡る弟には歓声を上げる。自分で書いた歌詞を渡したということは、弟に自分の夢を託したということでもあるでしょう。この兄弟の信頼関係には泣けます。兄貴には実際にギグで一曲歌ってほしかったなあ(あのやり取りは「誘う」ことに意味があったんでしょうけど)。

ラストでコナーとラフィーナの二人が乗る船の航路は、これからの人生を象徴するかのような荒波。行く手には巨大なフェリーまでが道を阻みます。それでもそんな障害にさえも手を振り、その先へと視線を据えて、二人笑いながら進んでいく。二人がその後も上手くいくかどうかはまた別の話。怖いもの知らずの決断という若さゆえの勢いが愛おしいです。最後の「全ての兄弟に捧ぐ」の献辞には、亡くなったという監督の兄への思いはもちろん、夢追いし者、そして夢破れし者への優しさを感じてしまうのです。

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