2016
06.29

理解不能という怖さ。『クリーピー 偽りの隣人』感想。

creepy
2016年 日本 / 監督:黒沢清

あらすじ
あの人、お父さんじゃありません。



新居に引っ越してきた元刑事の犯罪心理学者である高倉とその妻の康子は、隣人の西野一家にどこか違和感を抱いていた。そんななか、高倉は刑事時代の同僚、野上から6年前の一家失踪事件の分析を依頼される。やがて驚くべき真実が見えてきて……。日本ミステリー文学大賞新人賞の前川裕『クリーピー』を、黒沢清が映画化したサスペンス・スリラー。

黒沢清監督作は『リアル 完全なる首長竜の日』『岸辺の旅』とホラーテイストが続きましたが、久々にガッツリとしたスリラーです。これがまた実に厭ァな話だ……(誉めてる)。主人公の高倉は犯罪心理学を修得した刑事で「サイコパス面白いわー」とか余裕こいてたらやらかしてしまい、今は大学の先生。そこへ元同僚が持ってきた過去の一家失踪事件の話。「こいつはくせーッ!」と色めき立つ高倉ですが、その頃引っ越した新居では実に危ない感じのお隣さんが「ええ?」とか言ってて、奥さん共々厄介なことになっていくんですね。全編に薄気味の悪さが施された映像は観る者を徐々に蝕んでいき、抜け出せないところまで引きずり込みます。ビニールカーテンが風にはためく不穏さ。カメラが一気に上昇し俯瞰で映す心許なさ。そして隣家という距離感がもたらす焦燥。ゾッとする映像の釣瓶打ちと厭ァな物語の展開に目が離せません。

高倉役が西島秀俊、隣家の西野役が香川照之というのは何だか見覚えのある組合せですが、もちろん役柄は全然違います。特に香川照之の気持ち悪さ、元々こういう役は上手いですがこれが予想以上に絶品。ただ気持ち悪すぎて、まともに相手しようとする高倉たちがちょっと不自然でさえあるので、いっそ西島秀俊があの役やったら余計怖かったろうな、とは思うんですが。高倉役の妻、康子役の竹内結子も『残穢 住んではいけない部屋』とはまた違う気だるさを見せてくれて何だかイイ。『ソロモンの偽証』の藤野涼子が持つクールさも斜め上に活かされてます。

「Creepy」は「身の毛のよだつ」という意味ですが、思いがけず近場に存在する脅威、さらに思いもよらぬところに潜む闇が実にクリーピー。原作とは展開が異なるようですが、黒沢清的なアレンジが存分に感じられます。あまり整合性は重視せず、そのぶん気味悪さで覆い被さってくるかのような印象は寓話的でさえあります。これは寂れた郊外ではなくごく普通の住宅街で起こる『悪魔のいけにえ』です。

↓以下、ネタバレ含む。








怪しげな雰囲気を醸し出す演出の妙は多すぎて挙げきれないですが、最も印象深いのは高倉が大学で川口春奈の早紀から話を聞くシーン。早紀が過去を思い出していくうちにどんどんと深い闇が差していく。窓の向こうにいる学生の一人がこちらをじっと見やる。話が進むにつれて学生たちがどんどん去っていく。早紀の話が孕む闇が画面を侵食していくのが分かりやすくもたまりません。二度目の会話の時は、逆に学生たちがどんどんやってくるんだけど、建物の入り口がよく見えないため皆どこかへ消えてしまうように見える。これまた不安を煽ります。

不安を煽るという点では、香川照之の西野は最初から全力です。「チョコ?嫌いじゃないです」「犬をしつける?いいと思います」といったズレた会話。初対面でいきなり入れてくる妻へのクレーム。大したことじゃないと言えば確かにそうなんですが、それでも絶対関わりたくないタイプです。犬のマックスが西野に凄くなついているのも謎(あの犬がいきなり走り出すのが結構怖い)。実際に西野はとんでもない奴なわけです。サイコパスでありながらサイコキラーではないというのも薄ら寒く、仮に自分の手を汚したとしてもそれを平気で他人のせいにする。罪悪感につけこみ、その心の隙を逃さないで巧みに入り込む。ときに誉め、ときに貶すというアメとムチの使い分け、その際にチョイスする言葉の抉るような感じ。ただ、その行動には破綻が見られないというか、傍からすればもちろん頭おかしいんですが、西野の中では一貫しているようにも見えてしまうのです。それが怖い。冒頭で高倉が話を聞くサイコ野郎が「自分にもルールはある」と言いますが、それは常人には決して理解できないルールであり、その点が西野も同様なんでしょう。何よりあの強烈な監禁部屋。玄関脇のドアを潜ったらそこからは笑っちゃうほどの異世界なんですよ。そして西野はその異世界で普通にテレビを見たり食事をしたりしている。要するに異界の住人であり、異界のルールに則って生きているだけ。だから「何が望みか」と聞かれても「別に」と答えるしかないんですよ。違う世界だから理解できないし、闖入者は高倉の方なのです。

この「理解できない」ということこそが恐ろしい。西野だけであればここまで全体的に不穏にはならないでしょう。しかしそれ以外の周囲の人たちもまた理解不当な行動を取る、というのがこれに拍車をかけています。なぜ康子は高倉に「やめとけ」と言われながらご近所付き合いしようとするのか。結婚生活のなかで色々と諦めてきたのだ、というのは分かる。しかしなぜ「嫌な感じ」と思った西野家へ、あんな持ちにくい器になみなみと注いだシチューをわざわざ持って行くのか。なぜ引っ越しの挨拶に手作りチョコなのか。後ろ向きで西野と握手する背徳的にも見える行為が、彼女が異界に引き込まれた瞬間としてゾワゾワします。また藤野涼子の澪はなぜクスリも使ってないのに西野の言いなりなのか。精神的に支配されているのでしょうが、あまりに自然な笑顔を見せ、一方で母親の死体処理をし、「お父さんじゃない」と告げるのは高倉を罠にハメるためかと思いきやそうでもなく、それでいて康子には助けを求めないのはなぜか。あるいは東出昌大の野上は、なぜ高倉に何も告げず一人で西野を訪ねていったのか。これらの理解不能な言動は、理解しようとするとその人の闇が透けて見えてくるようで、余計恐ろしくなります。

しかし、だからと言って高倉に依って観ようとすると、それも許してくれません。早紀との会話では、その詰め寄る姿はまるで犯人に対する尋問です。早紀のアパートにまで来て西野の写真を見せ「そんなはずはない」と決めつけたいのは分かりますが、早紀の祖母を家に押し込む姿は常軌を逸しています。かつて犯罪心理学の捜査官としてのプライドを砕かれた、そのトラウマがあるのかもしれませんが、果たしてそれだけか?と勘繰りたくなります。何より、レイプして人間狩りをしたという犯罪について講義で紹介したときに「アメリカはスケールが違う」と笑いながら言う場面などは「こいつも頭おかしい」と思わせるに十分。西野と対峙して罵詈雑言を浴びせる高倉の姿に、彼もまた理解不能な人物であることを思い知らされます。

正直、最後は香川照之が嬉しそうに言う「どんどん行くぞー」の場面で終わるかと思いました。自らの異界へ引きずり込んだ3人は西野にとっては既に家族同然。描き割りのような背景で車を飛ばし、新しい街へ家族みんなで引っ越しだ!めでたしめでたし、で終わっても違和感ないくらい。しかし西野との対決に負け異界へ行ったはずの高倉がいつの間にか正気に戻っており、西野はあっけなく殺されます。高倉は西野とはまた別の異界の住人だから相容れなかった、と考えればそれも納得。西野が死んだ後、犬と共にあらぬ方へ消えていく澪。高倉と抱き合い絶叫する康子。しかしそこには解放された喜びは感じられず、自分の住む世界を見失い放り出された不安感だけが残ります。

スポンサーサイト
トラックバックURL
http://cinemaisland.blog77.fc2.com/tb.php/1089-bf3686ab
トラックバック
back-to-top