2016
05.20

愛しき虚構の力。『ヘイル,シーザー!』感想。

Hail_Caesar
Hail, Caesar! / 2016年 アメリカ / 監督:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン

あらすじ
ローマは一日にして成らず。



ある大手映画スタジオが手掛ける大作映画「ヘイル、シーザー!」の撮影中、主演俳優であるスターが何者かに誘拐されてしまった。事態を収拾すべく、スタジオのトラブルを一手に受ける「何でも屋」が事件解決のために動き出す。『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』などのコーエン兄弟が描く、1950年代のハリウッドを舞台にしたコメディ・ドラマ。

第二次大戦後、傾きを取り戻しテレビに負けじと大作を企画する、50年代ハリウッドが舞台です。僕もそんなに詳しくないんですが、その頃の何となくの雰囲気が分かってればまあ大丈夫じゃないですかね。猥雑な舞台裏と相反するような映画という夢の世界、そんな虚構の愛しさと、並行して描かれるスター誘拐事件という現実のお話。とは言え、サスペンスとしての緊張感はほぼ皆無です。作中作として映される史劇に西部劇にミュージカルと様々な映画の撮影風景がバラエティ豊かで楽しく、それらの映画に関わる人々がさらに厄介ごとを引き起こしていくのが笑えます。そしてそんなスタジオ内のトラブルをズバズバ解決していく「何でも屋」エディ・マニックスが一つの決断を迫られるというドラマも絡んでくる。この脚本の妙はさすがコーエン兄弟。

主人公エディ役のジョシュ・ブローリンがカッコ良いです。このエディ・マニックスという人物はMGMに実在したんだそうですよ(物語はフィクションですが)。てっきり主演かと思ってたジョージ・クルーニー、演じるウィットロックの大スターという立ち位置も面白いし、スカーレット・ヨハンソンはビューティーな上にアバズレだし、『マジック・マイク』でも踊りまくっていたチャニング・テイタムのダンスシーンは最高な上にまさかのタップダンス!そしてベテラン勢を向こうに回して魅力的なカウボーイ俳優役のアルデン・エーレンライクには『キングスマン』でタロン・エガートンが登場したときのような良さがありました。この人が『スター・ウォーズ』スピンオフで若き日のハン・ソロを演じるそうで楽しみ。他にもレイフ・ファインズ、ティルダ・スウィントンなど豪華キャストが目白押し。

コーエン兄弟にしては毒は薄めかと思いきや、大事なものに背を向けた者はちゃんと手痛い仕打ちを食らったりもします。緩めの笑いはときにツボにハマって楽しいし、時代を映したファッションや画面の色使いも華やか。映画製作の世界を背景にしながら単純に映画愛の話とは言えない、それでも映画愛に溢れた、リアルでありながら寓話のような不思議な感触の話です。いやもう面白い!好きです。

↓以下、ネタバレ含む。








バートを演じるテイタムのダンスシーンは緻密でゴージャスな踊りが実に楽しいし、水中レビューって言うんですか?スカヨハの演じるディアナの人魚を中心としたシンクロダンスも素晴らしく美しい。様々な作品で独創的な役を演じるティルダ・スウィントン、本作では報道記者とゴシップ記者の双子という、また変な役をやってて面白い。妹の方かな?ものすごい長いアホ毛みたいなのが気になってしょうがなかったです。フランシス・マクドーマンドのベテラン編集者による作業の手際もカッコよい。燃えやすいフィルムを扱うのにくわえ煙草というのにはそんなバカなって感じですが、案の定ラッシュのフィルムが燃えた?と思ったらスカーフ巻き込まれて死にかける、斜め上のトラブルというギャグですよね、あれは。あと公証人ジョーを演じるのがジョナ・ヒルなので『21ジャンプ・ストリート』コンビが揃ってるというのも愉快。二人が絡まないのは残念ですが。

そしてアルデン・エーレンライクのホビーです。曲芸西部劇の見事なアクションから、畑違いのラブサスペンスの現場に登場したときの微妙な空気感、そこを歩くときのキュッキュキュッキュうるさい靴音、と可笑しすぎ。ローレンスとローレンツの言い間違いとか、発音指南で「ウジュユー」を繰り返すしつこさには笑います。そりゃ物腰柔らかなレイフ・ファインズの監督もキレますね。しかし大根だ芋だと言われてたのが、ラッシュで見たときは含み笑いまで完璧な演技に豹変してて、次代を担うハリウッド・スターという感じ。恋人を待つときの暇潰しロープアクションがレベル高いし(あのカップルは微笑ましい)、おまけに見事な推理力まで発揮します。対する現役大スターのウィットロックは酒と女にだらしないいかにも遊び人なスターであり、誘拐犯人である共産主義者の言葉にホイホイ乗っかったりして、まあアホです。アホを演じるジョージ・クルーニー最高です。そんなスターが次代のスターに助け出されるというのも、移り変わりの激しい映画業界を象徴してるみたいだったり。

エディはそんな人々が起こすトラブルをめげることもなくテキパキさばいていきます。女優のスキャンダルのもみ消し、スクープを探るマスコミ対処、起用俳優へのクレーム対応から、ディアナの妊娠問題に至るまで。ウィットロックを助け出したのはホビーですが、エディもまたローレンツ監督の愛弟子バートから推理して通報、解決。本編の事件全てがおよそ27時間のあいだに起きており、何とも長い一日です。しかしそんな大変な目にあっていても、結局エディはヘッドハントの誘いに乗りません。ロッキードの男に虚構だサーカスだと言われれば顔が強ばり、懺悔で「楽な道」と「苦労するがやめられない道」について上手く言えない愛憎渦巻く思いを見せる。ひとえに映画業界が、ひいては映画が好きだからというのが伝わってきます。映画という夢を作る苦労を知りながらそこに残るエディに対し、夢を作ることを放棄した共産主義の脚本家たちはどこにも行けずに捕まり、夢の世界を裏切ったバートは退場して恐らく二度とは戻ってこないのでしょう(金より犬を取って「よちよち」とか言うのには笑いますが)。そしてエディは意識の低い主演俳優に往復ビンタをかまして「腹の底から台詞を言え、スターだと証明しろ」と喝を入れます。

冒頭はキリスト像から始まり、懺悔室でのエディ、キリストを題材にした大作、養子の問題など、劇中では宗教的な要素が色々と出てきます。戦後のハリウッドを舞台にロッキード、ビキニ環礁、共産主義といったきな臭いキーワードをちりばめながら、神をないがしろにしない姿勢。キリスト教各宗派を集めてのヒアリングで出てくる様々な主張に感じる、宗教に対する多様性。何よりウィットロックが最後の台詞「信じる心を」を忘れる、というのが、宗教にとって一番大事なのはそこじゃないの?という皮肉にも思えます。ラストカットに映される文字「BEHOLD(見よ)」には「注視する、見守る」みたいな意味もあるようで、それが「何か忘れてない?」のような意味にもとれ、「信じる心を」にも繋がりますね。

ここらへんコーエン兄弟の宗教観なのかなーとも思うんですが、見方を変えればこれらはエディの映画製作に対する思いとも重なってきます。きな臭い時代、それでも盛り上げようとする映画界、そこにある多様性、「信じる心」に至るまでのウィットロックの演技に感動する人々。宗教というものにとって信じることが大切であるのと同様、映画に対しても信じるに足る力がある、と思わせてくれます。深読みすれば「BEHOLD(見よ)」の対象は映画にかける者たちの熱意だ、とも受けとれる。そう考えると、この時代から脈々と受け継がれてきた「好きで映画作ってるんだぜ、あんたも好きだろ?」という、まさに"ローマは一日にして成らず"な映画愛を感じてしまうのです。

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