2016
04.28

復讐の長き序曲。『レヴェナント 蘇えりし者』感想。

The_Revenant
The Revenant / 2015年 アメリカ / 監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

あらすじ
ある日森のなか、熊さんに出会った。



1823年、アメリカ北西部で狩猟の旅をする一団。その一員ヒュー・グラスは狩猟中に熊に襲われ瀕死の重傷を負ったが、仲間のフィッツジェラルドはそんなグラスを置き去りにする。息子も失い復讐に燃えるグラスは、死にかけた身体にむち打ち、息子の敵を取るべく大自然の中を生き延びようとする……。レオナルド・ディカプリオ主演、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督によるサバイバル・ドラマ。第88回アカデミー賞で主演男優賞を受賞。

いやあ凄かったです。至福の映像体験。冒頭のまるで『プライベート・ライアン』のような終わりなき戦いの地獄に始まり、熊に襲われるシーンのとてつもない恐ろしさ、そして極寒の山を生き抜くためのサバイバルと壮絶を極めるシチュエーションを、自在に動き回るカメラによって映し出します。果てしなく広い荒野、寒々しい林、荒々しい川、全てを飲み込む激流といった風景描写が秀逸。そんな自然を背景にした長回しは『バードマン』とはまた違った凄さを見せてくれます。いやもうどうやって撮ってるの?ってなりますよ。迫力の、とか映像美、という言葉で括るには抵抗があるほどの圧倒的体験。

そして死にかけた男の、なお死にかけながらの道行き、そこで出会う人々との関係性、といったドラマも凄い。単なる復讐劇ではないし、風景は美しいだけではないのです。熊に死んだふりは効かないし、馬は乗るだけとは限らない。ある意味『バードマン』を越える長回しは、そんな逃れられない現実さえも突きつけてきます。『ゼロ・グラビティ』『バードマン』の撮影監督エマニュエル・ルベツキの手腕はさすがという他ないです。

主演のグラス役レオナルド・ディカプリオは本作でついに念願のオスカーを手にしたわけですが、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』とは逆に台詞が極端に少ないディカプが見せる体の張り方と顔面力には受賞も納得。グラスを見捨てるフィッツジェラルド役にはトム・ハーディ。登場シーンの立ち姿が『マッドマックス 怒りのデス・ロード』での登場時っぽい、と言えなくもないですが、役柄的には『ブロンソン』のようなワルのトムハの方ですね。最初髭面で気付かなかった『スター・ウォーズ フォースの覚醒』のドーナル・グリーソン(隊長役)や、『ナルニア国物語』などのウィル・ポールター(ブレジャー役)も良かったです。

観ていると息は苦しく、力は抜けず、身体が腐るのを共有してるかのよう。上げておいて下げるかのような音楽に自然の音も織り交ぜた臨場感もあって、156分の長さに見合う見応え。極限のサバイバルのなか、まずは生きる。全てはそれからということです。

↓以下、ネタバレ含む。








ディカプの鬼気迫る演技はもちろん凄まじいですが、ドーナル・グリーソンの最後まで高潔な隊長も良かったですよ。隊長自ら罪人のフィッツジェラルドを追うというところにも責任感の強さを感じます(二人だけでというのは無茶ですが)。ウィル・ポールターのブレジャーが置いていく水筒(ぐるぐるマークは思わずNARUTOを思い出す)がグラスの命を何度も救うのも上手い。この善人コンビには同情しきり。あとさらわれたアリカラ族長の娘ポワカがフランスのクソ野郎のブツをきっちり切り落とすのは素晴らしかった。どうでもいいけど馬の横顔どアップがなんか怖いです。

飛び交う矢に目の前の者が射抜かれる恐怖、左右だけでなく上下にも振るカメラでの緊迫感、途中で他者に乗り移る視点によるフィールドの拡がり。もうこの冒頭だけでヤバいです。早く逃げて早く!ってなもんで、戦いというより狩られてるという感じ。この狩る者と狩られる者との攻防というの構図は本作全般に見られます。例えばグラスが熊に襲われるシーン、あれは今まで観たことのない新次元の恐怖表現と言ってもいいでしょう。あんなのに襲われて反撃なんてとても出来る気がしない……それはともかく、熊にとっては子供を守る行為ではありますが狩りの一環とも言えます。グラスが出会うポーニー族の男はフランス人たちに殺され、グラスは馬を盗みポワカと逃げてフランス人たちに追われ、そのフランス人たちはアリカラに狩られ、グラスもアリカラに追われて谷底へ落ちるはめに。狩る者と狩られる者が次々と移り変わり、ラストではグラスが行動を予測し罠を張りフィッツジェラルドを追い詰めていく。狩りに始まり狩りに終わるんですね。

そういった「狩る」ための理由は、守るため、奪うため、復讐のためと様々ですが、唯一それにそぐわないのがフィッツジェラルドがグラスの息子を殺したこと、そしてグラスを置き去りにしたことです。彼の行為は他のメンバーや部族や動物たちが誰もやらない「仲間への裏切り」という卑劣さとして明確に異なります。このフィッツジェラルドという男だけはどうにも薄いと言うか、かつて原住民に頭の皮をはがれたという凄惨な過去があるにも関わらず、金がほしい以外の心情があまり感じられないですね。そして最後まで不敵。それは一度死にかけたゆえの超越感なのかもしれません。トム・ハーディの威圧的な存在感により恐れ知らずな雰囲気はさらに強固になります。

一方で彼を追うグラスもまた「一度は死んだ身だ」と言うようにフィッツジェラルドと同じく死から生還した者です。しかし砦に戻るまでにグラスが辿る道は、(描かれないので断言はできないものの恐らく)「生きる」ための過程においてフィッツジェラルドより濃密です。動かぬ体で匍匐前進、首の傷を銃弾で焼く、馬をくり貫いて寒さを凌ぐといった過酷な試練。救ってくれたポーニー族の男と二人で舌を出して雪を食べ、作中での数少ない笑顔を見せて通じ合うという幸運な出会い。しかし風避けに十分な小屋を作ってくれた彼が無惨に吊るされた姿の喪失感。目の前に火があるにも関わらず生のまま夢中でむさぼり食う魚やモツ(焼こうぜ……)。それだけのヘヴィな状況ではグラスは生き残るのに必死で、復讐という目的を忘れそうになるのかもしれません。だから事あるごとに「フィッツジェラルドが息子を殺した」と刻み付けます。

そんなグラスの夢の中に現れる亡き妻は「木は風に吹かれても根を張って倒れない」と言います。グラスは息子に「息をし続けろ」と言います。共に「生きること」を象徴する言葉。二人がいるのは音の鳴らない鐘が揺れる崩れた教会のある場所、そして雪山よりさらに色のない場所、彼岸です。しかしグラスは此岸にいる。ラストでフィッツジェラルドに止めを刺さず「復讐は神に任せる、自分ではない」とすることで、フィッツジェラルドとは異なり仲間殺しを免れるグラス。その姿は狩りの時間が終わり、神に獲物を捧げているかのようにも見えます。生あることに感謝をするかのように。息をし続けていることに意味を見出だすかのように。自分は生きているのだ、というその意思を、最後に観客の方を見ることで彼は示しているようにも思うのです。

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