2016
04.21

遊びの時間が終わるとき。『COP CAR コップ・カー』感想。

Cop_Car
Cop Car / 2015年 アメリカ / 監督:ジョン・ワッツ

あらすじ
オレたちのコップ・カーだ!



当てもなく誰もいない平原を歩くハリソンとトラヴィスの二人の少年。やがて彼らは途上の道端に止まっている一台のパトカーを見つけ、ドアが開くのを幸いと乗り込んで車を走らせることに。しかしそのパトカーの持ち主である保安官は恐ろしい男だった!ケヴィン・ベーコン主演・製作総指揮によるサスペンス。

なんてことのない田舎街、そこからさらに外れた荒野を歩く10歳ほどの少年二人の姿から物語は始まります。彼らにかかれば全てが遊びに変わってしまい、それは偶然見つけたパトカーも例外ではありません。ドアロックされてないのをいいことにレッツ・ドライブ!運転はマリオカートやってたからできるはず!マリオカートって偉大!しかもそのパトカーには拳銃やショットガンまで積まれている!「オレたちのコップ・カーだ!」と叫びながら野を駆ける少年たちの稚気と危なっかしさに、ハラハラしたり笑ったり。しかしその持ち主である悪徳保安官は大激怒。いや悪徳保安官じゃなくてもキレますが、実はそのパトカーにはさらに秘密があるのです。

いきなり「Kevin Bacon」の名がバーン!と出てアガります。そう、主演のミッチ・クレッツァー保安官を演じるは、おれたちのケヴィン・ベーコン!本作では製作総指揮までやるほど熱が入っているので、パトカー盗んだガキどもをどれだけ恐ろしく追い詰めていくのかと思ったら……実はこれ、スリラーかと思ったら微妙に違うんですね。結構笑えたりするし、かと思えばスリルな展開になったりと、もう色々「そうきたか!」って感じで最高です。子役二人の演技も素晴らしい。

平和な風景と対極的な殺戮、引きの画による間の取り方なども実に面白い。袖のなかに隠す、というのも効いてますね。監督のジョン・ワッツはこれがきっかけで新『スパイダーマン』の監督に抜擢されたらしいですが、それも納得。危険な大人の世界に巻き込まれていく少年たちがやがて成長せざるを得ない姿が深く、容赦のない通過儀礼の話でもあって、ケヴィン・ベーコン版『スタンド・バイ・ミー』とも言えそう。間違いなくベスト・ベーコンな一本。スゴく面白いぞ。

↓以下、ネタバレ含む。








ベーコンの演じるミッチ保安官は悪党で頭もキレるんだけど、どこか抜けてると言うかカッコ悪いところもあるんですね。白バイ警官を追い払う方法とか、子供たちとの会話を聞かれないよう普段使わない無線に切り替えさせたりするのは冴えてますが、そもそもヤバいものを積んでる車をロックしなかったことが運の尽き。車がない!どうするか?で、めっちゃ走ります(爆笑)。まさかこんなシーンで手に汗握るとは、という車のドアロックを靴紐で開けるトライを実に4回。運んでる死体の重さにキレて死体を蹴ったりするわりには辛抱強かったりもします。「無線の調子悪いわー」と混線してるふりもします。挙げ句、無線になかなか答えない子供たちにベーコン涙目。事件発覚を恐れてヤクをトイレに流すという小心なところもあり、「なぜ俺がこんな目に」という心情が今にも聞こえてきそうな厄日ベーコン、最高です。

少年たちにとってのもう一人の脅威となるトランクの男は、おばさんにヘッドショットかますほどスナイピングの腕もいいのに、下着にガウン姿で大慌てだし、必死で隠れ場所を探すのが滑稽。でもベーコンより頭は回るんですよね。子供を脅すときも「ペットを殺す」と具体的に脅すことでトラヴィスなどはビビってしまいます。かたや「開けないと撃つ」と脅しても車のドアを開けない子供たちに涙目のベーコン(爆笑)。子供たちが後部席にいることをおかしいと思わないというのが肝心なところで頭回ってないです。凶悪な事件を描いてるわりに、大人たちは揃ってマヌケさが拭えないのは面白いですね。口うるさいおばさんが「とんでもないものを見た」と店員に言ったときに映る魚が口をパクパクするカットや、ベーコンが最後に牛に激突してリタイアというのもマヌケさを際立たせています。

一方の少年たちは、無邪気にデンジャーゾーンに突っ込んでいく姿にヒヤヒヤしっぱなし。パトカーにタッチして戻ってきたり、車がオートマで足を離しても走るのをいいことに走らせながら運転チェンジしたり、防弾チョッキ着てライフル試し撃ちしたり、トランクの男の拘束を銃で撃って解こうとしたりと、子供ならではの何でも遊びにしてしまう危うさ、無知による行動が怖い。トランクに血だらけで閉じ込められてる奴に言いくるめられて「いい人そうだ」と思っちゃう短絡的なところも幼いです。でも追い詰められてのピンチにどうにかしなければならなくなるんですね。冒頭に放送禁止用語を言い合いながら歩くハリソンがどうしても言えなかった「ファック」を、最後に銃を撃つときに言ってしまう、というのにも彼の変化が見られます。

ハリソンとトラヴィスは父親がいないという点で共通しており、その意味ではベーコンという大人の男性、それも大悪党ではなくわりと身近に感じられる存在に追われるというのは、父性による束縛からの脱出、或いは越えるべき父親という見方も出来るでしょう。が、本当に越えるべきハードルは自分たち自身なのです。大人たちがマヌケだから何となく逃れてきたのに、終盤でハリソンの撃った眺弾でトラヴィスは重症を負ってしまいます。気楽な家出の結末は、強気だったトラヴィスの弱さを露わにし、ハリソンに自分で何とかすることを強要します。ライトの点け方がわからない、でもパトライトの付け方ならわかる。35キロしか出せなかった、でも目一杯アクセルを踏みつける。不意に見えてくる街の明かり、そして聞こえてくる声についに無線を手に取るハリソン。このシーンで終わらせての余韻の残し方が実にイイ。それは長い一日の果てに唐突に訪れた、子供時代の終焉でもあるのです。

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