2016
04.19

境界の向こうに拡がる虚無。『ボーダーライン』感想。

Sicario
Sicario / 2015年 アメリカ / 監督:ドゥニ・ビルヌーブ

あらすじ
正義とは何か。



メキシコの麻薬カルテルに対抗するため、米国防総省の特別部隊に選ばれたFBI捜査官ケイト・メイサー。しかし麻薬組織撲滅の極秘作戦に参加するも、そこでは常軌を逸した作戦が展開されていき、やがてメイサーは善悪の境界が曖昧になっていく……。『プリズナーズ』のドゥニ・ビルヌーブ監督がメキシコ麻薬戦争の現実を描くクライム・サスペンス。

いや凄いですよこれは。冒頭からいきなり銃弾飛び交う麻薬捜査。制圧後に見つかるとんでもないモノの衝撃。そんなわけで元を絶たねば意味がないとアメリカ国防総省の麻薬組織撲滅作戦に参加するFBIのエリート捜査官メイサーですが、いきなりメキシコ麻薬戦争の真っ只中に放り込まれ、訳もわからず混沌の街へと引き出されていきます。観る者も主人公メイサーと同様、不穏で緊張感渦巻く現場にただ翻弄されるしかありません。手続きだの法だの、秩序だったものとは全く異なる基準が横行し、死体がぶら下がる日常というさりげなくも強烈なグロ描写が拡がります。綺麗事では何も変わらない世界に毒されていく気分です。

メイサー役のエミリー・ブラントは『オール・ユー・ニード・イズ・キル』でも果敢な兵士でしたが、今作では凛々しい姿を見せまながらも正義だけでは立ち行かない状況に苦悶します。そんなメイサーをスカウトするマット役にジョシュ・ブローリン、狂った現場で不敵に笑う凄みがありますが、今作では多少抑えめですかね。そう感じてしまうほど、アレハンドロ役ベニチオ・デル・トロの威圧感が凄まじい。死んだ目で容赦なく殺す姿には迫力を通り越して色気すら感じます。最近ではドラマ版『デアデビル』でパニッシャーを演ってるジョン・バーンサルが相当なボコられ顔になるのはちょっと面白い。

トラックに乗ってるだけで怖いし、暗視カメラで歩く闇には震えます。精神を追い込むような低音で唸る音楽も効いて、臨場感の化け物みたいな作品。ドゥニ・ヴィルヌーブはやはり凄かった。

↓以下、ネタバレ含む。








序盤、洗面所の曇りガラスで顔が隠れているメイサーにモヤモヤする心情が見られます。上司が「麻薬押収率を上げて何か変わったか」と言うように、トカゲの尻尾をいくら押さえても頭には辿り着かないことを実感しているわけで、だからこそ彼女はメキシコまでやって来ます。しかし真っ昼間でも銃声が鳴り渡り、夜は花火のように火線が飛び交うメキシコの実情では追う側も命懸けで、当たり前の捜査などは行われないんですね。序盤のトラックに乗ってひたすら走っていくシーンからして、不穏さしかない街並み、手足を切られてぶら下がる裸の死体などにやられ、しかもその道行きが長々と続くという緊張感に疲弊します。こちらの動向は敵にも監視され、一夜の相手がそのスパイだったりする。さらには味方のはずのマットたちも作戦を公けにしない。容疑者に対するアレハンドロの異常な詰め寄り方、そして轟く悲鳴には嫌な想像が掻き立てられます。超法規的措置の連続です。

なかでも常軌を逸している国境付近の撃ち合い。一般人も大勢いるなかですかさずギャングの車を特定、車から出てきたギャングと対峙してピクリとでも動いた瞬間撃つときの緊迫感。もう撃つこと前提なんですよ。傍観するだけだったメイサーも危うく撃たれかけて反撃、嫌でも現場の実態を肌で感じることになります。そして終盤のトンネルを抜けていくときの暗視カメラの映像には、息詰まる閉塞感と先の見えない緊張感。もはや現場というより戦場です。真上からの空撮が時々挟まれるのも、じっとりと覗いているようなイヤーな感じを受けますね。

そうしてメイサーの善悪のボーダーが揺らいだところで、ラストのアレハンドロの独壇場です。主人公のはずのメイサーどころか相棒かと思ったマットまで置き去りにして、突然の無双を繰り広げるアレハンドロ。まるで別の映画に切り替わったような戸惑い。原題の『Sicario』は「暗殺者」の意味ですが、それがここで実態を帯びます。アレハンドロの目的をメイサーに語るときのマットの顔半分が完全な闇に隠れているのが印象的。かつて「嘆きの検事」と呼ばれた男は自分がされたようにボスの妻子を皆殺しにし、あっさりとボスの息の根も止めますが、妻と娘の敵をとったにも関わらずそこには何の感慨も見られません。そこに見えるのは殺し合うことの圧倒的な虚無感。アレハンドロは既に正義だの悪だのの観念に縛られてないのかもしれません。とっくにボーダーを越えて向こうに行ってしまった者です。

メイサーはあくまでボーダーラインの手前に立つ者です。でも自分を撃ってあっさりと境界の向こう側に行くアレハンドロを見て揺らいでしまったのでしょう。いくら綺麗事を並べても、手順を踏んでも、サインを拒否しても、何も変わらない。『悪の法則』でも描かれたように組織が変わるだけで結局は繰り返されるという虚しさ。でもメイサーを愛した人=妻に似てると言い、怯える姿を娘に似てると言ったアレハンドロの過去も知っている。メイサーが最後にアレハンドロを撃てなかったのは、撃ったところで虚無しか残らないことが分かっていたからでしょう。

メイサーたちとは微妙に違う軸で語られる、ある家族の生活。何てことのない風景ですが、父親が何かに巻き込まれていそうという不穏さだけは続きます。この父親は金のために組織の片棒を担いでブツを運んでいた警官だったわけですが、本筋と交わったときアレハンドロに撃たれてあっさり死にます。本筋から見れば警察の裏切り者の一人でしかないですが、別の一面では子供とサッカーをする良き父親です。そうした普通の人々も麻薬カルテルの巨大なうねりに飲まれてしまっている、という敢えての一例なのでしょう。闇の深さを感じます。

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