2016
04.15

流された先の優しさ。『リップヴァンウィンクルの花嫁』感想。

ripvanwinkle_bride
2016年 日本 / 監督:岩井俊二

あらすじ
アムロ、いきまーす!



臨時教師を勤める皆川七海はSNSで知り合った鉄也と結婚することになったが、親族が少ないため「なんでも屋」の安室に結婚式の代理出席を依頼して式を挙げる。しかし教員の職がなくなり、夫には浮気され、ついには路頭に迷うことになった七海は再び安室を頼ることになるが……。岩井俊二監督の『花とアリス』以来12年ぶりの長編実写。主演は意外にもこれが単独初主演作となる黒木華。

岩井俊二監督作は『スワロウテイル』以来久々に観ました。主人公の七海は主体性の感じられない女性で、特に悪いことはしてないのに職を失い家を追われ、どんどん不幸になっていくんですね。そうしてどこへ行くのか分からぬまま、予測もしない展開に観る側も引きずられていきます。やがて出会う一人の女性、真白との関係により、思いがけない人生の機微を見ることに。悪意はないけどブラックな、それでいてなんとなくいい話に落ち着く座りの悪さもあり、でも爽やかさもある。何とも不可解で不思議で、でも悪くない後味です。

ひたすら流されるだけの七海には観てて結構イライラしちゃったんですが、現実を受け止めきれずにパニクる姿は分からなくもないし、黒木華なので許せます。いやもう黒木華は本当にイイ。責められながらも必死に反論を絞り出そうとして挫けるところとか、安心してフワフワしちゃう姿とか全部が愛しい。役自体にはイラつくけど、その危なっかしさに惹きつけられます。しかもメイド姿が!似合いすぎる!雇いたい!そして真白役であるCoccoの存在感が凄まじくて、黒木華の七海と対になった感がうまくハマってます。安室役の綾野剛はその胡散臭さが最大限に発揮され、薄っぺらくも親しみやすい雰囲気が絶妙です。

現実的な話なのにどこかファンタジック。辛辣な現実の良し悪しを問うのではなく、そんな試練の結果知る今までとは違う世界の方を描く。そういう意味ではこれは都会を舞台にしたある種のロードムービーとも言えます。180分の長尺ですが、退屈に感じるところはなかったです。

↓以下、ネタバレ含む。








七海が発する言葉はほとんどが「あ」「え」「はい」ばかり、あるいはそこから始まる台詞です。ネットで知り合った彼氏については「買い物するみたいに簡単に手に入った」と言い、その手軽さに驚いてると言うよりはむしろこれでいいんだろうか、と何となく戸惑っているよう。序盤はこの「戸惑いながらも何となく受け入れてしまう」という七海の描写が続きます。学校の生徒に用意されたマイクを使ってしまう。旦那の浮気相手の彼氏を名乗る見知らぬ男を家に上げてしまう。その男の呼び出しに応じてしまう。ホテルの映像がなぜ義母に送られてきたかを考えることもできない。そして浮気を疑われて出ていけと言われ、釈明しきれず「はい」と答えてしまう。基本的に「自分を殺して相手に合わせる」人生です。

自身の結婚式も演出は全て旦那の案なんだろうなというのが伺えるし、自分の問題に関しては旦那に何も相談せず全て自分で抱えてしまう。「あちゃー」とか「明日でいいですか」とかパニックに陥るのも自分に突き付けられた問題に対してなんですね。合わせる相手がいないと現実を受け止めきれず「ここはどこでしょう」となってしまう。安室が「落とそうと思えばすぐ落とせる」と言うのも、七海が相手に合わせて距離を詰めてくるのが読めたからでしょう。七海はSNS名として宮沢賢治作品の登場人物を名乗りますが、「クラムボン」は殺される、「カムパネルラ」は人を助けて死ぬ、とどちらも死んでしまう役回りなのも象徴的。仕事で会っただけの疑似家族との交流が居心地良さそうなのは、自分という役回りとは別人のふりをすることで、殺す自分がいなくなるからかもしれません。

真白は逆に「自分が死ぬなら相手も殺す」という感じですが、これが七海と接するうちに変わっていきます。真白にとって心中相手だったはずの七海が、結婚相手になってしまう。死を共にする相手として迎えたのに、共に生きたい相手となってしまうんですね。真白が名乗る「リップヴァンウィンクル」は、見知らぬ老人に付いていき山奥で遊んでいたら一晩で20年も経っていて妻も死去していたというお話の主人公で、要するにアメリカ版浦島太郎のことらしいですが、その花嫁(妻ではない)である七海は、リップヴァンウィンクルと共に生き、共に死のうとしてくれる存在なわけです。「幸せの限界」を感じる真白の、その限界値を越えた幸せを与えてくれる。そうして人生を満たしてくれたからこそ、真白は一人で逝くことにしたのでしょう。

でも変化があるのは七海も同じで、真白とただはしゃぎ、他愛のない会話をし、家事をするうちに、「相手に合わせる」が「相手と共に楽しむ」に変わっていきます。結婚に失敗した七海が真白と共にすんなりウェディングドレスを着るのは、元旦那の時のような相手に合わせた結婚式とは全く違うからでしょう。そして真白の病気を知ったとき、ひたすら流されるだけだった七海が初めて自らの意思を示したのが、相手に合わせるためのメイド役を辞めることなのです。

綾野剛の安室は、悪びれもせずただ仕事をこなすという点で徹底しています(ガンダム縛りの名前にこだわるところも徹底してますが)。そこに善悪の概念はなく、ビジネスとして必要なことだけをする。七海を陥れる手の込んだやり方も、真白の依頼に応えるために一緒に死のうと思わせるようなお膳立てでしかなく、七海は演出された不幸をそうとは知らずに演じ、幕引きまで用意されていることに最後まで気付きません。浮気相手の偽装も、結婚式のサクラとして真白に会わせるのも(新郎役が紀里谷和明なのは笑う)、全て予定通り。死んだと思った七海が生きていて本気で驚くのだけが唯一の素なのでしょう。

真白の母親が全裸になって泣くのを見て、自分もズバッと脱いで共に泣くのも、正直本心かどうかは分かりません。失敗した依頼のアフターサービスのつもり、という可能性もなくはない。でもたとえそうだとしても、裸で泣いて酒を飲むという姿には少なくとも「自分を殺して相手を"理解する"」という、かつての七海とは似てるようで違う他者との接し方が見えてきます。七海が泣きながら笑うのも、そんな安室の思いが分かったからでしょう。最後に七海に家具を持ってくることもあって、上っ面だけというわけでもないのが安室という人物の魅力になってますね。それでも自分が仕組んだという真相を告げるようなことはしない、というところにむしろ統一感を感じます。

結局七海は騙されたままで終わるわけですが、そんなことはもうどうでもいいのでしょう。「自分を殺して相手に合わせる」ばかりだった七海は、「相手と楽しむ」「相手を理解する」ということを知ったのです。いずれも相手のことを考えての行為であり、その根本にあるのは「優しさ」です。七海が路頭に迷ったときに「G線上のアリア」が流れるのは、不器用だけど優しさを持つ彼女を否定はせず、むしろそれが美しい行為に成りうるということを優雅な旋律で示していたのかもしれません。ラストに彼女のたった一人の生徒が「東京に行ってみたい」と言ったときに返す「来たら泊まる?」という台詞に、相手を理解し、共に楽しもうとする七海の成長が見られるのです。

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