2016
03.29

足りない1ピース。『マジカル・ガール』感想。

magical_girl
Magical Girl / 2014年 スペイン / 監督:カルロス・ベルムト

あらすじ
♪こんなひ~は~さ~~らさら



余命少ない少女アリシアのため、彼女が大ファンである日本のアニメ「魔法少女ユキコ」の高額なコスチュームを手に入れようとする父ルイス。そんなルイスの行動が引金となり、物語は闇を抱えた女性バルバラや元教師のダミアンらを巻き込んで、思いもしない方向へ転がっていく。スペイン発のブラックなサスペンス。

白血病の少女とその父の物語として始まる本作ですが、これが非常に独特な映像とリズムを持っており、展開が全く予想できません。日本の魔法少女アニメをモチーフにしてるんですが、そこへの興味だけで観ると色々とショッキングです。非常にシビアで現実的であり、だからこその味があるんですね。魔法少女に憧れる女の子と、メンヘラに変わり果てた魔法少女。それぞれを支える二人の男の暴走する愛情、加速する不穏さに目が離せません。想像の余地の残しかたが凄いので、観ながら自分の脳内で補完していくのがおぞましくも快感。題材に反して完全にノワールです。

散りばめられた様々な暗喩が観た者に解釈を迫ります。魔法が使えるとしたら。額から血を流した女。パズルの最後のピース。トカゲ部屋。2+2=4。いやあ凄い。そしてこの曲を主題歌にした監督のセンスには脱帽。確かに魔法少女ものの曲っぽいですが、よく知ってるな……この曲が耳に残って離れないんだがどうしてくれる。思わず動画探してご本人映像観ちゃいましたよ。この監督は結構な日本通のようで、そう言えばチュロスの女性が浴衣みたいな部屋着も着てました。

『魔法少女まどか☆マギカ』に例える声も多いですが、すれ違いや偶然の出会いが不幸を綴っていく鬱な展開を考えると、せめてそこに寄せたい、という気持ちもよく分かります。感覚的なのに計算されてる感じが実にいやらしい(ホメてます)。見せるもの見せないものの選別、見えてたものが見えなくなる不穏さ。恐ろしい深みを感じます。

↓以下、ネタバレ含む。








ルイスは魔法が使えるなら何がいいかと聞かれ「透明になりたい」「誰にも触れられないようになりたい」と言い、アリシアは「誰にでも変身できるようになりたい」と言います。どちらも今の自分への否定や不満です。しかし親子は互いへの愛情は強いわけで、ルイスはアリシアのために魔法少女衣装を手に入れようとし、アリシアはラジオを通して父への愛情を示そうとする。これが微妙にすれ違ってしまうために悲劇が始まります。7千ユーロのドレス、さらにおそらく2万はするステッキ(そんなんあるの?)。ルイスが頭を抱えるのも分かります(レプリカという選択肢はないのだな……)。

一方のバルバラは旦那と二人仲良くやっている、ように見えますが、そこにはある種の支配関係が感じられます。「赤ん坊を窓から投げたらどうかなるか」という台詞からもバルバラが心を患っており(或いはその過去がある)その担当医だったのが今の旦那なんでしょう、その辺りの事情は描かれませんが、投薬の様子やその後の放置などバルバラに対する旦那の突き放した態度からもそれは察せられます。額から流れる血や身体中の傷も凄惨ですが、ブリキと言えば終わる部屋で何が行われたのか、さらにキーワードの書いてない(つまり自分では終わらせられない)トカゲ部屋では一体何が?と語られない、見せない点が多く、嫌でも想像力を掻き立てられるのが凄い。インパクトあるショットだけが残され、バルバラの謎めいた感じが強調されます。

語られないという点ではダミアンも同様で、教師だったはずが何かの罪で服役したらしい、バルバラとただならぬ関係にあったらしいというのは分かりますが、細かい点は謎のまま。バルバラに対し盲目的に愛情を与え、かつそれが自分の身を滅ぼすことも分かっているよう。巨大なジグソーパズルを作ることで精神を安定させているように見えます。しかし最後の1ピースが見つからず、完成直前のパズルを自ら壊してしまうダミアン。この1ピースはかなり序盤で実はルイスが拾い上げているんですね。安定を手にするための最後の1ピースは、ルイスに対する銃弾へと姿を変えてしまいます。戦闘服のようにスーツを着ていくダミアンは仕事人のような理性さえ感じるのに、ルイスとバルバラとの行為が合意のうえであることを聞いた途端キレてしまうのは、もはやバルバラへの崇拝さえ感じます。いわゆるファム・ファタールに翻弄される男ですね。

しかし2章のタイトル「悪魔」を考えると、それは女神への畏敬というより悪魔崇拝に近いのかも。ダミアンという名前も悪魔の子を連想させます。一方で1章のタイトルは「世界」であり、ここでは我が子を神のように扱うルイスが描かれる。思えばアリシアとバルバラはそこはかとなく対比が効いています。病気の少女とある意味病気の女。ベリーショートとロング。踊る姿を映す鏡の動と圧力で割られる鏡の静。神と悪魔の元、ダミアンとルイスは3章タイトル「肉」を体現するような翻弄される一人間でしかない。額から血を流したり、全身包帯で巻かれたりするバルバラの禍々しさ。一方で細っこい体に魔法少女の豪奢な衣装を纏い、魔法のステッキを持って立つアリシアのある種天使のような神々しさ。悪魔の手先のダミアンもじっと見つめるアリシアを撃つときには目をそらしてしまうほどです。

ところがラストで悪魔の手先は守護天使と呼ばれます。そして手の中のケータイを消してしまう。これはもちろん冒頭で少女のバルバラが行った行為と対になっているわけで、かつてのバルバラがダミアンにとっての天使であったことが伺えます。悪魔は天使であった。ならば天使のようなアリシアも悪魔になる可能性があった、というところまで深読みさせてきます。それこそ魔法少女は魔女になる……いやもうそこまで異世界な解釈をするとワケわかんなくなってきますね。現実を描いた話ながら魔法少女の世界観が見え隠れし、しかもぶん投げるような終わり方のため、色んな受け取り方ができそうです。

ラストから冒頭へループするかのような作り、「2+2=4である」という二人ペアで語られる構造、闘牛士の話にあるように情熱と理性がせめぎ合う人々、黒蜥蜴の歌とトカゲ部屋の符合、元教師と元教師が辿る転落。全てがピタリとハマりそうなのにどうにもパズルの1ピースが足りないような座りの悪さに、快か不快かを通り越して何か凄いものを観せられた感がします。そして観終わった後に耳に残って離れない長山洋子の『春はSA-RA SA-RA』。この作品自体がマジカルと言えそうです。

スポンサーサイト
トラックバックURL
http://cinemaisland.blog77.fc2.com/tb.php/1048-2acae06a
トラックバック
back-to-top