2016
03.21

僕たち気が合うね。『ロブスター』感想。

the_lobster
The Lobster / 2015年 アイルランド・イギリス・フランス・ギリシャ・オランダ / 監督:ヨルゴス・ランティモス

あらすじ
本当に気が合ってる?



独身者は45日以内にパートナーを見つけなければ動物に変えられてしまう世界。独り身となったデヴィッドは独身者が集められるホテルで相手を探すが……特異な世界観を貫きながら、恋愛に関するクールな視点を投げかけるブラック・コメディ。第68回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。

これはシュール!そしてブラック!独身のまま45日を過ぎるとなぜか動物に変えられてしまうという決まりのある世界。相手のいない者はまるで犯罪者扱い、もっと言えば「人ではない」と見なされます。だから動物にされる。なぜそんな決まりがあるのかは語られず、あくまでそれがルールなんですね。独りで街にいると警察が職質してくるくらいそれは徹底されています。実にユニークで挑発的な、そして非リア充には悪夢のような設定。しかし相手が見つかっても幸せになるとは限らないというのがミソ。いっそ独りでいいやと飛び出せば、そこには自由と引き換えに別の縛りがあったりします。ヘンテコで意外とエグい、それが当たり前の世界が怖くて楽しい。

主人公のデヴィッド役はコリン・ファレル。様々な恋愛沙汰で賑わせて来たファレルが、腹が出た冴えない中年姿で登場するのはなかなか衝撃です。デヴィッドとつるむようになる脚の悪い男は『007 スペクター』のQちゃんも記憶に新しいベン・ウィショーですが、これまた寝癖みたいな髪型のパッとしない男。同じく仲間になる滑舌の悪い男は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のジョン・C・ライリーですが、こちらは手が大変なことに!殺し屋にしか見えないレア・セドゥたん、そして近年一番にキュートなレイチェル・ワイズとキャストが豪華です。

一見ファンタジックな世界観でありながらとんでもない実態を描き、オフビートな笑いとサラッと描かれる残酷さを共存させながら、恋人とは何か、夫婦とは何かを問うてきます。必死で相手との共通点を探す主人公が印象的。我々は何を基準にパートナーを選んでいるのか、それは本当に感情が発露した結果の選択なのか、という自問が渦巻く怪作。ちなみにタイトルは主人公が何の動物に変えられたいかを聞かれての答えですが、その理由が面白い。思わず「自分なら何がいいかな」と考えてしまいます。

↓以下、ネタバレ含む。








相手が見つからないと動物にされる、ということは、独り者は人間に非ず、ということ。パートナーのいることが人としての絶対条件である世界。押し付けられる価値観としてはかなりの極論です。独身者に対する非人間扱いは徹底していて、昨日までの友人が翌日にはポニーに変わったりするし、耐え切れず自殺する者も出る。一見秩序的な理想社会に見えて実際は徹底した管理社会であり、雰囲気的にはユーモラスであっても描かれるのはある意味ディストピアです。ただし近未来SFに描かれるようなものとは異なり、監督自身が「これはディストピアではなく現代の話だ」と言っているように、我々の現実世界の拡大解釈とも取れる。それは根底にある問いかけが「恋愛」「夫婦」「家族」に関するものだからです。

面白いのは、ホテルに集められた独身者たちがそこまで追い詰められた状況であっても「誰でもいいから付き合っちゃおう」までいかないということです。例え切羽詰まっていても、結婚相手とするには何かしらの決め手がなくては難しい。この物語では、とにかく「相手との共通点」が重要視されます。誰もが共通点を求め、中にはそれを逆手に取る者も出てくる。ベン・ウィショーの足の悪い男は同じく足の悪い女性を探すかと思いきや鼻血の出る女と一緒になるため無理やり鼻血を出すし、デヴィッドがドS女を相手に選ぶのもその傾向が分かりやすかったからでしょう。それならビスケット女でもよかった気がしますが、そこは見た目の好みもあるんでしょうね。「好きでもないのに好きなフリをするのはツラい」と言いながら相手に合わせようとし、ジャグジーでの死んだふりにも動じず(あれは観てるこっちの方が焦った)、子供を蹴ったりと非道を演じるのが滑稽です。

しかし兄(犬)を殺されてついに耐えきれなくなります。独身者狩りトップのドS女に対しよくそこまで耐えたとは思いますが(イヤおせーよ!とも思うけど)、そこまで耐えざるを得ない世の中の方がおかしいとは言われないんですね。そもそも人間狩りで期間延長というシステムも狂気の沙汰だし、そのシステムで独身を通すという猛者が出るという矛盾も孕んでいるし、自慰行為すると手をトーストにされるという「やめてくれ!」な罰があるのに美人の客室係が寝た子を起こして去っていく「やめないでくれ!」という生殺しサービスもある。そこまでやられると、何のための相手探しなのかが分からなくなります。カップルになっても子供という名の監視が付き、どこまでも疑似感が拭えません。

なら相手なんかいらない、と逃げ出したデヴィッドが出会う森の独身者たちは、これまたホテルとは真逆に極端なルールがあってやはり頭がおかしい。恋愛・セックス禁止はともかく、それに対するペナルティなどは妬みが入ってるんじゃないかと勘繰りたくなるし、一人でいることを選ぶ以上は墓も自分で掘らなければならないというのも極端です。ホテルの連中による狩りの対象にもなるし、自由を求めてやってきたらそこにも自由はないも同然。単なる逃亡者たちではなく、管理社会に対するレジスタンスなんですね。なんというめんどくさい社会!中間はないのか!でも一人ダンス大会は笑います。何気に元人間と思われる豚やクジャクやラクダが森を歩き回っているのも画的に愉快です。

ただ、この独身者グループがカップルたちに仕掛けるテロにより、伴侶を見つけたはずの人々のメッキは簡単に剥がれてしまいます。ホテル代表の男は相手を「心から愛してる」と言いながら愛情レベルは15段階の14にしちゃうし、渡された銃の引き金も躊躇なく引く。足の悪い男もデヴィッドに鼻血でっち上げをバラされますが、彼の去ったあと妻の手にはナイフ、脇にはライフルが置いてあるのがコワ面白いです。しかし逆に独身者のなかにも恋に落ちてしまう者はいるわけで、デヴィッドと近視の女も燃え上がった結果、もはや手話並みの合図(やりすぎ)とかリーダー両親の前でいちゃつきまくる(やりすぎ)とか歯止めが効きません。たとえ視力を奪われようが、やはり恋する気持ちは押さえられない、上辺だけの関係とは違うということなんですね。

……と思いきや、デヴィッドは彼女が視力を失ったあと、ドイツ語は喋れるかなど色々と聞いており、やはり共通点を探しているのです。そもそもはお互い近視であるというところから親しくなっていったわけで。遂には自分の目も潰すと言い出しますが、二人とも視力を失うメリットは全くないわけで、どう考えても愛情からではなく共通点のためなんですよ。しかしデヴィッドは一度相手に合わせることを放棄して逃げ出しています。本当に視力を捨てたかどうかは描かず終わる、という余韻の残し方が意地が悪い。

コミュニケーションの取り方として相手との共通点から入るのは普通のことですが、それはずっと一緒にいるために必要なことなのか?愛情があればコミュニケーションの取り方も別の側面が出てくるのではないか?相手を好きになるというのは一体何に依っているのか?と様々な疑問符が浮かびます。デヴィッドは妻から一方的に離婚を言い渡されますが、そもそもの関係の築き方に問題があったのかもしれません。視力を奪われるというのも見た目以外で愛せるかを試されているよう。人との関係の難しさは例え恋人夫婦であっても例外ではないなあとか、だからといって独り者も大変だなあと思い悩ませてくれますね。結局自然でいられるのが一番なわけですが、それってひょっとして動物になるのが一番てっとり早いのか……?などと思わされるのも意地が悪いです(ホメてます)。

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