2016
03.01

逃れられない戦場。『ディーパンの闘い』感想。

Dheepan
Dheepan / 2015年 フランス / 監督:ジャック・オーディアール

あらすじ
怒りの象が目を覚ます。



内戦下のスリランカから脱出するため、見知らぬ女性と少女と共に偽装家族としてフランスへ渡った元兵士ディーパン。パリ郊外の集合団地で管理人として暮らすことになったが、そこには新たな暴力の火種が燻っていた。2015年のカンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞したヒューマン・ドラマ。監督は『君と歩く世界』などのジャック・オーディアール。

全くの他人である3人が、戦火から逃れるため家族のふりをしてスリランカからフランスへとやってくるところから物語は始まります。夫のディーパン、妻のヤリニ、娘のイラヤル、彼らは新天地に何を認めてやって来たのか、或いは何から逃げてきたのか。語られない過去は様々なシーンで雄弁に語られ、時には感情の爆発となってぶつかり合います。言葉の通じない異国の地での恐怖に耐えるヤリニ。愛情を求める少女イラヤル。捨て去ったプライドに背を向けるディーパン。移民問題やはびこる暴力を背景に、家族であることの意義、戦争の無情さに繋げてみせます。

ディーパンの言葉少ない分行動で示すところが元兵士っぽいですね。ディーパン役のアントニーターサン・ジェスターサンは実際に元兵士で現作家だそうで、役柄に説得力を与えてます。ヤリニ役のカレアスワリ・スリニバサンは劇中26歳と言ってますが、最初はそんなに若く見えないんですよ。とにかく焦燥感が止まらない彼女にはヒヤヒヤします。イラヤル役のカラウタヤニ・ビナシタンビちゃんはピュアで可愛らしく、それだけに彼女の純粋な望みが心に染みます。この主演の3人の言動がジワジワと効いてきますね。

結構耐える展開が長いので、なかなか好転しない状況がふと進展したときの安堵感が凄く大きいです。団地の管理人として黙々と働くディーパン、このもはや戦う意味を失った男に、それでも守りたい世界ができたとき、彼は戦士に戻るのです。絶えず続く緊張感と三人の関係の推移、ラストの爆発。とても良いです。

↓以下、ネタバレ含む。








最初は無許可の土産物売りとして働くディーパン。闇に浮かぶ電飾猫耳カチューシャをバックにタイトルが出るのは印象的。表面はきらびやかながら実態は安っぽいという、花の都パリにいながら底辺の生活をするディーパンの現状を表すかのようです。やがて団地の管理人の職に付いたディーパンがひたすらストイックに働く姿は、変わらぬ日常を過ごすことで平穏を手にしたいとでも思っているかのよう。ディーパンは妻と子を戦火のなかで亡くしており、争うことで失うものの大きさに打ちのめされているのでしょう。かつての上官に対し「自分の戦争は終わった」と言うのも、そんな喪失感を思わせます。だからヤリニやイラヤルに対しても最初はそっけない。

必死で親のない子を探し無理矢理に出国するヤリニは、とにかく現実から逃げ出したいのでしょう。親戚のいるイギリスなら上手くいくはずだと思い込み、ディーパンやイラヤルに対しても距離を保つ。ただ、中身は普通の若い女性なんですよね。パリの同年代の女性たちに憧れの視線を向けるのからもそれは察せられます。言葉が分からず郵便の仕分けを間違ったことに逆ギレするのは羞恥心だろうし、ヘルパーの仕事先でエドワード・ノートン似の若者に心を開きかけるのは彼がごく当たり前の会話をしてくれるからだろうし、イラヤルに冷たいのも母親という役割に対する抵抗感なのでしょう。

イラヤルは子供だからまだ素直で、子供たちの輪の中に混ぜてもらおうとするし、ヤリニの態度に「弟にやるみたいにして」とお願いする。変なこだわりがない分、ちゃんと話し合いで解決しようとしてヤリニとの関係もよくなっていきます。そんな二人と暮らすうちにディーパンにも徐々に変化が見られるようになり、ひょっとして新たな家族として再生できるのではないかという期待が生まれます。ヤリニに連れられて寝室に向かう主観の映像は言葉少ないディーパンのドキドキラブアフェアーな感じが伝わります(しかもヤリニは結構な巨乳ちゃん)。フケ顔かと思っていたヤリニが笑うと可愛らしいというのも分かってきます。何度か挿入される象の映像はディーパンの心の穏やかさの象徴なのでしょうか。

しかしそんな中、団地に響き渡る銃声。必死でイラヤルと物陰に隠れようとするヤリニ。戦時下でどんな体験をしてきたかを想起させるシーンです。それでもディーパンは自分はここに残ると言います。全ては自分のホームを守るため。家族の写真を額に入れて蓋を閉じた段階で、ディーパンにとってヤリニとイラヤルは新たな家族、あの団地は新たな世界となりかけています。だからその平和な境界を侵そうという者に対して線引きをする。それを壊そうとする者には強行手段も辞さない。でもそれはディーパンが忌避したかった行動だったはず。彼が戦闘能力を発揮するクライマックスはもっと無双で痛快に、それこそ『イコライザー』のようにも出来たはずなのに、カメラは階段を上り行く足元しか映さない。新しい世界が逃げてきた戦場と変わらないこと、本意ではない血を流すことへの絶望感。快適に上るために修理したエレベーターではなく階段を上がっていく姿にそれが滲み出ます。

ヤリニを救いだした後のラストシーン、明るい庭でイラヤルの頭を撫で、ヤリニとの間に生まれた子供を抱くディーパン。これ以上ない幸福感に、やっと本当の家族になれたのかと胸が熱くなりかけます。しかしよくよく考えると、あの殺しまくった銃撃戦の後でそんな都合のいい結末を迎えられるものだろうか……?その場面へ飛ぶ唐突さ、あまりにふわふわした非現実感。あれがディーパンの夢見た幻想ではない、と言いきれないのがやるせなく思えます。

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