2016
01.31

神の逆鱗に触れたもの。『白鯨との闘い』感想。

In_the_Heart_of_the_Sea
In the Heart of the Sea / 2015年 アメリカ / 監督:ロン・ハワード

あらすじ
鯨は地球最大の生物。



鯨油の利用が盛んだった1819年、一等航海士オーウェンと仲間たちは捕鯨のためエセックス号に乗船し太平洋を目指す。やがて彼らは鯨の群れに遭遇するが、そこで驚くほど巨大な白いマッコウクジラと遭遇、激闘の末に船を沈められてしまう……。ハーマン・メルビル『白鯨』の元となった実話を描く小説『復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇』の映画化。

『白鯨』ではなく、その元ネタである実話の映画化ですね。と言いつつ元ネタがあるのも知りませんでしたが……ベン・ウィショーの演じる作家のメルビルが、捕鯨船エセックス号の生き残りから真実を聞く、と言う体で物語は進みます。海を駆ける帆船エセックス号がカッコよくて、帆船が風を掴むまでの流れは多くの船員が動き回る様子がテンポがよくて気持ちが良いです。一等航海士オーウェンとポラード船長という二人の男の確執を織り混ぜながら、やがて遭遇する鯨の群れに一斉にボートを漕ぐシーンの高揚感。捕鯨ってそういうふうにやってたのか、と知るのも新鮮。そして現れる巨大すぎる白い鯨には圧倒されます。

しかし前半でそうやって上がった熱を、後半はひたすら冷ましていくんですよ。観る前から何となくスペクタクルよりドラマの方に振れてる話なんじゃないかと予想はしてましたが、思いの外そっち方向ですね。海洋冒険ものとしても十分いけるんですが、あまりそればかりを期待しない方がいいでしょう。主演は『マイティ・ソー』のクリス・ヘムズワースと『リンカーン 秘密の書』のベンジャミン・ウォーカーという、ハンマー使いとオノ使い!しかしそんな二人を揃えながら、それでも勝てない白鯨が凄い。

メルビルの『白鯨』では鯨を悪、それと闘う人間を善、善悪の交錯する人生という名の海、という解釈が多いようですが、こちらは海洋冒険ものと言うよりはサバイバルものなので、描くものも違ってきます。海の怖さと人間の思い上がりを描く話ですね。

↓以下、ネタバレ含む。








捕鯨シーンでは、あんな小さいボートで獲るのか!とか、銛を刺した後は根くらべなのか!というのは素直に驚き。どんどん伸びていくロープをギリギリで付け足すスリルや、鯨を倒したというのを血煙が顔にかかることで表現するのも面白い。獲った後の解体の手際の良さとか、脳油を取るために頭蓋内に入り込むというのもデカさのある鯨ならでは。このデカさに慣れてるせいか、船に寄ってくるサメに対しては「あっち行け」とか言ってザコ扱いなのは笑います。何より「吹いたぞ!(Blow)」という短い台詞で一気にテンション上がるのがイイ。

しかし船を破壊された時点でそんな冒険譚はあっけなく終わりを迎え、後半はひたすらサバイバルです。『キャスト・アウェイ』や『ライフ・オブ・パイ』のような生き延びようとするだけの日々。これが精神的にかなりキます。3艘のボートに20人くらいが乗り、水も食料も僅か、という時点で既に絶望的。一旦は陸地を見つけて上陸するも、痩せた土地の無人島なうえ先客(死亡済)が知らしめているように救助も来ないという徒労感。そして再び当てのない船出へと繰り出す。絶望に継ぐ絶望です。果ては語り手のトムにとっては最大の秘密である人肉食に辿り着くわけですが、観てる方としては同行してるかのような臨場感に溢れているため、頭では拒否感があっても「もうそれしかない」というのがすんなり入ってきてしまうんですよ。これが怖い。ただオーウェンが涙ぐみながら「無駄にはしない」と言うシーンに恥ずべき行為だという自覚がまだあって、『野火』のような狂気での人食とは描かれ方がちょっと違いますね。

白鯨はエセックス号を沈めた後も執拗に現れます。嵐の中でも姿を見せ、陸が見えたときには襲いかかり、再度海に出たときにはオーウェンたちを嘲笑いながら去っていきます。このあたりが実話なのかはさすがに眉唾な気がしますが(原作未読なので何とも言えませんが)、ここに至って白鯨のくだりが実話かどうかはあまり関係なさそう。もはや哲学的、あるいは宗教的な思索にまで至っているからです。白鯨は強大で抗いようのない、言わば大自然そのもの。また、攻撃する者に罰を与え、さらなる困難を与え、それでも歯向かうのか見定めてもいる、まるで神のような描かれ方です。「人は神に似せて作られた最高の生き物」というポラード船長と「人間は塵のように小さな存在だ」と言うオーウェンの対比に答えを突き付けるのが白鯨であり、オーウェンが最後に攻撃しなかったのは「神には勝てない」ことを悟ったからでしょう。オーウェンが「我々の何が神の逆鱗に触れたのか」と問うのに対しポラードは「我々ではなく鯨だ」と言いますが、その断定もまた人間の思い上がりであり、それを思い知ったからこそポラードは最後の審問会で鯨の存在を認めたのでしょう。

でもこういう展開にするなら白鯨にはもっと神々しさが欲しかった気もします。ちょっと不気味さの方が強いんですよねえ。あと「エセックス号の物語は二人の男の物語だ」と始めるわりには、その二人の関係性が同じロン・ハワードの『ラッシュ プライドと友情』に比べても明らかに弱いです。ただ、ポラードが嵐の中を突っ切ろうとするのも、船長としての未熟さというよりは大自然に逆らう者という、オーウェンの大自然に畏怖する者との対局と考えれば腑に落ちるところではあります。

それでも命懸けで鯨油を得るために捕鯨に臨んだ男たちの生き様、という点には感じ入るものがあります。オーウェンはキリアン・マーフィーの演じる友人マシューのことも結局は救えませんでした。それだけにラストに「地面から油が出た」という話を、死にかけながらも油のため鯨に立ち向かっていた中年トムが信じられないという顔で聞く悲哀にはやるせないものがあります。メルビルが漂流の話を『白鯨』に記さなかったのは、その思いを汲んでのことだったのかもしれない、と思わせられるのです。

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