2016
01.26

逃れ難き罪、追って来る罰。『イット・フォローズ』感想。

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It Follows / 2014年 アメリカ / 監督:デビッド・ロバート・ミッチェル

あらすじ
死は理不尽なり。



ある男と一夜を共にした19歳の女子大生ジェイ。しかしその男に椅子に縛り付けられ、「それ」をうつしたこと、「それ」に捕まったら必ず死ぬことを告げられる。ジェイは迫り来る「それ」から逃がれようとするが……。捕まった者に死が訪れる謎の存在に狙われる恐怖を描いたホラー。

これは怖い。久々に心底から感じる恐怖に背筋がゾワゾワしました。性行為により伝染するのは、他の人には見えない「それ」がどこまでも追いかけてくる、という恐怖。それが幻覚ではないということは冒頭で示されるため、捕まったら終わりというストレートな追いかけっこではあるんですが、何でしょうこの真っ直ぐこちらに歩いてくるだけなのに感じる怒涛の怖さ。理解できない存在にどこまでも追われるという根元的恐怖。ストレートかもしれないけど見せ方が上手すぎてビビるしかないです。

そしてアート的ショットの数々にもゾクゾクします。激しいカット割は少なくむしろゆったりしており、対象を中心にぐるりと回る長回しや、ひたすら不安を煽るロングショットなど、単なるサプライズ脅かしではないジワジワ染み入るような演出が強烈。また、ときにたゆたうような、ときに煽ってくるシンセ音楽とその使いどころも非常にスリリング。この音楽と、舞台となる郊外の街の薄暗い閉塞感とが相まって、どこか70年代ホラーのような懐かしさがあります。それでいて確実に新しい。ちょっと違うけど何となく『アンダー・ザ・スキン 種の補食』を思い出しました。

意味深な台詞回しとか、ドストエフスキーの『白痴』の一節を読み上げるシーンがあったりもして、「それ」に関する解釈は色々と出来そうです。これは何も知らずに観た方がいいですね。個人的に主演のマイカ・モンローが好みなのもプラス。これを観た後は普通に歩いている人にさえ恐怖を感じますよ。凄いのを観た、と思わされます。

↓以下、ネタバレ含む。








メガネっ子変人ヤラちゃんがドア開けたら後ろからファァアアアって超怖い!あと屋根の上に全裸中年男性が立ってるのも違う意味で怖い!と、「それ」の怖さが留まることを知りませんよ。しかし「それ」がなぜ追ってくるのか、目的が何かは一切語られません。これが物理的な干渉をするどころか、見えないだけで物理的に存在する、というのにはちょっと驚きました。ジョジョで言えば、どこまでも追跡してくる第4部のハイウェイ・スターと、姿は見えないが物理的に存在する第6部のリンプ・ビズキットを足したスタンドのような存在(って一部の人にしか伝わらない)。壁をすり抜けて通れるわけではなく(ジェイの家に現れるときも事前にガラスの割れる音がする)、スピードも徒歩なので万能というワケではない、というのがルールですね。霊的なものが一定のルールの元で感染するという点では『リング』を彷彿とさせます。

ポイントはセックスで伝染するということでしょう。事に及んだ若いカップルが殺人鬼に殺されるというのはホラー映画ではあるあるで、そこには「調子こいてヤってる奴は死ね!」みたいな妬みのニュアンスを感じますが(そんなことない?)、セックスそのものが焦点となるのは珍しい。性行為により死が伝染する、というのはそのまま捉えればエイズなどの粘膜感染の病や性病を表していると考えられますが、それだと人にうつせば安全だがうつした人が死ねば自分に返ってくる、という点で首をかしげます。むしろ気軽な性行為への道徳的教訓とも取れますが、物理的な作用を及ぼすことを考えると、性への考え方に対する警告というより現実の行為に対する「戒め」と考えた方がしっくりきます。

つまり不純異性交遊に対する罰。ここでモテ男のグレッグが母親の姿をした「それ」に殺されたり、最後にジェイを襲う「それ」が彼女の父親の姿だったりすることを考えると、これは一言で言えば「子供がエロいことすると親に怒られる」ということです(と言うと身も蓋もないですが)。ヤラちゃんが都会と郊外の境界の話で「大人と一緒にいても少しでも境界をはみ出ると怒られる」と言う台詞も親目線からの禁止事項を匂わせます。これらは引いては大人の子供に対する束縛や抑圧とも言えるでしょう。ちなみにプールとか海とか水の溜まった場所のシーンが多く、これが羊水の暗喩として親の庇護を表しているように見えないこともないです。でもこれだけでは「婬行は死をもって償わせる」という理由にはちょっと弱いですね。

もう一歩深読みしてみると、セックスすると死ぬ、ということは、本作では性行為は「穢れ」という扱いになっていると言えます。そしてした方からされた方にうつるという構造は「責任転嫁」でもあります。しかもそれが死に結び付くということは、性の禁忌は生の剥奪にまで及ぶわけです。そこまで行くと、これはもはや「原罪」の物語と言えるのではないでしょうか。原罪とはアダムとイヴが禁断の木の実を口にし、神の命令に背いた罪。アダムは木の実を口にしたことをイヴが勧めたからだと「責任転嫁」します。罪を認めない二人は楽園を追放されて「死」を享受するようになります。アダムの子孫である人類は生まれながらにこの「原罪」を負っているため、逃れる術がありません。だから「それ」からも逃げられない、ということです。

などと色々理屈をこねておきながら何ですが、そこまでの解釈はせずとも「それ」は単に「理不尽な死の影」という見方だけでもいいでしょうね。そもそも監督自身も特にメタファーやメッセージをこめているわけではないと言っているようだし。多くの若者は「死」に関してまだ実感がないのだし、よく分からない理不尽なものからは逃げ出そうとするでしょう。死はまだ漠然とした不安でしかありません。ジェイがヒューとの情事の後「デートしてドライブしてというのに憧れていた。大人になったいま、一体どこに行くのだろう」と自問しますが、これは先行きがまだ不透明な未来に対する不安とも取れます。そして死の影を振り切るため協力し、奔走する若い男女。となればこれは十分に青春映画。プールが出てくるのもそれっぽいし、プールサイドに座る仲間たちを横移動カメラで映すシーンとか、草原で輪になって話をしてたりするシーンとか、「それ」のことを気にしなければ青春映画っぽさが満載。そう考えると「それ」は若者たちが大人になる際にぶつかる障害、通過儀礼の暗喩とも思えてくるのです(死ぬけど)。

ラストに手を繋ぎ嬉しそうなポール(脱DT)と無表情のジェイ。そんな二人の背後には、明確に何かが映っているわけではないのに得体の知れない不安が迫っているのを感じます。いまだ「それ」の恐怖は終わっていないのか?と肝が冷えてエンドロールへ。この切り方も素晴らしい。そして何となく、この二人は長続きしないだろうな……という青春の苦みさえも感じてしまうのです。

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